益永利明さんの獄中雑記

支援連ニュース No.277


 ▼ K弁護士から届いた再審研の記録によると、東京地裁は年内には私と将司の第二次再審請求に対する決定を出そうとしているようです。再審開始となる見込みは小さいから、第三次の提起に向けて本腰を入れなければならないのです。
弁護団は、ほとんど間を置かずに次の再審請求書を提出する方針のようです。私自身は、あまり切迫感がなくて、多少の間があいても大丈夫だろうという意見です。その根拠は何だといわれれば、“勘”以外にはないのですがね。私は“勘”だけは鋭い方なのですよ。30年前、東ア〜のほぼ全員に公安刑事の尾行がついたのに、その尾行に気がついたのは私だけだった。そのことを思い出すと、他のメンバーの脳天気さに、いまだに腹立たしくなる(笑)。話が外れましたが、そういうわけで、これから年末にかけては、私の身辺でも色々と動きがありそうです。
▼ 刑の執行について今の私の気持をいえば……、私としては、30年間を全力で走り抜いてきたのだから、いつ刑の執行があっても悔いはない、というところかな。もちろん、生きることが許されるなら生きて償いたいと思うけれど、刑が執行されるのなら、それもまた、私が始めてしまったことに対するひとつの責任のとり方であり、私の闘いの完結の形になるのだろうと考えています。だから、“抵抗のための抵抗”はしたくない。生きるもよし、死ぬもよしという気持なのです(ただし、死刑廃止の主張は変わりません。私にとって、死刑廃止運動は自分が生きのびるための方便ではないのです)。数年前に同様のことを書いてF弁護士に批判されたことがあるけれどね。人の命を奪ってしまった当事者として現にそういう気持でいるのだということを、外の人たちには理解してもらえるものと思っています。
▼ 最近私の筆が重くなっているのは、右のような気持が強まっていることと関係があるのかもしれない。外部に向かって自分の主張を訴えたいという思いが薄れているのです。世の中が少しずつおかしくなって、明らかに戦争に向かって流されている時代に、それでいいのかとの思いも一方であるけれどね、かつてと同じテンションで語る気持にはなれないのです。30年前に逮捕されて全面的に自供した私は、その苦渋に満ちた総括を通して一度脱皮をした。30年後の今、私は二度目の脱皮をしようとしているのかもしれません。
▼ 投獄から31年を経て、これからの年月を何をめざして生きるべきなのか、従来の道の単なる延長でよいのか、等々の迷いも生じています。この揺れ動く気持について直に話し合える相手がいないのは淋しいことですね。
    (ごましお通信81号より抜粋・編集)


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