大道寺将司君の今日このごろ

支援運ニュース No.167


★166号で、利明君の文を読みました。164号のぼくの文は、
民主主義の規に従おうとしない者への異端審問のような
利明君の批判にむきになり、いささか粗っぽいものでし
た。反省しています。さて、以下は補足と応答です。
 「発想は一国主義的」について。利明君が日本人のエ
ゴイズムを是認する考えに転向したのではないというの
はわかりました。時々、利明君の発言が為政者の立場か
らなされるように思えたり、政治や経済を日本一国内に
切り縮めているように思えたので疑問を呈したのです。
 「擬制の民主主義」について。自明のことなので書か
なかったのですが、天皇制が存在している以上、日本が
民主主義社会とはいえないでしょう。天皇制とは即ち王
制であり、その成立から不平等社会を前提にしており、
出自による貴賎差別や民族差別、性差別を固定化し、再
生産する民主主義原理とは反する社会体制だから。天皇
は戦前のような権力を握っているわけではないが、天皇
制が不平等社会の淵源であることに変わり内でしょう。
なお、擬制の民主主義と書いたのは、利明君の発問のよ
うに独裁か民主主義かの二者択一ができないからです。
従って、真の民主主義社会ではないのだから武闘は正当
化されるなどと短絡化しようというのではありません。
 「対人攻撃」について。狼時代、対人攻撃の意志をは
っきりと持っていたのは虹作戦=天皇列車爆破作戦だけ
だったでしょう。三菱商事社長攻撃計画は虹作戦の失敗
から急遽浮上したが、結局敢行しなかった。それは、単
に困難だったからではなく、ヒロヒト以外の対人攻撃へ
の逡巡があったからではなかったか。そして、改造拳銃
や短刀を準備したのは、具体的な対人攻撃のためではな
かったはずです。ぼくが疑問を呈したのは、誰よりも利
明君が虹作戦以外には対人攻撃の意志を持っていなかっ
たのではないかということです。
 「武闘の道義性の根拠」について。沖縄やホームレス
排除も武闘の道義性の根拠になると書いたのは、利明君
のように独裁体制下でしか武闘は許されないとは考えな
いということです。例え、民主主義社会でも、また、豊
かな社会でもその埒外に弾き飛ばされる人たちがいます
(都会で餓死した親子を思い出して下さい)。その人た
ちがやむにやまれぬ思いから闘いに起ち上がることはあ
るし、それが武闘の場合だってあるかもしれない。また、
その埒外に置き去りにされる人たちとその闘いは、国境
を越えて生まれるでしょう。その時に、民主的な手続き
を踏めというのは彼らの反日闘争への敵対でしかないで
しょう。(残りはまた。)’96・6・25 大道寺 拝

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