大道寺将司君の今日このごろ

支援運ニュース No.172


★丸岡君とゆきちゃんが笑顔で再会というのは予想が外
れたけど(二人とも涙もろいので)、よかった。不本意
な情況とは言え、丸岡君の出廷自体が危ぶまれていただ
けに。判決も遠くないようですが、なによりも、この冬
を無事に乗り切ってほしいと念じています。
★支援連ニュース170で、利明君は、ぼくを「独裁権力者」
と批判しているけど、感情的になりすぎているのではな
いかな。武闘、反日、そして、それらを支持する者への
嫌悪と反発の強さの現われなのだろうとは思うけど。
 利明君は、「武闘それ自体がある種の権力の行使」で
あり、「無制限の独裁権力者としてふるまうこと。それ
が彼の唱える反日武装闘争の本質」と書いています。し
かし、権力を定義するならば、支配階級が被支配階級を
抑圧・差別・搾取するために強いる力・構造のことでし
ょう(些か教科書的だが)。であるならば、被支配階級
による支配階級への闘い(含む武闘)を権力などとは言
えないでしょう。それ故、反日武装闘争の本質が、「無
制限の独裁権力者としてふるまうこと」という結論がな
ぜ導き出されるのか理解に苦しみます。論理的正確さを
重んじようとしているはずの利明君らしくないのではな
いかな。
 武闘を推し進める者には「大きな責任が嫁せられる」
のは当然です。革命のためには何をやっても許されるな
どということはないし、ぼくもそのような主張はしてい
ません。ただ、その責任が、「国家権力に課せられるの
と同等の政治的、法的責任」となると、結局、武闘は否
定されるべきだということなのでしょうから同意するこ
とはできませんが。
 なお、シャコに指摘されて気付きましたが、以前、沖
縄などが武闘の根拠になると書いたのは、“それが武闘
を惹起しても不思議はないと思う”ということです。そ
れを根拠にして武闘をやるべきだなどと言ったのではな
いので誤解しないで下さい。ぼくは無責任に武闘を煽る
つもりはないし、また、武闘だけが闘いだなどと考えて
いるわけでもないことを強調しておきます。シャコの言
うように、武闘以外にすることはあるし、また、武闘を
しなくても問題が解決されるのであれば、それに超した
ことはないのだから。
 蛇足になりますが、武闘は、十分な上にも十分な準備
を積んだ上で行なわれるべきであり、計画性もなしに、
一時的な憤激から行なわれるべきではないですね、かつ
てのぼくたちの敗北や三菱重工爆破の誤りを教訓にして
もらいたいと思います。   '96・11・24 大道寺拝
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