悔しくてなりません。
修治君の遺志を継いで
死刑廃止運動を
推し進めていきます。

支援運ニュース No.162


★「支援連ニュース」No.158('95年10月4日発行)で要請
した、名古屋拘置所に収監されていた木村修治君の死刑
執行阻止と恩赦の実現に向けての請願署名は、'95年10月
末には全国各地から四千名を超えて寄せられ、法務省に
提出されました。(「大きな手の中で」vol.47より)。しか
し、法相宮沢と法務官僚は、'95年12月21日、登記用拘置所
の篠原徳次郎さん、福岡拘置支所の平田直人さんととも
に修治君を処刑しました。彼とともに在りたいという全
国各地の友人たちの願い、そして、謝罪するためにこそ
生き直したいという修治君の意志と希望を踏み躙る実に
許し難いのもです。悔しくてなりません。
 修治君は、獄中者組合員として、かつまた、日本死刑
囚会議=麦の会のメンバーとして(死刑確定までの一年
余はその中心的役割を担っていました)、ともに死刑廃
止をめざし、獄中闘争を推し進めた同志でした。そして、
それだけではなく、プライベートな面でもかけがえのな
い友人でした。
 このように彼と強いつながりを持ち得たのは、彼が誠
実に自らの犯した事件と向き合い、その事件に至った原
因を剔抉し、虚飾に溺れていたかつての自らの有様を容
赦なく曝し出すという自己切開、自己批判の努力をし続
けたからです。反省すること、行き直すとはどういうこ
となのかを修治君は身をもって示し、矯正不能であり、
殺すしかないという国家の決めつけが誤りであることを
明らかにしたのです。
 その彼の姿勢は、獄中獄外の多くの友人たちとの結び
つきを実現し、誰もがいつの日にか彼が獄外に戻って共
に生きることを願いました。そして、彼のそうした生き
直しの努力は、死刑廃止運動を力づけ、その前進に大き
く寄与しました。修治君が死刑廃止運動のシンボル的な
存在であったと言っても過言でないほどに。
 そういうことから考えると、今回、政府、法務省が修
治君を処刑したのは、死刑廃止運動に敵対し、冷水を浴
びせようとしたものに他ならないことが明らかです。し
かし、修治君は処刑されるまさにその瞬間まで、強い死
刑廃止の意志をもって、自分の処刑を最後のものにして
ほしいと希いました。彼のその思いは、政府、法務省の
思惑を打ち破り、死刑廃止運動の火を掻立てるでしょう。
 無念のうちに国家に殺された修治君に深い哀悼の意を
表するとともに、彼の意志を継いで、断乎として死刑廃
止運動を推し進めていくことを、ここに明らかにしたい
と思います。
               '96・1・10 大道寺将司


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