益永利明さんの身辺雑記

支援連ニュース No.226


▼ 日本赤軍はついに解散を宣言したそうですね。過去の負
の遺産の精算も含め、これからは、新しい「党」の結成に向
けた苦闘が続くことでしょう。

▼ 支援連ニュース二二四号は四月二七日に受けとって読み
ました。この「ニュース」は出し続けるだけでも大きな意味
があります。関係者の皆さんには、ご苦労をかけますが、発
行の継続をよろしくお願いします。
 さて、右の号に載った将司の文は、要するに、死刑廃止と
いう立場から、“狼” のかつての同志達の自首に反対する、
と言っているのだと思います。
 彼のこういう主張は一見筋が通っているようだけれど、そ
こにはごまかしがあると思う。死刑廃止論を自首否定の根拠
とするのであれば、東ア〜の事件を特別視せず、一般の重大
な犯罪と同じ土俵で論じる必要があります。この場合、将司
の論理では、どれほど残虐非道な犯罪にかかわった者でも、
死刑判決が予想される場合は逮捕されるべきではなく、あら
ゆる手段を使って逃げきるのが「正しい」という結論になっ
てしまいます。そして、逮捕を逃れるためさらに罪もない人
たちをたくさん殺したとしても、死刑制度があるかぎり、彼
らはその刑事責任を負う必要がないことになります。
 将司のこういう主張のおかしさは、死刑制度に反対すると
いう立場と、個々人の刑事責任のとり方の問題とを混同して
いることからくるのでしょう。
 死刑制度に反対することはもちろん正しいのですが、人の
生命を奪うという罪を犯した者自身が死刑に反対する場合
は、死刑も含めて、適法になされた司法の判決に最終的には
従うこと、すなわち、死刑廃止の主張は自分の刑事責任を逃
れるための方便ではないことを、明確にした上でなければな
らないと思う。そうでなければ、誰が殺人者の死刑廃止論に
耳を傾ける気になるでしょうか?
 今回の将司の主張を見ると、彼の死刑廃止論は、自分や自
分の仲間の命が助かるための方便でしかないように思え、失
望を禁じえません(彼はこの問題について深く考えず、単に
反権力のアナーキーな心情だけで語っている面があるのでし
ょぅ)。麦の会の死刑廃止運動は、そういう利己主義(一身
の利害)を乗りこえたところに、初めて成り立つものだった
のではないでしょうか?

           〔ごましお通信60号より抜粋編集〕


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