大道寺将司くんの今日このごろ
支援連ニュース No.261
★手もとに出しそびれたハガキがあります。「昨日は三
〇度を超えたのだとか。暑いはずです。一転して今日は
肌寒いほどです。気温の変動が大きいですね。お元気で
すか。ゆきちゃんの判決内容は朝日新聞で知りました。
一審より軽くならず残念ですが、無期は許さなかったの
だからよしとしましょう。すぐにか、時間をおくのかわ
かりませんが、どちらにせよ彼女は下獄します。淋しく
なりますが、でもアラブに行ったきり生死もわからなか
った頃のことを思えばなんでもありません。一日も早く、
元気に出獄して、仲間のもとに復帰するよう念じるばか
りです。また書きます。お元気で。'04・5・12」宛先は
母親の大道寺幸子です。一二日朝、既に母が他界してい
たことを知らず、ぼくはこんなハガキを書いたのです。
五月一九日に母は面会に来る予定であり、亡くなった
当日も、九日付の“面会に行く”という便りが届いてい
たのですから、突然のことに茫然とするばかりです。
もっとも微細に顧れば、退院して半年ぶりに面会した
際、母は痩せ細って胸を突かれるほどでしたし、亡くな
る数日前に、酸素吸収力が落ちているので酸素吸入を始
めたようですから、突然というのは、予期できなかった
ぼくの感じ方なのかもしれません。
茫然ということでは、母と何時間かの違いで荒井幹夫
さんがお亡くなりになったこともです。幹夫さんには逮
捕されて以来支えていただきましたし、母にとっても彼
は同志とも恃む人だったでしょう。荒井幹夫さんのご冥
福を心から祈念します。
ぼくは、東アジア反日武装戦線“狼”の一員になるこ
とを決めた時から、親の死に目に会えないことは覚悟し
ていましたが、父に続き、母の訃音も獄中で受けること
になるといささか落ち込みます。救いがあるとすれば、
逆縁にならなかったことだけですから。
母は父の死後、故里を離れて東京に移り住んだのです
が、以来反日支援だけを行なったのではなく、死刑廃止
運動に、それも六〇歳になろうかという頃から積極的に
参加し、およそ人前で話すことなどできない人だったの
に、集会での講演や法廷での証言、そして、内外のメデ
ィアとのインタヴューを続けました。その行動力からど
れほど触発されたかわかりません。
母に心残りがあるとすれば、愚息の行末もさりながら、
これまでに出会い、支えていただいた方々に、最期の挨
拶ができなかったことであろうと思います。そこで僭越
ながら、母に代り、謹んでこれまでのご好宜を感謝しま
す。ありがとうございました。
’04・5・31 大道寺将司