益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.179


〔七・一二コンサートヘのメッセージ〕
 ▼最高裁判決の確定から一〇年というこの節目の年に、支
援連主催のコンサートが開かれると聞きました。獄中の私た
ちのことを今も忘れず、気づかって下さるみなさんに、心か
らの感謝の思いを捧げます。音楽を通じてみなさんの気持ち
がひとつに結ばれ、死刑廃止の願いがさらに大きく広がると
いいですね。
 ▼死刑囚として過ごした一〇年問は肉体的にも精神的にも
厳しいものでしたが、その苦しみは私の成長の糧になりまし
た。私は、たとえ明日死ぬことになったとしても、何も恐れ
ないでしょう。恐れがなくなると力が湧いてきます、私は、
これからも元気一杯生き続けます。
 ▼この六月に「東京犯罪被害者支援センター」が発足しま
した。犯罪の被害を受けて苦しむ人たちに手をさしのべる市
民団体ができたことは、大きな喜びです、死刑廃止運動は、
被害者への思いを欠いたら、均等を失ってしまうものになる
でしょう。同センターに対するみなさんの物心両面での支援
をお願いいたします。(連絡先千代田区神田駿河台一−一、
明治大学法学部共同研究室気付、東京犯罪被害者支援センタ
ー事務局)          (ごましお通信40号より)

  〔身辺雑記〕
 ▼神戸で、小学生が殺され、首を切り取られるという恐ろ
しい事件が起きましたね。M君事件との類似性が言われてい
ますが、今回の事件はM君事件よりさらに挑発的です。M君
に死刑の一審判決が言い渡された直後にこの事件が起きたと
いう点が非常に印象的であり、死刑抑止力といわれるものの
無力さを実感させられました。
 このような事件が起きると、いわゆる国民感情はますます
硬化して、死刑の存置を求めるようになるのでしょうが、こ
ういう時にこそ冷静に凶悪犯罪の原因を考えるべきです。そ
して、死刑の存在と執行は、「理由があれば人の命を奪って
よいのだ」というメッセージを社会に送りつづけることにほ
かならないと、皆が気づくべきなのです。
 死刑が廃止されたあとで凶悪な殺人事件が起きれば、私た
ちは、復讐感情が満たされない葛藤に苦しむでしょう。私た
ちは、その葛藤に耐えることを通して、生命の尊厳を学び、
成長してゆくのだと思います。社会から殺人を減らす途は、
それ以外にないのです、「殺されたら殺す」「やられたらや
り返す」という悪循環を断たなければ、平和な社会をつくる
ことはできません。その忍耐の道の第一歩を踏み出すのは、
死刑廃止を主張する私たち自身でなければならないでしょう。
まず私たち自身が、非暴力の生き方を実践しなければなりま
せん。死刑廃止運動は、私たち自身の生き方を問い直す運動
でもあるのです。       (ごましお通信39号より)


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