支援連ニュース No.212


★長くなりますが、おいとまします!

2000.04.12 丸岡 修

 こんにちは!
 73年、77年の日航機ハイジャック闘争、旅券法違反で88年から裁判にかけられていましたが、先日3月28日付で1審、2審の「無期懲役刑」を認める「上告棄却決定」を受けました。私の無実主張は一顧だにされませんでした。(最高裁三小法廷)
  私は、ハイジャックは残念ながら無関与であり、「有罪」は全くもって不当なものです。これに対する怒りと悔しさを自らの闘いのエネルギーにして、下獄します。今日「決定」に対する異議申立てを棄却する4.11付の決定が来ました。これで完全に敗訴確定です。数日後に刑が執行されます。

1.私の現状
 私は、全く気落ちはしていません。そのような気配は微塵もありません。慰めは全く無用です。私は絶対に無実ですが、現在の日本の裁判所に何を期待できるのでしょうか。第1審において弁護団は、「証拠らしい証拠がなく、裁判所が有罪にするには困難。半分は勝てる可能性がある」と言っていました。客観的にはそうであったのです。私も3割ぐらいは「もしかすれば」と思いましたが、やはり日本の裁判所に何も期待できず、まして最高裁。最初から期待はゼロなので気落ちなどする余地はありません。目の前の現実の結果に対して、悲しんだり苦しんだりしても、事態は変わりません。ならば、暗く沈むのではなく、明るく開き直って、現実の苦難に対して前向きに挑む方が、人生は楽しいではないですか。一時代前の根性スポーツみたいに革命が苦しいものであってはなりません。革命も明るく楽しくやっていきましょう。
 私と看守たちの会話を紹介しましょう。担当職員や幹部以外は、大々的に報じられた訳ではないので、敗訴確定を知らない看守も多いのです。
 「私、裁判負けたの知ってる? 3月28日付で」
 「えっ、全然しらなかった。負けた顔をしていないし。で、何年?」
 「無期や無期。なぜか無期なのに未決算入が7年5ヵ月もついてる」
 「無期かきついなぁ。でも未決算入がそれだけあれば、10年も出るのにかからないよ」
 「私、法務省の言うところの『公安事犯』たよ。仮釈放なんかある訳ないんや」
 「あっ、そうか。……きついなぁ。まぁ、からだだけは気をつけて……」
 「なんで、あんたが暗くなんの。私は明るいのに。やられんのは私や。これも修行。それに住めば都。軍隊的生活はきらいではないし。殺される訳やないし」
 「まぁ、丸岡だったら大丈夫だな」
 という次第で、皆さん、私のことはどうかご心配なく。
 話が飛びました。

2.私の裁判
 私の裁判は全く無茶苦茶です。(1)「勝手によろけて」の公務執行妨害デッチアゲ違法逮捕の容認、(2)「証拠」の捏造の黙認(ドバイ闘争。リビア当局が発信してもいないICPO(インターポール)電文の捏造)、(3)目撃証言の重大な事実誤認(ドバイ、ダッカ闘争)。本当、頭に来ます! 1,2審共に丸顔の被告人を前にして、「犯人はアゴがとがり逆三角形の顔」とのたまい、犯人説否定の目撃証言は肯定より少ないから「犯人ではないとする証言は信用できない」とし、乗客が残した詳細な「犯人の似顔絵」は「犯人によく似ている(つまり丸岡ではないことを証明する)」とする証言が多いのに、それを認めると私の無実を認めることになるので、裁判所はわずか2名の乗客証言を採用し、似顔絵を否定しました。何とという裁判! 数々ある同一性否定証言を「同一だ」と言い替える裁判所。おまえらは、公安警察なのか、検察なのか! 要は治安弾圧機関なのだな!
 私に対する異常な重刑判決の目的は何なのか。他の各種ハイジャック事件の判決や、一般刑事事件での量刑基準と比較してみて下さい。刑の重さぶりは突出しています。
 判決の狙いは明白です。
 (1)日本赤軍による3回(73年も要求は出されていた)の獄中同志解放闘争への国家権力による報復。第1審判決で「刑事司法秩序、行刑秩序の根幹に影響」と明言し、重刑の根拠としています。報復の標的にされたのが、治安当局が勝手に「(軍の)最高幹部」に祭り上げた(笑)私であったということなのです。旧赤軍派議長の塩見孝也氏も無茶苦茶に「罪状」で「よど号ハイジャック共謀」も含めて起訴されましたが、求刑の「無期」に対して判決は「懲役18年」でした。もちろん、これ自体も極めて不当な判決ですが、私が受ける弾圧よりは少しソフトでした。敵対する国家権力にここまで恨まれれば、「革命家冥利」に尽きるのでしょうか。もちろん国家権力の側からのこんな「名誉」など願い下げです。
 (2)日本赤軍の闘いに対する国家権力の恫喝。見せしめのために、私が無罪か有罪かを問う前に、日本赤軍の者であることで「まず重刑ありき」なのです。
 これが、12年間の丸岡裁判の本質です。(もちろん、今後は再審請求で闘い続けます。)
3.さいごに
 私の場合、仮釈放は無いので(転向を迫られる限り私からは求めない)、現政権が人民政権にとって代わられるほどの大きな情勢変化がない限り、私は獄中で一生を終えることになります。しかし、87年に逮捕された時にその覚悟はできているので、精神的にどうということは全くありません。逆に元気です。日本が今後20年もこのままということは絶対に有り得ず、正々堂々と監獄から出てくる日はそれほど遠い未来ではなく近い未来でしょう。人生100年、私にはまだ50年ちょっともあるのです(笑)。その間に病気(慢性心不全)も治し、学修もし、社会不正とも闘い、常に現役の「革命家」でいられるよう自己変革に励みます。昨日を省み、今日を生き、そして3r明日を拓く。生き抜いて、生涯闘争です。
 それでは皆さん、21世紀に再会です! お互い元気でいましょう!

追伸
(1)貴『支援連ニュース』には、私の拙い文章を度々書かせていただき、本当にありがとうございました。おかげで多くの方たちとの直接的、間接的交流ができました。様々な意見もいただき、そして誌上で多くの方たちの考えや活動を知ることができ、私の狭い視野を広げて下さいました。貴誌及び読者の皆様に改めてお礼を申し上げます。そして、多くの方々によるご支援ありがとうございました。
 もう私の方からは、日本の監獄制度が改革されない限り、投稿することはできませんが、刑務所でも読むことはできます。「無期刑」の場合、社会運動関係の発行物を読むことについて当局の「指導(あまり読まないように)」があるらしいのですが、そのような制限をはねのけて読み続けます。今後もよろしくお願いします。
(2)私は、裁判結果(有罪判決)を決して認めません。今後は、再審にも頑張ります。弁護士や救援の方たちにあまり迷惑をかけられないし、負担もかけられないので、まぁぼちぼち、でもしっかりとやっていきます。その折りはまた、熱い応援をよろしくお願いします。
(3)獄中にある将司さん、利明さん、芳正さん、寿一さん、そしてゆきちゃん、それから旧「東ア反日」以外の獄中のすべての皆さん、明日への希望を失わず、元気でいて下さい。いつの日かお会いしましょう! 「死刑事件」で追われている国外の同志たち、捕まらないことも闘争です!
                       以上、多謝!


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