益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.269


 ▼ あと3か月もすれば、私の獄中生活は満30年になります。長かった…。大したことはできなかったけれど、この30年は私にとって意味のある年月だったと思います。意味があったというよりは、意味を持つことができるように必死に走り続けてきた年月だったというべきでしょうかね。いま私は、マラソンのゴールではなく、折り返し視点にたどりついたのだと考えて、さらなる挑戦を続けたいと思います。
 ▼ 私は、自分でこの国に革命を起こそうとした人間で、いまはその思い上がりを恥じています。しかし、坂道を転げ落ちるように悪くなっていく世の中を見ると、いても立ってもいられない気特になる。そして、自分の無力を思い知らされて落ち込んでしまうのです。世界を自分ひとりで背負っでいるかのような気負いがまだ残っているのでしょうね。
 この世に人として生まれ、多くの人の愛を受けて育ちながら、私は大罪人になってしまった。自分の生涯をふり返ってみると、私には人間として欠けるところがあまりにも多いようです。つらいけれど、このことは認めざるをえません。獄中の暮らしは、そのような未熟な私の魂を精錬する炉のようなものかもしれない。だとすれば、試練は、まだまだ続くのでしょうねえ。
 ▼ 差入れてくれたパンフ類は今日受けとりました(キタコブシ112号、プチの大通り71号、人民新聞2/5号、人権と報道連絡会ニュース201号、関西救援センター259号、減免訴訟書類コピー2点)。
サンキュー!!
 ▼ 将司の俳句は進境いちじるしいものがあるようですが、技巧に走りすぎていないかな。彼の良さである“木訥な田舎者”に徹した暖かな俳句を期待したい。
 荒井幹夫さんは亡くなったけれど、「プチの大通り」はこれからも続くのですね。71号には智子さんの文章がないのが淋しいけれど、そのうちにまた、お元気な様子に接することができるものと期待しています。死刑廃止運動にとって今は冬の時代ですが、必ず死刑は廃止できます。「死刑廃止は、この列島の支配構造を変えることなしには困難である」(キタコブシ112号・32ページ)のではなく、死刑廃止こそが、この列島の支配構連を変えるのです。人類め道徳的進歩へのささやかな貢献となることを信じてがんばりましょう。
         (ごましお通信79号より抜粋・編集)


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