益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.198


▼ 戸外運動が毎日実施されない問題を争っていた訴訟の控
訴審判決が一月二六目に言い渡されました。残念ながら一審
に続き敗訴でした(東京高裁第一六民事部)。裁判長は、一
昨年、寺西判事補に注意処分を課した旭川地裁所長の鬼頭季
郎氏です(その後東京高裁に栄転したらしい)。“在監者は
人間扱いされなくてもやむをえない”とする裁判所の消極主
義(行政不介入主義)はひどくなる一方であり、国権の砦、
人権の墓場と化した最高裁にはいささかの期待ももてません
が、とにかく上告はします。そして、最高裁でも負けたら、
国連人権委員会等に訴えることにしたいと思います。
▼ 一月二六目に差し入れられた『ねっとわあく死刑廃止』
49号で紹介されている三木善彦さんの講演を読んで、殺人事
件の被害者(遺族)の救済について考えさせられました。
 被害者が受けるダメージでもっとも回復が困難なのは、愛
する者を失った喪失感でしょう。「あの死んだ子の魂はどこ
にあるんですか。私の子どもはどこに行ってるんですか。天
国ですか。極楽ですか。」という問いかけに対して、通り一
遍の宗教的な答えを返してみても、被害者の悲しみや苦しみ
は消えません。(右の言葉は、殺人事件ではなく交通事故で
子を亡くした母親の言葉ですが、殺人事件の被害者にも共通
する気持ちがよく現れているので引用しました。)
 このような被害者を精神的にケアする一つの方法になるの
ではないかと、私が注目しているのは、アメリカの精神医学
者R・ムーディ博士の著書『死者との再会』(同朋出版刊)
に記されている「鏡視」による癒しです。これは、澄んだ鏡
面をみつめることで人間の意識の次元が変わり、かなりの確
率で「死者との再会」が起きるという現象を利用するもので、
博士自身は、そのような現象が起きるメカニズムについて断
定的な説明を避けています。大事なのは、そのような現象が
単なる幻覚や白日夢であるのか、それとも真正な心霊現象の
一種であるのかを議論することではなく、鏡視により愛する
故人との再会を経験した人がそれを幻ではなく現実の出来事
だったと確信し、愛する者を亡くした悲しみや苦しみから劇
的に癒されるという事実を私たちが受け入れて、被害者の救
済に役立てることでしよう。
 殺人事件の被害者に対するケアについてはさまざまな取り
組みが始まっていますが、被害者の根元的な苦しみである「愛
する者の死の意味が理解できない苦しみ」を癒すことについ
ては、宗教家にでも任せるしかないというあきらめが先に立
っているのではないでしょうか。鏡視を試みるには最低限必
要な物は、死者との再会を望む人が精神を集中できるような
暗くて静かな部屋と大きな鏡だけです。心理療法の訓練を受
けた専門家もまじえて、殺人事件の被害者の精神的ケアに鏡
視を活用するグループが生まれないものでしょうかね。
             〔ごましお通信50号より抜粋〕


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