益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.184


▲ 一〇月二八日に総転房がありました。私の階の人たちは、
死刑確定者も含めて、大半が新設の仮舎房に移ったようですが、
私とFさん、Sさんだけは、なぜか新二舎一階に移されました。
刑が確定する一九八七年まで私は新二舎二階におりましたので、
いわば古巣に戻った格好です。当時、この一階には将司が収容
されていました。当時からそうであったのかは判りませんが、
一階は、半分がテレビカメラ付き“自殺防止房”で、他の半分
は、中庭側の窓だけパンチメタル張りに改造した“半自殺防止
房”です(天井にカメラはなく、通路側の視察窓は一般房のま
まです)。
 新二舎行きのことは事前に全く知らされていなかったので、
長年世話になった四舎の職員にあいさつできなかったのが、少
し心残りです。監獄というのは不思議なところで、建物がひと
つ違うと、そこの職員と顔を合わせる可能性がほとんどなくな
るのです。上級の職員ならば、当直の夜に回ってきて声を掛け
られることもありますがね。
 この階の担当部長は、昔々、浴田さんの出廷連行着守だった
人ですし、二舎の処遇係長も顔なじみなので、ひとまず安心で
す。気心の知れない職員とつきあうのは、なかなか骨が折れま
すからねえ。
 おどろいたのは房のきたなさ。しばらく空房だったようです
掃除して、ようやく人の住む部屋らしくなりました。土ぼこり
で白く汚れた窓の外側は、私の手が届かないので、翌日、雑役
さんがきれいに拭いてくれました。房は古くてきたないけれど、
外は見えるし、陽も当たるので、仮舎房よりは人間的な生活を
いましばらく送ることができそうです(仮舎房に移された仲間
には申しわけない)。          (97・10・10記)
▲ キタコブシ七一号で、筒井修さんのお連れ合いが登山中に
事故死されたことを知りました。同時に差し入れされた『26の
瞳』39号では、筒井さんの元気一杯の声に接していたので、そ
の現実の落差に胸が痛む思いです。筒井さんの哀しみを、私も、
少しでも共にしていけたら…と思います。ご家族のみなさんに
慰めがあるようにお祈りいたします。
▲ 支援連ニュース等は受け取っています。切花、現金も落手
しました。差入れがあった日は固く閉め切られた扉が一瞬だけ
開かれて、外のさわやかな風が吹き込んだように感じられます。
▲ 支援連ニュース(一八三号)を見て、将司が仮舎房に移さ
れたことを知りました。三舎は第一次取壊しの対象外だから、
当然、彼も新舎に残されたものと想像していたのですが、違っ
ていたのですね。仮舎房は外が全く見えない構造で、ラジオの
室内スイッチもないとのこと。うっとおしいことが多いでしょ
うが、心をいつも明るく保って、試練の日々を乗りきってほし
いと思います。             (97・12・3記)
                〔ごましお通信より転載〕


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