益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.168

 ▼伊藤ルイさんの逝去を新聞で知り、突然の訃報にぼうぜ
んとしました。Tシャツ裁判での証言が「…伊藤ルイの遺言
てす」という言葉で結ばれているのを読んだときは、まさか
それが文字通りの意味で言われたのだとは思いませんでした
が、ルイさんは、この証言をしたとき、すでに、別れの日が
近づいているのをはっきり予感していたのですね。私たちに
たくさんの贈り物を残して、あなたは重い衣を脱ぎすて、軽
やかに、自由な霊の国に旅立たれました。
 ▼七月五日のTシャツ裁判(証拠調期日)は、最近にない
良い体調で臨むことができました。午前九時五十分ころ、職
員が迎えに来て、保安課の二階にある一室に私を連れていき
ました。部屋には三人の裁判官と二人の書記官、二人の速記
官、四人の被告代理人、そして西川伸一証人という、関係者
全員がすでに席について、私の登場を待っていました。
 初めに裁判長から、伊藤ルイさんが亡くなったので彼女に
ついては訴訟手続が中断し、今日の証拠調は彼女を除く原告
についてのみの手続となるむねの説明がありました。そのあ
とすぐに、西川証人に対する私の反対尋問に入りました。筒
井さんが尋問したときもそうでしたが、西川証人は「わから
ない」「おぼえていない」を連発し、実のある答えはめった
に口にしません。(中略)
 昼食後、一時少し前に再び出房、今度は証人席に座って、
裁判長から本人尋問を受けました。事前に私の方から陳述書
を送ってあったので、まず、その内容に関する質問が少しあ
りました。そのあと、私と「うみの会」のメンバーの関わり
が生じた経緯や、獄中者組合、共同訴訟人の会との関わり等
について聞かれました。(中略)
 ハプニングが起きたのは、そのあとです。右陪席が、裁判
長としばらく話しあったあと、補足的な質問をしました。そ
して、「伊藤留意子さんは、あなたにとってどういう人でし
たか」と聞きました。私は、この質問を心の中で自分に問い
かけながら、考え考え、答え始めました。すると、突然、声
が詰まり、涙があふれてきて、しゃべれなくなってしまった
のです。そのあとは支離滅裂で、一言述べては声を詰まらせ、
ハンカチで目を押さえるという、情けない状態。結局、筋の
通ったことは何もしゃべれなかったと思います。いい年を
して裁判官の前で泣くとは我ながらおどろきましたが、言葉
にならないルイさんへの思いは、かえって裁判官によく伝わ
ったのかもしれないと、ひそかに自分を慰めた次第です。
私への尋問が全部終わったのは一時過ぎでした。房に戻っ
で、差入れのオレンジをひとつ食べました。(後略)
[ごましお通信・第33号
             掲載予定のものから抜粋編集]


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