益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.174

 ▼支援連ニュース一七二号は正月の休み明け(八目)に受けとり
ました。ありがとう。獄中で迎える正月は今回で二二回になります
が、一昨年に続く“血のクリスマス”のあとでは、新年を迎える喜
びなど全くありませんでした。
 ▼シャコはカゼをひきやすくなったようですが、精神的な疲れを
ためないようにしないとな。
 ▼浴田さんと丸岡さんは感激の再会を果たすことができたようで
すね。よかった。彼女が描いた丸岡さんの似顔絵は、病後とは思え
ないくらい丸々としていますね。ヘアの枯れぐあいは私といい勝負
でしょう。私とシャコと丸岡さんとで三ピカトリオができるな。
 ▼将司の反論を読んだけれど、どうも議論がかな合わないね。彼
の「権力」の定義は狭すぎるし、一面的だと思う。仮に、将司が期
待するような革命が成功したとして、その革命後の新しい社会を維
持するための権力も、「支配階級が被支配階級を抑圧・差別・搾取
するために強いる力・構造」であることになるのだろうか? そう
だとずれば、将司の考える革命では、「抑圧・差別・搾取」は廃絶
できないことになるでしょう。「権力というのは、己れの意思を正
義として他者に強制する力のことだ」という私の定義を、もう一度
熟考してほしいと思います。
 ところで、将司は、武装闘争によって、どういう社会をつくり出
そうとしているのか? 宿題となっているこの問いに、可能な限り
答えてほしいと思う。本来、武闘という手段の是非は、我々がめざ
すべき社会の政治的、経済的な仕組みを明らかにした上で論じるべ
きことだと思いまず。めざすべき社会の仕組みを考えないまま、あ
るいは、現在の社会のどの点をどのように改めるべきかを具体的に
考えないまま、単なる手段にすぎない武闘の是非を論じるのは本末
転倒なのです。
 それともうひとつ。将司は、日本で武闘が正当化される根拠とし
て、死刑制度の存在や、さまざまな抑圧・差別等の存在を挙げてい
ましたね(一六四号)。しかし、そのような問題(人権の抑圧)は
日本以上にひどい形で中国や北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ
等の共産主義国家や、反帝国主義を標ぼうするリビア、イラン、イ
ラク等の国家にも存在しています。将司は、死刑制度の存在や人権
の抑圧を根拠に、これらの国家に対する反体制武装闘争を支持する
のでしょうか? 支持するのであれば、一応、論理的には一貫して
いることになるけれど、もしも支持しないのであれば、その理由を
示してほしいのです。
 さらにもう一点。将司は、違憲か合憲かの法律論は別として、日
本(人)が、外国からの侵略を受けたときに武器をとって戦うこと
を支持しますか?この点もぜひ明らかにしてほしいと思います。
 ▼このかん、支援連ニュース誌上でも、メキシコのサパティスタ
の闘いが肯定的に紹介されてきましたが、彼らの声明等を見る限り
では、彼らが、現在の資本主義社会に対する、リアリティーのある
代案を示しているとは思えません。武器(暴力)は、いまあるもの
を破壊することはできても、それに代わる、より善いものを建設す
ることはできないのです。私たち(日本人)がいま必要としている
のは、武器ではなく、資本主義を超える、より自由で、より人間的
な社会のヴィジョンなのではないでしょうか。
                    (97・1・10 記)


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