益永利明さんの身辺雑記

支援連ニュース No.232


▼ 領置物の整理も兼ねて、当局に閲読不許可物(パンフ等)
 の再検討をさらに求めたところ、該当する84点中55点が許
 可されました(9月12日)。外国文で再び不許可となつたの
 は英字新聞(そのもの)6点だけで、英字新聞の部分的なコ
 ピーはすべて許可されました。支援連が一九八二年に作っ
 た英字パンフ「Be Sylent Today〜」も差入れから十九年ぶ
 りに読むことができました。日本語のパンフ類では、日本赤
 軍関係の新聞記事や雑誌等のコピーも許可されましたが、
 今となつては旧聞に属するものばかりでした。
                  (01・10・1 記)

▼ 9月28日に再申請した養親族との外部交通について、11
 月1日に所長から回答がありました。11月からスミコお母
 さんについて毎月一回に限り面会と発信を認める(受信回
 数は無制限)、みゆきについては今回も不許可というもの
 で、喜び半分、悲しみ半分の結果となりました。それでも、ゼ
 ロよりは一歩前進ですね。当局にとつても、容易な方針変更
 ではなかったようで、せめて年老いた母親にだけでも早く
 会わせてほしいという、私の切なる願いに応えてくれた当
 局の英断に感謝しております。みゆきとの面会が今回も認
 められなかったのは悔しいかぎりですが、希望はまだ断た
 れたわけではないのですから、あきらめずに状況を変える
 努力をしていきましょう。     (01・11・27 記)
▼ 11月30日に差入れてくれた支援連ニュース231号等は
 本日受けとりました。8日の浴田さんの支援集会、成功する
 といいですね。
▼ 天気予報が外れて朝から冷たい雨が降りしきる中、今日
 も戸外運動に出ました。私のいる一階で運動に出たのは私
 とイラン人の二人だけでした。
  目を上げると、工事用の安全ネットが外されて全貌を現
 わした東拘の新獄舎が運動場のフェンス越しに見えます。
 新獄舎の各階の外観は仮舎のそれと全く同じで、上下の
 ルーパーの間に、青っぽいすりガラスの窓がはめこまれた
 構造です。あれでは、居房内から外の景色は全く見えませ
 ん。あんなところで私は一生を過ごすことになるのだと思
 うと、絶望的な気持ちになりました。新獄舎での生活は、生
 きる意志を持ちつづけること自体が大きな闘いになります
 ね。             (01・12・4 記)

       (ごましお通信第62・63号より抜粋編集)


TOSIAKI  HOME
inserted by FC2 system