大道寺将司くんの今日このごろ

支援連ニュース No.265


★刑事被告人として法廷に立った経験から、ぼくは刑事
裁判についてはわかっているつもりでいましたし、また、
逮捕されて悪鬼羅刹の如くに書き立てられたので、事件
報道、裁判報道は鵜呑みにせず、マスメディアが悪罵を
投げつければつけるほど眉に唾してきました。
 しかしながら、ぼくもオウム非難の陥穽に落ちていた
ことを、『麻原を死刑にして、それで済むのか?』(渡
辺脩著・三五館)を読んで気付かされました。
 麻原被告の一審弁護団長でった著者は書きます。麻原
被告は、一連のオウム事件(坂本弁護士一家殺人事件、
松本サリン事件、地下鉄サリン事件など)の実行を指示
したという「刑法上の『共謀』の責任」を問われて逮捕
・勾留・起訴されたが、この「刑法上の謀議責任」は彼
が教祖の地位にあったというだけでは成立しない。それ
なのに、彼が教祖だというだけで「謀議責任」があった
とするのが世間一般の風潮ではないか、と。
 たしかに、マスメディアは麻原被告の刑事責任を前提
にして論を進めました。幹部信徒が何人も死刑になるの
だから教祖が死刑になるのは当然であり、麻原被告が主
犯なのは自明の理である、と。
 検察はより徹底しているというべきか、オウムの宗教
性を否定して「テロ集団」だとし、麻原被告は教祖です
らなく、「テロ集団」の頭目だから「謀議責任」がある
のは言うまでもないと決めつけたようです。
 しかし、著者が言うように、麻原被告の刑事責任は、
彼が一連のオウム事件の実行行為者ではない以上、彼が
実行行為者に指示、命令し、あるいは共謀したのかが明
らかにされない限り問われるべきではありません。
 しからば、一審公判で、麻原被告の「刑法上の謀議責
任」は立証されたのだろうか? 著者は、それを示す証
拠はなかったと確信します。オウム事件、麻原彰晃と言
いさえすれば、何を言い、何をしても反対されないとい
う社会環境が、麻原被告を断罪したのだ、と。
 ぼくは検察の主張に与したわけではありませんが、マ
スメディアの報道に、特に、法廷記事に毒され、麻原被
告には刑事責任があり、死刑判決は出るべくして出たと
見なしてきました(死刑制度・判決の是非は別にして)。
 法廷記事がオウム・麻原憎し、早期極刑という風潮を
背景にして、それに阿るものとしてあったのに、批判で
はなく、受け容れてしまっていたのです。
 テロだと言えばどんな弾圧も許されるような状況だけ
に、オウム事件、麻原裁判を把え返す必要がありそうで
す。
              '04・10・5 大道寺将司

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