支援連ニュース No.207

★チョット間借り 「活憲」  1999.11.7 丸岡修
1.護憲から活憲へ―積極的護憲―  

 同志浴田が9月号で「私はバリバリの護憲論者です」とかいたのに対して、将司氏が10月号で「憲法の理念を実践させることが大事というのはわかるが、天皇条項はどうするのか? 国民主権主義は? 非国民は排除されてしまうのか?」と書いています。
 将司氏の意図は多分、象徴天皇制は主権在民(私は「国民主権」とは書きたくない)は本質的に矛盾するのではないか、天皇の存在を認めると天皇制反対論者は排除されるのではないか、だと思います。そして、象徴という形で天皇制を認めている現憲法を護るというのはおかしい、ということなのでしょう。でも一応は、浴田も「象徴天皇制規定を除く」と書いています。
 社民党の土井委員長が、10年前に旧社会党の委員長だった頃、護憲集会において土井さんの憲法論に対して、会場から「天皇制を支持するのはおかしい」と声が出た時に、「憲法を守るということは、国民主権が前提の象徴天皇制をも守るということです」と強く断言していました。社会党としてはそう言う以外にはないのです。でも元首化には反対しています。
 将司氏と同じ思いの左翼は多い。私も象徴天皇制規定は廃止すべき派です。では改憲を唱えるのか。それはできません。なぜか。象徴天皇制支持が世論調査で8割と言われる状況で(元首化反対派を含む)、「改憲」を唱えれば、客観的には連中に都合の良い憲法改悪を支えてしまうことになります。
 現憲法は保守勢力が言うように米国に与えられたものではありますが(日本人民自らの意思で勝ち取ったものでない)、連合国にソ連も参加していた為に米国は社会主義に対する必要性が生じ、米国自体でも実現できない理想理念を憲法基準に盛り込みました。起草関係者に米国でのリベラル派が多かったことも幸いしました。日本軍国主義の徹底解体はソ連の要求でもありました。結果として、米国自体がすぐ悔むことになる第9条も盛り込まれました(日本の同盟国化の自信が米国にあれば、9条は無かった)。日本の旧勢力の天皇制への固執、それに日本の共産主義化を恐れたマッカーサーの思惑もあって、象徴天皇制として天皇制が生き延びました。
 故に、現憲法は進歩的ではあるものの反動性をも含んでいます。しかし、その進歩性を拡大発展させながら反動の動きに対抗していくことは、日本の民主主義の実現、徹底化には非常に有効な武器たりえます。何せ憲法なのですから。
 日本人民の意識が高まり、進歩派が充分に強くなったところで現憲法の反動的側面を変えていくのが、戦略的な闘い方と思います。他の手段は革命かクーデターしか無いのですから。進歩勢力内で護憲か改正かでもめれば、漁夫の利を得るのは改悪派なのです。日本の左翼運動の弱さはここにあります。まずは、敵を最小限に、味方を最大限に!
 私は、現憲法を9条のために守るという護憲だけではだめ、と考えています。主権在民、平和主義、基本的人権の尊重の徹底化を求める「活憲」を提起すべき、と思います。

2.批判の前に正しく把握を

9月号の浴田の「民族主義批判」の展開の仕方は疑問。旧赤軍派議長の塩見孝也氏らと一水会の共同を批判したのだろうが、批判するなら先入観や感覚ではなく、彼らの主張を把握して書くべき。決めつけでは建設的な議論にならない。塩見氏らに「元左翼」というレッテルを貼るのは、75年に「東ア反日」の同志たちが犯した誤り「転向」のレッテルと同じではないのか。そして現在の一水会は、「日本は単一民族」とは言わず、少数民族の存在を認めている。新左翼諸党派は「それは左翼に接近するためのポーズだ」としているが、少くとも「単一民族だ」とは言っていない。批判するなら相手の意見もきちんと把握してから。(私に新右翼民族派との「共同派」というレッテルを貼らないように。私は「一線画し派」。塩見さんらの共同に懐疑的だが反対もしない。お手並拝見。)


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