再 審 請 求 補 充 書
                     請求人    大 道 寺 将 司
                     同      益  永  利 明

 右両名の爆発物取締罰則違反等被告事件再審請求事件について、弁護人は次のとおり
請求の理由を補充する。

一九九五年八月七日
                     右弁護人   舟 木 友 比 古
                     同      川 村     理

東京地方裁判所
  刑事 五部  殿

                記

 一、検察官「意見書」に対する反論
  1 「意見書」の要旨
    検察官の「意見書」の内容(「意見書」一六〜二三頁である。)を要約すると次
   のとおりである。

    @ 原判決は本件爆弾の主薬であるセジットSについて三回の爆発実験にことご
     とく失敗したことを十分に考慮に入れて判断している。
    A 請求人らは本件爆弾の爆発の不確実性と爆発した場合の威力の認識を混同し
     ている。
    B 雷管及び(雷管の周囲に充填した)白色火薬の爆発力によってセジットSを
     爆発させようとの意図があった。
    C 本件爆弾が完爆(セジットSを含めて)することを期待しかつ意欲して本件
     爆弾を製造、使用したことは疑いない。
    D 本件爆弾が完爆に至らなくともセジットSの相当部分まで爆発しさえすれば、
     天皇暗殺の目的あるいは三菱重工・三菱電機双方の同時爆破の企図を達しうる
     ほどに強大な威力の生じることを十分認識していたことは優に認定できる。
    E 本件爆弾の爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況を具体的に認識してい
     なかったとしても、多数人を死傷に至らせうることを十分に認識していたこと
     は明らかである。
    F 本件爆弾の爆発原因を特定するには限界がある。
    G 本件爆弾の爆発と威力の物理的・化学的メカニズムの認識まで必要とするい
     われはない。請求人らの見解は我国刑法の故意論を無視した独自のものである。
    以上の要約が「意見書」の全ての内容である。そして「結論」として、請求人ら
   の本件再審請求を「その実質は、再審請求に藉口した単なる原判決の事実認定に対
   する根拠のない非難に過ぎず」(「意見書」二二〜二三頁)と豪語しているのであ
   る。

  2 「意見書」批判
  (一) 先ず、「意見書」に対する率直な感想を吐露させていただきたい。これは法
     律家の主張ではない。生死をかけた請求人らに対し、先ずもって失礼である。
     請求人らはこんな「意見書」で答弁してもらうためにわざわざ再審請求したの
     ではない。これならは第一次再審請求における検察官の「意見書」の内容の方
     が読み応えがあった、まだましであった。
      「意見書」の本質的な特徴は、「証拠による」認定の前に、三菱重工爆破事
     件は請求人らに殺意がないはずはないという予断から出発していることである。
     その予断・偏見は「意見書」のいたるところに散見されるが、たとえば次のく
     だりに典型的である。

      「請求人両名は、本件爆弾の爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況を具
       体的に認識していなかったとしても、『本件爆弾の殺傷能力に応じて爆発
       地点付近に現在する多数人を死傷に至らせうることを十分に認識し』てい
       たことは明らかである。」(「意見書」一九〜二〇頁)

      「意見書」によれば、本件爆弾の爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況
     を具体的に認識していなくてもよい、多数人を死傷に至らせうることは十分に
     認識していたと主張するのである。しかし「爆発地点付近に現在する多数人を
     死傷に至らせうる」ことを十分に認識していたというためには「本件爆弾の殺
     傷能力」を十分に認識している必要がある。爆発地点付近において本件爆弾が
     爆発すれば、爆風及び物体の飛散・落下の状況がどのようなものになるのか具
     体的に認識していなければ、爆発地点付近の多数人を死傷に至らせうることを
     十分に認識していたとは言えないからである。ところで「本件爆弾の殺傷能力」
     とはまさに「本件爆弾の爆発による爆風、物体の飛散・落下」のことである。
     要するに、「意見書」は本件爆弾の殺傷能力の認識が本件の殺意の認定のため
     には不可欠であるのに、殺傷能力の内容である、本件爆弾の爆発による爆風、
     物体の飛散・落下の状況を認識していなくともよいと主張しているのである。
      これは殺意の構造の態をなしていない。本件爆弾の爆発による爆風、物体の
     飛散・落下を内容とする殺傷能力を度外視して、とにかく殺意だけは存すると
     強弁しているだけである。
  (二) そこで、そのような根本的欠陥のある「意見書」の内容を逐一検討してみる
     ことにする。
     @について
      「意見書」は原判決がセジットSの三回にわたる爆破実験がことごとく失敗
     したことを十分に考慮に入れて判断しているとして原判決を擁護している。
      しかし原判決二〇六〜二一五頁を詳細に吟味しても、請求人らがセジットS
     の三回の爆破実験が全て失敗したことが殺意、従って本件爆弾の殺傷能力の認
     識にどのように影響しているのか全く不明である。殺傷能力の認識の構造にお
     ける位置付けが全くわからないのである。とても「十分に考慮に入れ」ている
     とは思われない。ここで原判決の興味ある一節を特に引用してみよう。原判決
     は「被告人大道寺の居室から押収された『火薬と発破』(その六七頁以下の塩
     素酸爆薬の項に、セジット爆薬が摩擦・衝撃に対し鋭敏であることやその爆速
     などが記載されている)及びバインダーに編綴されているセジット爆薬に関す
     るメモ(それには、その製造中は比較的危険性が少ないが、爆力はかなり強い
     旨記載されている)の記載内容」(二〇七頁)に注目している。確かに『火薬
     と発破』・バインダーメモには原判決適示の内容が記載されている。しかし請
     求人らがその記載内容をどこまで理解していたかは疑問である。書籍・メモの
     存在と殺意の認識はあくまでも別次元のことであるからである。仮に請求人ら
     が記載内容を一応理解していたとしても、そのことから殺意、殺傷能力の認識
     があったとの認定が妥当する範囲はせいぜい、セジットが工業用製品である場
     合に限られるというべきである。工業用製品であればそもそも爆破実験する必
     要がないからである。
      しかし本件爆弾はその主たる爆薬が請求人らの手製によるセジットSを構成
     要素とするものである。手製の場合にはまさに爆破実験せざるを得ないのであ
     る。そしてセジット爆薬が実験において爆発したのかどうか(三回の爆破実験
     においては全て不爆であった。)が爆弾の威力認識に重要な影響を及ぼすので
     ある。手製の場合は爆発実験によってしか爆発による爆風、物体の飛散・落下
     の状況、即ち殺傷能力を経験できないからである。しかし原判決、そして「意
     見書」の立場は本件爆弾の殺傷能力の認識を度外視して、殺意を認定するあま
     りセジットの工業用製品と手製の相違を全く無視してしまったのである。
      さらに原判決は『火薬と発破』あるいはバインダーメモの記載内容である爆
     速・爆力の特徴はおよそセジット一般に妥当するかのように判旨しているがこ
     れは明らかに誤まりである。「再審請求書」二六〜二七頁で詳細に指摘してい
     るとおりである。要するに原判決が適示している爆速・爆力の特徴はニトロ系
     セジットの性能のことであったのである。従って、もともと原判決の摘示内容
     は本件爆弾のセジットSには無関係なのである。
      そうすると、原判決が請求人らの三回にわたるセジット爆破実験での不爆と
     いう事実を殺傷能力の認識の構造において十分に考慮しているとは到底思われ
     ないのである。
      「意見書」の内容が説得力に乏しいのも当然である。

     Aについて
      「意見書」は爆発の不確実性と爆弾の威力認識を混同していると論難してい
     る。これも@の主張と同類であろう。
      しかしこの主張も的はずれである。むしろ検察官に対し率直に質問したい、
     「手製のセジットSの場合その威力(殺傷能力)はどのようにして認識するの
     であろうか」と。セジットSの性能について記載した文献は昭和四九年当時皆
     無である。原判決が適示している爆速・爆力の特徴はいずれもニトロ系セジッ
     トの性能であることは前述のとおりである。そうすると手製セジットSについ
     ては爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況、即ち殺傷能力は爆破実験によ
     って経験認識するしかないのである。手製の場合は先ず製造工程が問題となり
     更には製造後の保管状態によってそもそも爆発するのか、爆発したとしてその
     威力・性能の程度は爆破実験によってしか確かめようがないのである。これは
     極めて常識的な事柄である。だからこそ請求人らは爆破実験それも三回にわた
     る実験を実施したのである。その実験結果は前述のとおり不爆であった。この
     ことは当然に殺傷能力の認識に重大な影響を与えるものである。与えないはず
     がないのである。
      「意見書」はしきりと請求人らが爆発の不確実性と爆弾の威力認識を混同し
     ていると吹聴しているやに思われるが、それは全くの誤解である。爆発するか
     どうかと、爆発した場合の威力の問題は確かに別次元のことである。なにも混
     同などしてはいない。問題は請求人らが開発した手製セジットSの威力認識に
     導く経験事実は何か、ということである。請求人らおよび弁護人が再審請求に
     おいて一貫して問題提起しているのはまさにこの点である。セジットS、しか
     も手製セジットSが爆発した場合の威力・性能に関する文献の類いは前述のと
     おり皆無である。そうであればなにはともあれ爆破実験してみるしかないであ
     ろう。この常識に従って請求人らは爆破実験したのである。その爆破実験の詳
     細な模様は「再審請求書」六〇頁以下である。そしてこの爆破実験の結果から
     得られた体験事実は本件爆弾の殺傷能力の認識に重大な影響を及ぼすのである。
     雷管は爆発しても手製セジットS本体は爆発しなかったのである。請求人らに
     とっては手製セジットSはこの程度のものでしかなかったのである。ところが
     原判決は前述のとおりニトロ系セジットの威力・性能をセジットSも含めてセ
     ジット一般の威力・性能と敢えて混同させているから、手製セジットSの爆破
     実験の結果は無関係というのである。しかしこれは誤りである。セジットS、
     しかも手製セジットSの威力の認識など昭和四九年当時誰もしていなかったこ
     とである。
      ところで、検察官に対して原判決の次の一節を指摘したい。原判決は「爆弾
     の威力について多数回の実験等によりその威力を確実に一定限度内にとどめる
     配慮・措置をとった」(二一三頁)かどうかを問題にしているのである。原判
     決は三回の実験でもいまだ「多数回の実験」には至らないというのであるが、
     しかし問題は「多数回」とは何回以上の回数をいうのであるかということでは
     ない。手製の場合は爆破実験は不可避なのである。請求人らは三回と爆破実験
     したがセジットSはおよそ爆発しなかったのであるからそれ以上の爆破実験は
     不要であったのである。そしてこの爆破実験の体験事実は本件爆弾の殺傷能力
     の認識に重大な影響を及ぼしているのである。

     Bについて
      「意見書」は請求人らには雷管及び白色火薬の爆発力によってセジットSを
     爆発させようとの意図があったと主張している。
      さて、請求人らはここで戸惑いを感じざるを得ない。「意見書」は明らかに
     雷管及び白色火薬とセジットSとの爆発メカニズムの認識を問題にしているか
     らである。検察官は第一次再審請求における「意見書」(平成元年七月二七日
     付)においての白色火薬は起爆感度が高いものであり請求人らはそのことを認
     識していたという主張であり(二五頁)、白色火薬の爆発力によるセジットS
     の爆発の認識については問題にしていない。そして本件(第二次)における
     「意見書」も一方では本件爆弾の爆発と威力の物理的・化学的メカニズムの認
     識は不要であるとも主張しているからである。そうすると「意見書」は内容的
     には矛盾しているとも評ぜざるを得ないのであるが、白色火薬とセジットSと
     の爆発メカニズム(そしてその認識)を問題にすることは洵に正当なのである。
     請求人らが再審請求において審理のやり直しを真に求めているのもまさにこの
     点なのである。
      即ち請求人らにとって手製セジットSの爆発と威力の認識は三回にわたる爆
     破実験が全てであった。手製セジットSが不爆のまま本件爆弾は製造され設置
     されたのが本件の三菱重工爆破事件である(正確には虹作戦(第一次設置)中
     止後の第二次設置のことである。)。手製セジットSの爆破実験の後本件(三
     菱重工爆破事件)に至る経過の詳細は「再審請求書」六六頁以下のとおりであ
     る。要するに、爆破実験においては不爆であった手製セジットSが本件(三菱
     重工爆破事件)においては爆発したのはなぜか、そしてその爆発による爆風、
     物体の飛散・落下の状況(これが本件爆弾の殺傷能力のことである。)を請求
     人らは認識(事前予測)していたのかがこの再審請求の主題である。そして請
     求人らには本件爆弾の殺傷能力の認識はおよそ欠落していた、少なくとも請求
     人らに本件爆弾の殺傷能力を認識していたと認定するには合理的な疑いが存す
     るというのが結論である。
      ところが「意見書」は白色火薬の爆発力によるセジットSの爆発を請求人ら
     は意図(認識していたという意味であろう。)していたと主張している。しか
     しその根拠が不明である。確かに本件爆弾はそれ以前の実験のものと次の二点
     において相違していた。第一に白色火薬を充填したことであり、第二に手製セ
     ジットSの製造工程が違っていたことである。「意見書」はそこで白色火薬の
     爆発力によるセジットSの爆発という意図(認識)があったと結論付けるので
     あるがそれが誤りである。白色火薬の存在から直ちにセジットSの爆発の認識
     とはならないのである。これが請求人らがこれまで第一次再審請求以来一貫し
     て追求してきた物理的・化学的メカニズム論である。セジットSが爆発するた
     めには先ずセジットSが粒状でなければならないし(これはセジット爆薬の絶対
     的条件である。本件爆弾以前の実験の時のいわゆるローソク状ではセジットは
     爆発しないのである。)、そして本件爆弾のセジットSが爆発(少なくとも
     「意見書」のいう「相当部分の爆発」)するためには白色火薬とセジットSが
     適合的に混じることが必要条件なのである(セジットSと白色火薬が層状(い
     わゆるサンドウィッチ状)に充填されてもセジットSの爆発は望めないのであ
     る。)。本件爆弾が爆発し一定の殺傷能力を有したのはこれらの諸条件を偶然
     にも満たしたがためであり、請求人らが白色火薬とセジットSの適合的に混合
     状態を認識していたことはないのである。従ってまた本件爆弾の爆発による爆
     風、物体の飛散・落下の状況(これが殺傷能力である。)即ち爆発によってど
     の程度の爆風が生ずるのか、物体(爆体あるいはビル構造物を指すのであろう。
     )がどのように飛散・落下するのか請求人らは全く認識していないのである。
     勿論正確に言えば請求人らは白色火薬の部分が爆発することは認識・事前予測
     していたのであり、爆発と威力の認識もその程度であったのである。請求人ら
     は手製セジットSと白色火薬との混合爆薬の爆破実験をおよそ実施していない
     からである。

     CDについて
      「意見書」は本件爆弾が完爆あるいはセジットSの相当部分まで爆発するこ
     とを請求人らは認識していたと主張している。しかしこれもBと同様である。
      請求人ら及び弁護人はこれまた検察官に対し率直に質問したい、「主張する
     ことは自由だが、その根拠はなにか。爆発・威力の認識問題についてはもっと
     科学的な資料に基づいて議論すべきではないのか」と。本件爆弾が完爆あるい
     はそれに近い爆発に至るにはいくつかの条件を満たす必要があるのであり(そ
     れが爆発のメカニズムである。)、その完爆あるいは完爆に近い爆発の認識の
     有無は爆発メカニズムの認識に左右されるのである。手製のセジットSと白色
     火薬をどの程度(量的)、どのように(質的)混合させれば、完爆あるいはそ
     れに近い爆発結果が生ずるのか、逆に言えば完爆あるいはそれに近い爆発を得
     るためには、手製のセジットSと白色火薬との量的、質的混合状態はどのよう
     なものであるか、が問題なのである。これを我々は「爆発メカニズム」と読ん
     でいるのである。
      本件爆弾は完爆かどうかはともかく「セジットSの相当部分まで」爆発した
     ものと推定されるが(本件爆弾がどの程度爆発したのか、その鑑定結果を示し
     たものは原判決の証拠には一切存在しない。)、その爆発のメカニズムは前述
     のとおり手製セジットSが粒状(そしてその粒状の程度が威力に関係してくる。
     )でなければならないこと、その手製セジットSが白色火薬と適合的に混合した
     ことである。そしてこの爆発メカニズムを請求人らが認識していたことはない
     のである。
      「意見書」はまた請求人らは本件爆弾が天皇暗殺目的を達しうるほどに強大
     な威力の生ずることを十分に認識していたとも主張している。確かに荒川鉄橋
     爆破事件は請求人らにとってもひとつのキーポイントである。しかし「意見書」
     が主張する荒川鉄橋爆破事件の理解は全くの誤りである。我々のこれまでの数
     年にわたるセジット分析研究の成果によれば、八月一四日(第一次設置)の時
     点では本件爆弾は完爆はおろか「セジットSの相当部分」の爆発にも至らなか
     ったのである。我々の予測ではせいぜい白色火薬の部分が爆発したにすぎない
     のである。我々が検察官に対し、もっと科学的な資料に基づいて論議しようと
     提案しているのはまさにこの点である。検察官の主張はほとんどが科学的裏付
     けがないのである。科学的資料(証拠)に基づかないで主張しても無意味であ
     る。この批判はそのまま原判決にもあてはまる。本件爆弾の威力(殺傷能力)
     の認識が最大の問題なのであるから、先ず本件爆弾の爆発・威力のメカニズム
     の客観的解明が先決なのである。しかし原審においてはこの客観的解明がおろ
     そかにされたのである(その詳細は「再審請求書」二三頁以下である。)。

     Eについて
      「意見書」は本件爆弾の爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況を具体的
     に認識していなかったとしても、多数人を死傷に至らせうることを十分に認識
     していたと主張するのである。
      「意見書」は遂に馬脚をあらわしたと評すべきものである。前述のとおりで
     ある。本件の殺意とは本件爆弾の殺傷能力の認識であり、殺傷能力とは本件爆
     弾の爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況のことである。そうすると爆風、
     物体の飛散・落下の状況が認識の対象であり、爆風、物体の飛散・落下の状況
     を具体的に認識していなければならないことは理の当然どある。しかし検察官の
     主張・見解はそうではないというのである。爆風、物体の飛散・落下の状況を
     具体的に認識していなくともよい、それでも殺意は存するというのである。検
     察官の主張によればおよそ爆弾を使用すれば殺意が認められることになろう。
     しかしこれは明らかに不当でてる。検察官の主張に従えば、白色火薬の爆発力
     によるセジットSの爆発の認識問題などおよそ論外ということになろう。
      請求人らは本件爆弾の殺傷能力の認識は全くなかったのである。爆発による
     爆風、物体の飛散・落下の状況は具体的にも抽象的にも認識していなかったの
     である。請求人らの本件の三菱重工爆破直後からの右往左往は端的にそのこと
     を示している。請求人らは本件爆弾の殺傷能力を夢想だにしていなかったので
     ある。

     Fについて
      「意見書」は本件爆弾の爆発原因を特定するには限界があると主張する。
      率直に申し上げたい、「いまさら何をいっているのか」と。
      検察官は第一次再審請求における「意見書」(平成元年七月三一日付)にお
     いては本件爆弾の爆発原因として、第一に爆薬の量が多量であったこと、第二
     にペール缶を使用したこと、第三に雷管に周囲に起爆感度の高い白色火薬を充
     填したことを「少なくとも次の三つのものが考えられる」(二五頁)と主張し
     ていたばかりである。それを撤回するという主旨か。
      本件爆弾の爆発原因の究明は我々にとっても最大の課題である。我々はこの
     数年をこの問題解明に心血を注いだと言うも過言ではない。それを「爆発原因
     の特定には限界がある」などと軽々に言ってほしくはない。検察官としてある
     まじき主張である。事案の真相を究明すべき客観義務を負う検察官はそのため
     にこそ人的・物的設備を擁しているのではないのか。我々の主張・科学鑑定を
     批判するのであれば、それを乗り越える資料を提出すべきなのである。爆発原
     因究明の放棄は許されないのである。
      二度と口にすべきではない。

 二 殺意認定の構造
  1 爆発・威力のメカニズム
  (一) 「意見書」に対する反論は右のとおりである。要するに「意見書」の主張は
     科学的な裏付けが薄弱であり粗雑にすぎる。原審は爆弾一般論・宿命論に傾斜
     して本件爆弾の爆発・威力のメカニズムをほとんど究明審理することがなかっ
     た。「意見書」も基本的にはこの原審の姿勢に依拠している。しかしこれは誤
     りである。
      本件爆弾が爆発し一定の威力・殺傷能力(爆風、物体の飛散・落下)が生じ
     たのは、セジットSの形状が粒状であったこと、そしてそのセジットSが白色
     火薬と適合的に混合したためである。「意見書」も白色火薬の爆発力によるセ
     ジットS(それも完爆とは至らないまでもそれに近い相当部分の)の爆発の意
     図(認識)を問題にしていることは前述のとおりである。「意見書」も結局の
     ところは我々と同様に、手製のセジットSと白色火薬との爆発メカニズムを問
     題にせざるを得ないのである。それではなぜこの爆発メカニズムを問題にせざ
     るを得ないのであろうか。それは請求人らの爆破実験、それも三回にわたる実
     験で手製セジットSは爆発しなかったことが問題の起点となっているからであ
     る。手製セジットSはそれほどまでに容易に爆発する爆薬ではないのである。
     そして更に重要なことはセジットSが爆発した場合、どのような威力・殺傷能
     力、具体的には爆風、物体の飛散・落下の状況が一体どのようなものになるの
     か昭和四九年当時誰も知らないのである。まして白色火薬との適合的な混合関
     係、その混合爆薬の爆発による威力・殺傷能力など請求人らには知る由もなか
     ったのである。
  (二) ところで本件爆弾の白色火薬の爆発力によってセジットSが爆発するために
     はセジットSは粒状でなければならないのである。手製セジットSの形状が請
     求人らの爆破実験の時のようにいわゆるローソク状であれば、セジットSは爆
     発することはないのである。請求人らの爆破実験の詳細は「再審請求書」六〇
     頁以下である。それではセジットSがローソク状であればなぜ爆発しないのか。
     我々はその不爆原因の原理的メカニズムをほぼ解明しえている。「再審請求書」
     を基礎付けている「鑑定書」(一九九二年九月二九日付)がそれである。「ロ
     ーソクのロウと同じく、パラフィンとワセリンは一旦溶融気化させるに至るだ
     けの熱が発生しないと周囲の酸素と反応できず、不断の熱供給を必要とする」
     ことである。要するにローソク状であれば不断の熱供給が受けられないからで
     ある。請求人益永が爆破実験の結末について「…セジット自体は大部分燃え残
     ってしまう状態」と述べていることの化学的解明がこれである。
      そうするとセジットSの形状がいわゆるローソク状か粒状かは爆発メカニズ
     ムにおいて重大な問題である。しかし検察官は原審において「そもそも被告人
     らが実験段階で製造したセジット爆弾の組成分、混合比率は本件セジット爆弾
     と同一であったと認められるから、セジット爆薬の性状がその都度固形であっ
     たり、粉砕状態であったりするはずがない。」(昭和五四年五月二七日付「追
     加意見書」)と豪語していたのである。反論するまでもなく誤りである。いか
     に請求人らの爆破実験の事実を軽視し殺意認定に汲々としていたかを如実に示
     しているものである。
      ここで我々が不思議でならないのは、検察官が何故セジットSをローソク状
     にして爆発の鑑定実験をしないのかという点である。爆破実験をしさえすれば
     直ちにセジットの爆発メカニズムの原理的部分が解明されるのである。ここで
     も検察官のセジットに対する科学的分析の欠落を指摘せざるを得ないのである。
  (三) そこで次の問題はセジットSの形状が粒状であるとして、その粒径の大小が
     本件爆弾の爆発・威力のメカニズムに影響しないのかである。「意見書」は前
     述のとおり白色火薬の爆発力によるセジットSの爆発(それも「相当部分の」)
     を問題にしているが、セジットSの粒径の違いが白色火薬とどのような化学的
     関係にあるのかという問題である。請求人ら及び弁護人が今回、再審請求理由
     の補充の必要を認めたのはまさにこの点である。本件爆弾は爆発し一定の威力
     (殺傷能力)を有したが、その威力(殺傷能力)はセジットSと白色火薬との
     適合的な混合状態に左右されるが、その適合的混合状態は結局のところセジッ
     トSの粒径の大小に帰着するのである。我々のこれまでのセジットSの分析解
     明からすれば当然の結論ではある。その詳細は後述のおりである。

  2 殺傷能力の認識問題
  (一) 原判決は爆弾一般論・宿命論に立脚して、場弾はおよそ多数人を殺傷する能
     力を有していることを殺意認定の前提としているがこれは重大な誤りである。
     爆発による爆風、物体の飛散・落下の状況は個々の爆弾によって当然に異なる
     のであるから、本件爆弾の威力・殺傷能力も本件爆弾のメカニズムに左右され
     るわけである。極めて常識的である。そして本件爆弾が一般には知られずしか
     も手製のものであるから、その爆発・威力メカニズムも極めて特異なものであ
     る。従って本件爆弾の殺傷能力の認識はその爆発・威力メカニズムの認識問題
     と同一なのである。だからこそ原判決も殺意認定の根拠として『火薬と発破』
     あるいはバインダーメモの記載内容を引用しているのであるが、それが根拠と
     はなりえないことは前述のとおりである。
      実際にセジットSの威力、殊に爆風圧の知識など一般に知られたものではな
     かった。勿論請求人らも知らなかったのである。
      原審において本件爆弾の爆発・威力メカニズムに関係する文字どおり唯一の
     証拠として「鑑定書」(甲二30)が存在する。「鑑定書」の内容は「…一方本
     件現場の爆心周辺の破壊力は広範囲にわたるが、破壊力を及ぼす要因である爆
     風圧力を考えると、硝安油剤爆薬とセジット爆薬は同薬量では同傾向の爆風圧
     力を示すことから本件爆弾の種類はセジット爆薬の如き性質を考えても矛盾し
     ない。」というものである。一見して奇妙な鑑定結果のものである。これは鑑
     定のための実験結果からは硝安油剤とセジットの区別がつかないというのであ
     ろう。当然である。硝安油剤はわが国において工業製品化されているがセジッ
     トは製造禁止されているのである。要するにセジット(更にはセジットS)の
     爆発・威力の知識など誰にもなかったのである。だからこそ捜査当局はセジッ
     トの爆発・威力について鑑定せざるを得なかったのである。
      しかしこの「鑑定書」(甲二30)の内容は極めて不十分なものである。この
     内容はせいぜいセジットSの爆風圧(鉛板ブラストメーター法による測定)で
     あって、白色火薬との混合爆薬の爆風圧ではないのである。捜査当局は既に請
     求人らの取調・自白によって本件爆弾がセジットSと白色火薬との混合爆薬で
     あることを知悉していたのであるから、何故その混合爆薬で鑑定実験しないの
     か極めて不可解なのである。
  (二) 請求人らがこれまでセジットSと白色火薬の爆発・威力の分析解明に心血を
     注いできたのは原判決に対する根本的批判がその出発点である。原判決は本件
     爆弾の科学的解明に熱意を示さなかったし、爆弾一般論・宿命論に依拠すれば
     当然のことではある。しかし原審の審理姿勢は誤りである。
      請求人らはセジットSと白色火薬の混合爆薬(本件爆弾の構成要素である。)
     の爆破実験は一切実施していないし、セジットSの爆破実験は三度も実施した
     がいずれも不爆の結末であつた。従って請求人らはセジットS(白色火薬との
     混合爆薬も含めて)の爆発威力・殺傷能力(これが爆発による爆風、物体の飛
     散・落下の状況である。)を抽象的にも具体的にも認識体験していないのであ
     る。請求人らにとって本件爆弾の爆発とその結果は予測の限りではなかった。
     何故爆発したのか、そして何故殺傷能力が生じたのか、その爆発・威力のメカ
     ニズムの解明は請求人らの殺意の不存在を裏付けるものなのである。

 三 新証拠の補充
  1 湯浅鑑定の位置付け
    捜査当局が本件爆弾の威力に並々ならぬ関心をいだいていたことは疑いのないと
   ころである。その詳細は「再審請求書」三六頁以下である。捜査当局は爆発による
   被害状況からしてこの爆弾の構造は一体いかなるものなのか、そしてその威力のメ
   カニズムはどのようなものなのかに公安警備の観点から深い関心をもったのである。
   極めて当然のことである。捜査当局もそれまでこのような爆発結果を経験したこと
   がなかったからである。
    ところで請求人らにとっても本件爆弾の爆発・威力メカニズムの分析解明は生涯
   にわたる課題となった。三菱重工爆破事件は請求人らのそれまでの爆弾知識体系を
   それこそ文字とおりふきとばす出来事となったからである。請求人らが原審以来一
   貫してこの課題を追求しているのはこの原体験のためである。
    そして我々が第一次再審請求においてセジットSと白色火薬(オージャンドル)
   の爆発原理の解明に着手したのがこの課題追求の具体化の始まりであった。それ以
   来、本件爆弾の爆発・威力メカニズムの解明は着実に進んでいると自負している。
   勿論その分析解明がいまだ不十分であることを認めるにやぶさかではない。
    そこで一連の湯浅鑑定の内容を概観すれば次のとおりである。
    @ 第一次再審請求の際は、セジットSは固形状(ローソク状)であれば燃焼し
     ない性質のものであり(パラフィンは気化しないと燃焼しない。)、白色火薬
     と層状にした場合白色火薬の燃焼熱がセジットSを気化させるに十分でないと
     セジットSは燃焼しない。粒状セジットSと白色火薬を混合した場合は白色火
     薬の燃焼にともなってセジットSも同時に燃焼することができるというもので
     ある。
    A 今次の再審請求においては、先ずセジットSと白色火薬との混合燃焼分析に
     おいてセジットSの比率が多くなると残滓重量も多くなり、セジットSの比率
     が八〇パーセント以上になると残滓重量は急速に増える(セジットSが一〇〇
     パーセントの時はそもそも燃焼しない。)ことが明らかとなった。
    B そして次にセジットSと白色火薬のとの混合爆薬を密閉状態で爆発させた場
     合の威力鑑定において、粉状セジットSの混合率が四〇パーセント程度以下で
     あればセジットSは全て爆発すると考えられ、四〇パーセント程度を超えると
     その一部しか爆発することができないと考えられるのである。セジットSと白
     色火薬の適合的な混合比率の限界値が四〇パーセントであるという具体的数値
     を初めて解明したのである。

  2 本補充書における新証拠
  (一) 検察官は前述のとおり「意見書」において、白色火薬の爆発力によるセジッ
     トの爆発(それも完爆あるいはそれに近い相当部分の爆発)の意図(認識)を
     問題にしている。検察官は請求人らにその意図(認識)があったと認定してい
     るのであるが、その認定は誤りである。
      しかし検察官の、白色火薬の爆発力によるセジットSの爆発の意図(認識)
     を問題にすることは洵に正当である。我々が本件爆弾、セジットSと白色火薬
     の混合爆薬の爆発メカニズムを最も問題にしていることと同じことであるから
     である。
      それは要するに次のとおりである。
      本件爆弾においては単に白色火薬が充填されて(雷管の周囲に)いるからセ
     ジットSの少なくとも相当部分までが爆発したのではないからである。セジッ
     トSが爆発し一定の殺傷能力が生じたのはセジットS(それも粒状である。)
     と白色火薬が適合的に混合したことによるのである。その混合率も四〇パーセ
     ント以下でなければならないのである。このような爆発条件を満たしてはじめ
     て本件爆弾は爆発し殺傷能力を生じたのである。
      そしてセジットSは白色火薬の適合的な混合状態をより一層綿密に分析すれ
     ば、セジットSの形状、即ち粒径の大小に帰結するのである。白色火薬は粉状
     であるから、適合的な混合状態とはセジットSの粒径の状態に左右されるので
     ある。
  (二) そこで弁護人はセジットSの粒径の大小が白色火薬との混合爆薬の爆発にお
     いてどのような威力の差異が生ずるのか解明することにした。
      この度も東京都立大学工学部湯浅欽史助教授にその鑑定を依頼した。
      その鑑定によれば、セジットSの粒径が小さくなるほど混合爆薬の威力は大
     きいという結論を得たのである。
      その理由はセジットSの爆発にはローソクの燃焼の原理と同様、パラフィン
     とワセリンを一旦溶解気化させるに至るだけの熱が発生しないと塩素酸ナトリ
     ウムの分解によって生じる酸素と反応できず、不断の熱供給を必要とする。そ
     のためセジットSは着火感度が低く立ち消えることがある。そうするとセジッ
     トSの粒径が小さく表面積が大きい方が着火感度の高い白色火薬によって発生
     した熱を受けやすく、着火に至るセジットSの量が増え、爆発による威力も大
     きくなるからである。
      極めて納得のいく理由である。さらに今回の鑑定ではセジットSの全粒子の
     表面積の総和が爆発威力(湯浅鑑定では走行体の走行距離として定量化されて
     いる。)と比例的関係にあることも推測させるのである。
      要するに、今回の湯浅鑑定もこれまでの一連の鑑定内容と完全に符合するも
     のなのである。

 四 結語
   以上のとおり、検察官の「意見書」の内容は誤りである。
   本件爆弾の爆発・威力のメカニズムの解明は本件の殺意認定において不可避の問題
  なのである。
   ところで、請求人ら及び弁護人はこれまでこの爆発・威力メカニズムを一貫して追
  求してきたのであるが、これまでの湯浅鑑定から得られたメカニズム論からすれば、
  本件爆弾、即ちペール缶の内部は八月一〇日、一一日に製造されて、一三日、一四日
  の虹作戦(第一次設置)を経て二九日、三〇日の三菱重工事件(第二次設置)に至る
  まで、一体どうなったのか、セジットSと白色火薬はどのように混合されたのか、こ
  れが我々に残された課題である。
   我々はある程度推測しうるのであるが、是非とも追実験しなければならない課題で
  ある。
   そこで更に、請求の理由を補充する予定である。

              添 付 書 類

   一 鑑定書                         一通
   一 鑑定嘱託書写                      一通


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