大道寺将司くんの今日このごろ

支援連ニュース No.248


★『昭和天皇』(ハーバート・ビックス著:吉田裕監修
:講談社刊)は、昭和天皇裕仁の、平和主義者で、「囚
人同様無力」な「意思なき君主」像が、戦争責任を免れ
るためのまったくの虚妄であることを完膚なきまでに明
らかにしています。
 昭和天皇裕仁は、「意思ある元帥」として、中国侵略
戦争の開始とその拡大、マラヤ、ベトナム、フィリピン、
インドネシアなど東南アジアへの侵略、そして対米開戦
を直接的に主導しました。つまり、裕仁は、南京虐殺に
も、三光作戦にも、重慶などへの戦略爆撃という名の無
差別爆撃にも責任を有しているのです。
 また、裕仁は、南西太平洋海戦などでどれほどに日本
軍が敗北しようと戦争継続を主張し、その結果、アメリ
カ軍の原爆や焼夷弾投下によって、沖縄、広島、長崎、
更には六〇以上の都市の何百万人もの住民を罹災させま
した。
 裕仁にとって護持すべきは三種の神器、皇位の継承、
国体であって、民衆が一〇万人死のうが、二〇万人死の
うがなんの痛痒を感じることもなかったのです。一九七
五年の訪米後の記者会見で広島への原爆投下について聞
かれた際、「…こういう戦争中であることですから、ど
うも広島市民に対しては気の毒ではあるが、やむをえな
いことと私は思っています…」と返答したことからもそ
れは見て取れます。
 ところで、既に死没し、代替りした天皇の戦争責任を
何故今更問題にする必要があるのでしょうか。
 何となれば、日本人が加害責任を忘れ、否認する原因
が裕仁の「延命」にあったと考えられるからです。
 裕仁は、戦争責任の一切を東条ら一握りの軍閥に転嫁
し、東京裁判で追訴されることを免れました。日本人は
こぞって天皇こそが戦争を遂行した最高責任者であるこ
とを知っていましたから、その天皇に戦争責任がないと
いうのであれば、どうして下々の自分たちが責任を負っ
たり、感じたりしなくてはならないのかと考えたことで
しょう。こうして、日本人は裕仁を平和主義者で、「囚
人同様無力」な「意思なき君主」とみなすことで、自ら
もまた「共犯」的に、被害者に仕立てあげたのです。
 だからこそ、昭和天皇裕仁の虚像をつき崩し、その犯
罪を別抉することには意味があるし、また、靖国神社に
参拝して恥じない小泉のような者を首相に戴いている以
上、それはしなくてはならないことなのです。

★シャコの出獄が間近です。長すぎたけれどよかった。
心身をいとうて欲しいと念じています。
              '03・4・27 大道寺将司

MASASI  HOME
inserted by FC2 system