支援連ニュースNO.228

丸岡修さんの@宮刑たより

★やぁ! ニュース六月号(二二六)は、七月一一日に交付。いつも多謝! いざ自分の文章を活字で読むとそのまずさに赤面します。1日に約2時間しか筆記が許されず推敲ができないとしても(休日は、約7時間あるが実質は6時間)。七月号(二二七)に「直接に書くのはこれが最後」と大口を叩いたものの、もう少し書かせて下さい(七月号は未見)。
 寿一ちゃんの詩がでてる(私はエビ・カニはダメなので、シャコは使わない)。ごっつうええやん。詩人の内山登美子は言う。「核は言葉にすれば1行ぐらいのもの。それでは本人にしか分からないので言葉で補充する。核を生かすための補強がうまくいったときに、説得力があり、詩的リアリティーがある」。その見本のような詩やね。選者をして、「他の収容者たちの共感を得られる」と判断したのでしょう。詩も政治もおんなじ。人々の共感を得られるのか否か。私も見習わなあかん。
 私には99年秋から止まっていた「ゆうき凛々」を、先日J2がドサッと送ってくれはった。いやぁ、浴田節のオンパレード。「リポビタンD」のように励まされましたわ(さりげなく「ゆうき凛々」を宣伝、笑)。さて、本文に。
1、丸岡六月号文章
(1)弾圧についての第一項
 まず私が言わなければならないことは、この間の諸運動への弾圧をもたらしたものが我々旧日本赤軍であること。このことの謝罪抜きに、諸弾圧を第三者的に語ることはできない。私の時は、「何の証拠もなしに不当なガサ入れをやった」と言い切ることはできた。しかし、今回は「証拠」を与えてしまっている。そういったことには人一倍気をつけていたはずの重信同志が、その誤りを犯したということは、代表であるが故にそのままその組織実態を示す。七月号にも書いたが二度と繰り返してはならない誤りだった。将やんらに「路線転換で組織のタガがはずれた」と批判されれば、浴田同志ではないが「全くその通り」と言う他はない。私が口癖にしている「最悪事態を想定して最善を尽す」は、元は重信の言であって、「赤」のメンバー1人1人の心掛けであるはずなのだ。むろん、国内潜入発覚時の想定はしていなければならない。「赤」関係者への被害波及はやむをえないが、しかし、それ以上の被害を与えないというのが、丸岡被逮捕の教訓であったはず。
(2)浴田文章云々の第二項(八頁)
 「路線を得る(支持は別)ように書くべき」は誤植(原文では落ちていたかもしれない)。「路線の理解を得る(支持は別)……」。路線や考え方についての支持は求めないが、何を言っているのかを正しく知ってもらえる努力はすべき、ということ。
(3)将司氏意見云々の第三項(九頁)に追記
 「あんな捕まり方をしたのだから、重信さんは最初から逮捕されるつもりだったのだろう」と言う人たちもいるが、捕まるつもりだったら、身一つにしている。突然、空港で宣言するって。あるいはレバノンで。「赤」の保安原則に反する捕まり方というのは、捕まる予想を全くしていなかったからである。油断以外の何物でもない。路線と敗北の因は別(「敗北主義」とあるのは私が書きまちがえた)。私の時の教訓として、「事が順調に進んでいて、いつの間にか公安当局の力を過少評価してしまった」ことの誤りを書いたことがあるが、正にその繰り返しである。また「私の失敗を人ごとととらえるな。自分も同じ誤りを犯すと思え」旨を数年前の「ザ・パスポート」に書いた。この数年の我々のやられ方を見ると、全く教訓になっていなかったと言う他はない。私の知る重信はそういうことを承知している同志だったので、六月号は弁護的に書いた。しかし、本人もそういう弁護は望まないだろうし、彼女への批判と残る同志たちへの忠告として書いておく。
(4)支援連日誌・Kさんの指摘
 そのような意味で書いたんと違うのやけどなぁ。「重信帰国が国内状況を無視した突然の方針かのように浴田は書いているが、そうではなく20年前の既定方針にあったことは浴田も知っていただろう」という意味。国内の態勢づくりができなかったことを、「やるつもりだった」と言い訳してるんやないで。改めて、87年に私がやられたことは悔やまれる。いずれにせよ、外野だからこそ見えることもあり、指摘は大いにやってんか。
2、「同志解放闘争で「天皇の退位」を要求しなかった理由」(223号浴田裁判での田中宏氏証言に関して)
 日帝に抑圧された在日外国人の感情としては、そうでしょう。しかし、天皇問題をタブーにしていたからではもちろんない。「赤」の綱領では「天皇制廃止」である。しかし、「大使館占拠」や「ハイジャック」で天皇の退位や死刑廃止などを要求すれば、日本国家にとっては、「人質」を犠牲にしても受入れられない要求であり、作戦としては成功の確率が0%であるからである。そして、わずか数人の要求で仮に一時的に実現しても(全く有り得ないが)、それが「国民」の過半数の意思でない限り、本物にはならない。故に77年は「ハイジャック」の闘争声明と部隊自身による各国への機上メッセージで天皇制を弾劾。「虹」に続く反天皇制、反ファシストの闘争も将来的課題としていたが、そこまでの力を作ることができなかった。

(7月末記、家族あて手紙より)

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