再   審   請    求   書

             〒一二四  東京都葛飾区小菅一―三五―一A
                      請求人        大道寺 将 司
             〒一二四  右同所
                      請求人        益永  利 明
                      右請求人両名弁護人
                      別紙弁護人目録記載のとおり
一九九三年 六月  日
                      右弁護人       川村   理
                      同          舟木  友比古
東京地方裁判所殿

 右請求人両名は昭和五四年一一月一二日、東京地方裁判所刑事五部(昭和五〇年合(わ)第一九二号等)においてそれぞれ死刑の言い渡を受け、昭和六二年四月二〇日右判決はいずれも確定したが、右請求人両名は次のとおり再審を請求する。

          請 求 の 趣 旨
 右請求人両名につき、それぞれ再審を開始する。
との決定を求める。

          請 求 の 理 由
一、再審請求の対象―三菱重工爆破事件
 1、請求人両名はいわゆる連続企業爆破事件の被告人であり、東京地方裁判所は請求人両名にそれぞれ死刑の判決(以下「原判決」という。)を宣告した。原判決は請求人両名につきいくつかの「罪となるべき事実」を認定しているが、請求人両名がここに再審請求の対象とするのはそのうち、いわゆる三菱重工爆破事件である。
 2、原判決は三菱重工爆破事件について次のように「罪となるべき事実」を認定している。 「……被告人大道寺、同片岡(請求人益永のことである。―引用者)は大道寺あや子、佐々木とともに、治安を妨げかつ人の身体・財産を害する目的をもって、右三菱重工ビル正面玄関前路上に爆弾を仕掛けて爆発物を使用する共謀を遂げるとともに、佐々木の予告電話が通じないときはもちろんのこと、通じたとしても、五分間という短時間では、爆発地点付近の建物内及び道路上に現在する多数人を完全に退避させることは不可能に近いから、右爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体、損壊する建造物等の破片及びガラス片の飛散または落下等爆弾の殺傷能力に応じて爆発地点付近に現在する多数人を死傷に至らせうることを十分認識しながら、それも構わないとの意志を相通じ、被告人大道寺、同片岡の両名において、同月[八月]三〇日午後零時二五分ころ、…三菱重工ビル正面玄関前歩道まで自動車で運搬した前記第四の犯行[荒川鉄橋天皇特別列車爆破共謀・殺人予備事件]で使用の予定であったペール缶爆弾二個[塩素酸ナトリウム約九〇パーセント・ワセリン約三パーセント・パラフィン約七パーセントの割合で混合したセジット爆薬を主薬とし、これに塩素酸ナトリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割合で混合した白色火薬、塩素酸ナトリウム約六〇パーセント・砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した白色火薬及び塩素酸カリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割合で混合した少量の白色火薬とを加えた爆薬を、二十数キログラムずつほぼ等量に、一個の容量約二〇リットル余の金属製ペール缶二個]にトラベルウオッチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させ、同日午後零時四五分に爆発するようにした時限式手製爆弾二個を、被告人大道寺が、前記玄関前フラワーポットの横に置いて装置し、同日午後零時四五分ころ、これを爆発させ、もって爆発物を使用するとともに、右爆発により、死亡の可能性のある……被爆場所に居合わせた清涼肇ら八名を……爆死させるなどして殺害し、同様死亡の可能性のある……被爆場所に居合わせた村田英雄ら一六四名……に対しては、……創傷を負わせたにとどまり、殺害するにまでは至らず、負傷の可能性のある地域たる被爆場所に居合わせた……杉山喜久子に対しては…傷害を負わせた」(三五〜三八頁頁
 そして原判決は右のとおり認定した「罪となるべき事実」に爆発物取締罰則一条、殺人罪、殺人未遂罪、傷害罪を適用している。
 3、しかしながら原判決が認定している「罪となるべき事実」は真実ではない。事実誤
認である。請求人両名には殺意はなかったのである。「罪となるべき事実」のうち、「…右爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体、損壊する建造物等の破片及びガラス片の飛散または落下等爆弾の殺傷能力に応じて爆発地点付近に現在する多数人を死傷に至らせうることを十分に認識しながら」(傍点―引用者)という部分が再審請求の対象である。原判決は爆弾それ自体の認識ではなく、当該爆弾の殺傷能力(爆風、物体の飛散・落下など)の認識を問題としているのである。そうすると当該爆弾が爆発したとすればどの程度の爆風が生起するのか、物体の飛散・落下はどの程度のものになるのかという物理的・化学的解明と、請求人両名がこの点についてどのように認識していたのか、がどうしても避けては通れない問題となるのである。
 ところで請求人両名は設置したペール缶爆弾二個(以下「本件爆弾」と言うこともある。)が爆発すれば爆風、物体の飛散・落下の状況がどのようなものになるか分からなかったのである。正確に表現すれば、少なくとも三菱重工爆破事件の被害状況を事前に認識していたことはなかったのである。だからこそ請求人両名らは事後、事態に右往左往し(たとえば犯行声明の取扱)、終いには青酸カリ入りのペンダントを首にかけるまでに至ったのである。請求人両名にとって三菱重工爆破事件はぬぐい去ることのできない十字架となったのである。
 請求人両名は三菱重工爆破事件について原判決が認定した殺意につき再審を請求するものである。
 なお、請求人両名は一九八八年九月一日再審(第一次)請求した。しかしそれに対する棄却決定は凡そ納得できないものであった。再度、再審請求するのはどうしても裁判官に理解してもらわねばならないからである。
二、これまでの裁判経過
 1、原判決
  (一) 原判決の認定理由
 原判決は右のとおり「…右爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体、損壊する建造物等の破片及びガラス片の飛散または落下等爆弾の殺傷能力に応じて爆発地点付近に現在する多数人を死傷に至らせうることを十分認識し」云々と「罪となるべき事実」を認定した理由を述べている。
   (1) 原判決は先ず、本件爆弾の構造から説明をはじめる。
「(本件爆弾は)塩素酸塩系の混合爆薬二十数キログラムのもの二発という多量の爆薬を用いた大型の爆弾であったこと」「起爆力を高めるために起爆装置に雷管を用いたこと」「爆発力を強めるため、数種の混合爆薬を用い、その充填の方法にも工夫をして塩素酸カリウム系の爆薬を雷管の周囲に充填したこと」「弾体となる容器に気密性が高く頑丈なものを用いたこと」を本件爆弾の構造的特徴として挙げている。(「原判決」一七九〜一八〇頁)
   (2) 次に原判決は本件爆弾の客観的威力と称して爆発による被害状況を説明している(「原判決」一八〇〜二〇五頁)。原判決は被害状況・死傷状況を各区域ごとに説明して、結論として爆心地(三菱重工ビル正面玄関前フラワーポット横の地点)から約一〇〇メートルの地点(日本郵船ビル東側路上)でも死亡する可能性のある区域であったとしている。実際、八名の致死者がでたが負傷した一六四名は「運よく生命を失うまでは至らなかった」(「原判決」二〇五頁)にすぎない旨判示している。
   (3) そして原判決は請求人両名が「(本件爆弾の)威力に応じた結果の発生することを、当然認容していた」(「原判決」二一三頁)ことの根拠として次のような事項を摘示している(「原判決」二〇六〜二〇八頁)。「昭和四六年初めころから爆弾製造を試み、数回にわたる爆弾の爆発実験を行なっていて、その改良に努力したことが窺えること」「すでに…四件の爆破事件を実行して爆弾の威力を知っていること」「爆弾教本『腹腹時計』を執筆して手製爆弾について相当高度の知識を有していたこと(右『腹腹時計』の中には、「砂糖で代用した火薬は五キログラム単位ぐらいで使わないと威力は望めない。塩素酸カリウムを主剤にした火薬・爆薬を混合し併用するならば、より良い結果を引き出しうる。なお、対人殺傷用で確実にその人間に接近して爆発させられる場合は、この十分の一程度でよい。」旨記載されているし、なお、一般的な問題ではあるが、爆弾を対人殺傷用に使用することも考慮していることが窺われる)」「本件爆弾の威力の認識については…『火薬と発破』…及びバインダーの編綴されているセジット爆薬に関するメモ…の記載内容」「何よりも本件爆弾はもともと天皇特別列車を荒川鉄橋で爆破して天皇を暗殺する目的で製造された(もの)」「爆発力を高める工夫をしたこと」
 更に原判決は右に摘示した事項に符合する請求人両名及び共犯者らの供述調書(いずれも検面調書である)をいくつか引用している。その供述内容の趣旨は、請求人両名が本件爆弾の威力について「かなり大きい」ものと認識していたというものである。
   (4) 原判決は本件爆弾の使用状況として、平日の白昼、人通りの多い都心丸の内ビル街の路上に設置されたのであるから請求人両名が本件爆弾の爆発の結果を十分認識していたはずである旨判示している。
   (5) 原判決はビルの窓ガラス破片が通路側に落下したことについて、請求人両名が『火薬と発破』の「爆風ははじめに大きなプラスの圧力を持っているが、そのあとにマイナスの圧力を持った領域が続く、そして時間的には後者の方が長い。」と記載され、圧縮相と吸引相の爆風圧力の変化が図解により説明されているところを読んでいたとすれば、割れ残っていたガラス片が室外(通路側)に飛散するという理論面まで知っていたことになると判示している(「原判決」二二六〜二二七頁)。
   (6) 原判決は予告電話について「五分前に予告電話が通じたとしても…退避連絡、その退避行動、交通制限措置等がとれる可能性は極めて低く、ほとんど不可能に近いことは明白である」から、請求人両名が「確実に退避させて被害が及ぶことを回避できることを考えていたとは到底認められない」(「原判決」二三三頁)と判示している。また本件爆弾表面の警告表示についても、警告の効果はない旨判示している。
  (二) 認定の構造
   (1) 原判決は右のとおり殺意認定の理由を鏤々説明し、弁護人が主張した殺意の不存在を根拠付ける事実についてことごとく否定している。ところで原判決の説明には法則的ともいえる特徴をいくつか指摘することができる。
    (ア) 原判決はとに角「爆弾は本来多数人を殺傷する威力を有する」との説明を繰り返していることである(たとえば二二二頁)。そして爆弾の本来的性質論に符合するものとして本件爆弾による死傷・被害状況(原判決はこれを「客観的威力」と表現している。)を詳細に説明している。
    (イ) 爆弾が本来的に殺傷能力を有しているとの前提のもとに、原判決は本件爆弾の威力の認識について「厳密には判らない面」(二二四頁)が存してもかまわない旨繰返し判示している。認識すべき範囲を限定しているのである。
    (ウ) そうすると原判決にとって殺意認定の問題は、結果回避のために「その威力(原判決の説明からすれば「客観的威力」即ち結果のことである。)を確実に一定限度内にとどめる配慮・措置をとった」(二一三頁)か否かだけが問題となる。そして原判決は本件においてそのような配慮・措置をとっていなかったことを繰返し判示しているのである。
   (2) 原判決は殺意認定の理由を約六〇頁にわたり延々と説明しているがその構造を分析・検討してみると極めて単純なものである。
 要するに、爆弾は本来的に殺傷能力を有するものであり従ってその威力について厳密に認識している必要はない。結果回避のための配慮・措置をとったかどうかが問題である。本件においては予告電話はその配慮・措置とはいえないというのである。
 2、控訴審判決
 控訴審判決は、殺意の不存在を主張している控訴趣意に対して文字どおり原判決の判旨を踏襲している。「もともと、爆弾は、強大な破壊力と殺傷能力を有するものであるから、爆弾を都会地や会社の事務所等に仕掛けて爆発させることは、付近に人が居れば当然その死傷の結果が予想されることであって、右の結果発生を防止するための特段の措置を講じた場合は別として、そうでない限り、死傷の結果を当然認容していたことを意味する。」(一―四)というのである。
 従って被告人(請求人)・弁護人の「本件以前に手製雷管を起爆装置としたセジット爆薬の爆発実験をした際、雷管が破裂したのみで、セジットは雷管の周辺にあるものが燃えただけでそのまま残る状態であったことから、本件セジット爆薬の威力を過少に認識していたこと」「本件セジット爆薬が爆発によって強力な威力を発揮したのは、たまたまセジットを缶体に詰め込む方法が適切であったことによるものであること」「被告人らは、本件セジット爆弾の爆発による爆風圧が爆心地から一定距離以上離れると猛度の高低の差よりはるかに小さい差しか生じないという本件爆弾の特質を全く知りえなかったこと」などの控訴趣意を、控訴審判決はことごとく排斥することになる。
 そして「もともと高層ビル街において爆弾を爆発させその被害が及ぶ範囲について実験した事例等はないのであるから、被害の範囲などを正確に予想することは困難であ(る)」(一―一〇)ことを認めながら、それでも発生した結果については当然認容していたと判示している(傍点―引用者)。
 なお上告審は、事実誤認の上告趣意に対して適法な上告理由にあたらないとして一片の判断も示していない。
 3、再審請求審決定
  (一) 請求人両名は一九八八年九月一日再審請求した(東京地方裁判所昭和六三年(た)第六号)。
   (1) 請求理由の要旨は次のようなものである。
 先ず原判決が請求人両名に殺意を認定した理由を逐一詳細に引用して、その理由は恣意的であり思いつくまま事項を羅列しているにすぎず、およそ認定構造を欠落している旨を指摘している。
 原判決は本件爆弾の「構造」を説明しているがその際「起爆力を高めるため」あるいは「爆発力を強めるため」云々と付加している。これは本件爆弾の構造の客観的分析ではなく、原判決が殺意認定を容易にするために巧妙に工夫した理由付けである。また原判決は本件爆弾の爆発による被害状況を「客観的威力」と称して執拗に説明している。しかし「客観的威力」という用語法は誤解を与えるものであるし、被害状況それ自体が殺意(認識)を推認させるものではない。更に原判決は請求人両名の威力認識の根拠としていくつかの事項を摘示しているが、殺意認定の構造の中でどのような意味をもつのか全く不明である。殊に『腹腹時計』の記載内容、「セジット」に関する記載内容は本件爆弾には不適切である。
 原判決が殺意認定を誤ったのは、本件爆弾の物理的・化学的解明を放棄し爆弾宿命論に逃避したためであると指摘している。そして本件爆弾の構造的要素(爆薬、缶体、起爆装置)を逐一分析して、請求人両名らが三菱重工事件前の三回にわたる実験においてことごとく失敗したにもかかわらず三菱重工事件においてはじめて爆発したのは缶体・起爆装置にその原因があるのではなく、爆薬であるセジットS(「セジット」一般ではない。ニトロ化合物を全く含有していない「セジットS」である。原判決はこの点を故意に混同している。)の性状、延いては缶体(ペール缶)への充填方法にあったことを指摘している。本件爆弾の爆発はセジットSと白色火薬(オージャンドル)がペール缶内部で適合的に混じり合ったためである。本件爆弾の爆発はいくつかの偶然的事情が重なったためであり、請求人両名の認識を超えていた。本件爆弾の物理的・化学的解明は一九八八年七月一日付湯浅欽史作成の「鑑定意見書」によってはじめて基礎付けられたのである。
   (2) 検察官は再審請求に対し、平成元年七月二七日付「意見書」を提出した。その要旨は次のようなものである。
 先ず原判決と概ね同様の理由から請求人両名に殺意があったことは一点の疑う余地もない。そして請求人・弁護人は爆弾の爆発原因についての物理的・化学的認識が殺意認定の不可欠の前提であるとの見解に基づいているが、もともと爆発現象は複雑な化学的・物理的反応の過程であるからそれらを事前に正確に認識・予測することは極めて困難であり請求人・弁護人の見解は独自のものである。
 しかし仮に請求人・弁護人の見解に立脚するとしても、再審請求の理由である、固形状セジットと粒状セジットの爆発特性の相違は本件の殺意認定には何ら影響しない。それは本件爆弾の爆発原因としては次の三っの事項が重要であり、請求人両名はそれを認識していたからである。
    @ 犯行に使用された爆薬の量が、実験に使用された量より著しく多量であったこと
    A 実験の際は缶体としてピース缶等を用いていたが、犯行の際は強度の高いペール缶を使用していること
    B 実験の際はセジット爆薬のみを使用しているが、犯行の際は雷管の周囲に起爆感度の高い白色火薬を詰めていること
 そうすると固形セジットと粒状セジットの爆発特性の相違は本件爆弾の爆発原因の一つに挙げられるとしても、殺意認定を左右するものではない。従って「鑑定意見書」は殺意認定にとって関連性がなく無価値なものである。また「鑑定意見書」の鑑定方法は合理性が乏しいものである。
   (3) 請求人両名は「意見書」に対し、一九九〇年四月一六日付「再審請求補充書」を提出し反論した。その要旨は次のとおりである。
 原判決と同様の理由に対しては、原判決に対する批判がそのまま妥当する。加えて「意見書」が積極的に主張しはじめた爆発原因論に対して分析している。「意見書」の爆発原因論は科学的根拠に基づいているわけではない。従って再審請求の理由(湯浅鑑定)とは全く逆の主張となっている。湯浅鑑定によれば本件爆弾の爆発原因はセジットSの形状と、セジットSと白色火薬の適合的な混合状態であるが、「意見書」では白色火薬の力を分散させないように白色火薬を雷管の周囲に充填したことである。
 また「意見書」は湯浅鑑定を批判しているが、その批判は単なる誤解と物理・化学知識の欠如に基づくものである。「意見書」は爆発現象とは密閉状態・雷管が必要であるとの見解に立脚しているが、火薬は自らに酸素を放出する物質を含んでいることに特質があるのであって、開放状態だからといって空気中の酸素の供給を受けているわけではないのである。
  (二) 請求審は平成三年二月一八日、請求棄却した。その要旨は次のとおりである。
    請求の理由は二点に集約される。
   (1) 先ず請求人両名が手製爆弾について相当高度の知識を有していたことの根拠とされている『腹腹時計』の記載内容(具体的には「砂糖で代用した火薬は五キログラム単位で使わないと威力は望めない。塩素酸カリウムを主剤にした火薬・爆薬を混合し併用するならば、より良い結果を引き出しうる。」)が誤っていることの根拠として、「鑑定意見書」を挙げている。
 しかし「鑑定意見書」によっても「砂糖と木炭の燃焼性状は同程度である。」「木炭及び砂糖を可燃剤とした場合、燃焼剤としての塩素酸ナトリウムと塩素酸カリウムの性能は同程度である。」というにとどまり、『腹腹時計』の記載内容が誤りであるとは断じきれない。しかも原判決が請求人両名が相当高度の知識を有していると認定したのは『腹腹時計』の記載内容全体や請求人両名の爆弾に関する経歴などからである。
   (2) 次に、本件爆弾の爆発原因についてである。セジットSの実験はいずれも失敗したが、本件爆弾が殺傷する威力を発揮したのは製造工程においてセジットSが粒状となり、その後の運搬過程における振動などによって粒状化が進み白色火薬との混合が生じたための偶然の結果にすぎない。請求人両名の認識の範囲を越えていた。その証拠として「鑑定意見書」を挙げている。
 しかし「鑑定意見書」によっても「粒状のセジットSは固形状のセジットSより燃焼しやすい。」「固形状のセジットSと白色火薬を層状にした場合白色火薬の燃焼熱がセジットSのパラフィンを気化させるに十分でないとセジットSは燃焼しない。粒状のセジットSと白色火薬を混合した場合には、白色火薬の燃焼に伴ってセジットSも同時に燃焼することができる。」というにとどまり、このような単なる燃焼実験の結果は請求の理由である本件爆弾の爆発原因を裏付けるものではない。
 しかも爆発威力の認識においてはその爆発に至る物理的化学的条件の細部(傍点―引用者)についてまで正確に認識していることは不要である。仮に本件爆弾の爆発原因として請求の理由のごとき事由が加わったとしても、請求人両名らは爆発威力の強大な爆弾の製造を目指して種々工夫改良を重ねていたし、また本件爆弾がもともと天皇暗殺目的で製造されたものであることなどを総合すると、請求人両名の威力認識の認定に影響を及ぼすことにはならない。
 4、抗告審決定
   請求人・弁護人は直ちに即時抗告した。
 しかし、抗告審は本件爆弾の爆発作用の物理的・化学的条件、原因などについて請求人両名の事前の知識、認識とそわない点があったとしても、そのことは殺意認定に影響を及ぼさないとして棄却した。

三、争点の整理
 1、序
 請求人両名が争点としているところは明らかである。殺意の有無とその認定方法である。請求人両名は原判決の公判当初からそして現在も一貫して殺意の不在を主張している。それは三菱重工爆破事件の被害状況(爆破後請求人両名らがマスコミなどに接して知った)が想像を絶するものであったからである。予め用意していた犯行声明文の取扱いをめぐって右往左往し終いには青酸カリ入りのペンダントを首にかけるまでの過程を心理分析し洞察すれば容易にうかがい知ることができるのである。そして請求人両名らが悔悟と焦燥の中で絶えず堂堂巡りしたのは、多数の死傷者をだすほどあのペール缶爆弾が爆発したのはなぜかというその一点であった。請求人両名らはセジットを発見しその開発実験にとりくんだが、三回の実験はことごとく失敗したのであった。
 ところで本件爆弾の威力に衝撃を受けたのはなにも請求人両名らに限ったわけではなかった。公安警察・検察当局も本件爆弾の構造とその威力に深い関心をもったのである。
 たとえば荻原嘉光証人(科学警察研究所に勤務し三菱重工爆破事件の鑑定に従事した)は先ず本件爆弾の爆発による漏斗孔の問題に関心をもち「ダイナマイトとかカーリットとかそういった工業爆薬というものは非常に猛度が高い、したがってもし工業爆薬で推定される薬量で爆発した場合には大きな漏斗孔が生じなければならない」「三菱重工の爆破現場をみて見ますと…しかし広範囲で破壊が生じている割に漏斗孔があまり大きくない…そういう疑問が出(た)」(二五回公判)と証言している。それまで多くの爆弾事件の捜査に従事してきた同証人にとっても三菱重工爆破事件はかなり特異なものであった。爆弾事件はそこで設置・使用された当該爆弾の特定とその構造の究明が第一義的に重要である。これが鉄則である。同証人は三菱重工爆破事件に使用された爆弾(殊に爆薬の種類)を特定しようとしたが容易ではなかった。三菱重工爆破事件では破壊力と漏斗孔の比例関係が妥当しなかったからである。同証人の専門的知識によっても本件爆弾の特定はできなかったのである。それほどまでに本件爆弾は希有なものであった。同証人が本件爆弾を特定しえたのは請求人両名らの逮捕後である。請求人両名らの自白によってはじめて本件爆弾がおそらく本邦初の、いわゆるセジット爆弾(正確にはセジットSとオージャンドルの混合爆弾)であることが判明したのである。同証人はようやく本件爆弾の構造・威力の物理的・化学的解明の糸口を得て、その後(本件爆弾の)模倣爆弾の四、五〇回の爆破実験(二五回公判)に従事することになったのである(同証人の鑑定の過程については後に詳細に述べる。)。これも爆弾事件としては極めて異例のことである。
 本件爆弾がいかに特異なものであったかは、誰しも肯かざるを得なかったのである。
 2、原判決批判
  (一) 本件爆弾は極めて特異なものである。本件爆弾はその存在と威力において特異なものである。
 本件爆弾は「セジット爆弾」といわれているが、正確にはセジットSと白色火薬(それも塩素酸ナトリウム、黄血塩、砂糖を混合したものと塩素酸カリウム、黄血塩、砂糖を混合したものの二種類である)の混合爆薬である。
 ところでセジットS、白色火薬は一般に「塩素酸塩爆薬」(あるいは「塩素酸塩混合火薬」)と呼ばれているが、我が国では製造禁止されているものである。原判決が殺意認定の理由の際に引用している『火薬と発破』(昭和四六年一一月に第一版第一刷が発行されている。その後も内容的には全く変更されていない。)六八頁には「ニトログリセリンと同等の摩擦感度があるために、塩素酸塩爆薬はわが国では製造を禁じている。また使用を禁止している国もある。」と記載されている。そして塩素酸塩爆薬は「セジット」「白色火薬」「スプレンゲル火薬」に類別され、セジットSはセジットの更に一種類(ニトロ化合物を含有しないもの)であり、塩素酸カリウム、黄血塩、砂糖を混合したものは白色火薬のうち「オージャンドル火薬」と呼ばれていることがわかる。しかし塩素酸ナトリウム、黄血塩、砂糖を混合したものは特に記載されてはいない。また原判決が殺意認定の際に引用している「バインダーに編綴されているセジット爆薬に関するメモ」の原典である『火薬技術者必携(第3版)』(昭和三六年に初版、昭和四四年に改訂版、昭和四七年に第3版が発行されている。)四〇頁には「わが国ではこの種の爆薬は、その製造を許されていない」と記載され、塩素酸塩混合火薬として「シェジット」「白色火薬」「スプレンゲル爆薬」を挙げている。
 そうするとセジットS、オージャンドルは一般に知られていないものである。先ず製造禁止されているのであるから、工業製品化されたものが存在していない(輸入すれば別であるが、一般に知られたものではないことに大差はない。)。従ってその外形的形状さえ知られていない。セジットS、オージャンドルそのものの形状(固形であるのか粒状であるのか、色彩、質量感)、薬包さえ知られていないのである。先の『火薬と発破』には製造禁止と謳っているためであろう、製法については全く記載されていない。また昭和四九年当時、我が国において爆薬・火薬について最も体系的かつ詳細な学術書とされていた『工業火薬ハンドブック』(工業火薬協会編―昭和四一年に初版発行され、昭和四九年八月時点では初版二刷であった。)にはおよそ塩素酸塩爆薬の記載は一行もない。セジットS、オージャンドルの性質、製法に関する記載は全くないのである。製法について記載しているのはわずかに先の『火薬技術者必携(第3版)』のみである。それとて「シェジット」の製法についてわずかに三行である。「80℃前後に加温とれたヒマシ油にニトロ化合物を加え約55℃に冷却してから乾燥粉砕した塩素酸カリウムを加えて混合し冷却し成形して紙筒につめる」(四一頁)というのみである。製品化された形状がどのようなものであるか明らかではない。只同頁には「シェジット」の「保存」として「薬包紙筒を溶融パラフィンにつけて防湿加工をする。またニトロ化合物にニトロセルロースとニトログリセリンを加えてゼラチン化し成形して保存する。」と記載されている。しかしそれでもセジットSそのものの形状は明らかではないのである。オージャンドルの製法については『火薬技術者必携(第3版)』にも記載されていない。
 セジットS、オージャンドルの威力についてもほとんど明らかではないのである。原判決が引用している『火薬と発破』六七頁には「塩素酸塩が分解し酸素を遊離する速度が急激なために、この爆薬は威力は大きい」と記載してある。そしてその具体例として02Modifie(ニトロ化合物を含有するセジットの一種類である。)の性能を挙げている。それによれば密度一・三の場合に、比容積三三五l/kg、爆発熱一一八五Kcal/kg、爆発温度四五〇〇℃、爆発速度三〜四〇〇〇m/secである。ところで爆弾(爆薬)の威力比較として爆風圧力もその要素のひとつである(前記荻原証人も鑑定あるいは証言(二五回公判)において爆風圧力を重要視している。)。そうすると爆風圧力は比容積(l/kg)の問題である。02Modifieの比容積は三三五l/kgである。そこで『火薬と発破』の「黒色火薬」の項をみてみると、「一般の爆薬に比べて威力は小さい」(六三頁)とされる黒色火薬の比容積は三〜四〇〇l/kgとされている。爆風圧力を比較すれば、セジットの一種である02Modifieの方がむしろ威力が小さいともいえるのである。しかもこれは02Modifieの場合である。セジットSの場合は02Modifieの場合より更に威力が小さいとも推測されるのである。(02Modifieは改良型である)。いずれにしてもセジットSについてその性能・威力の記載は全くないのである。オージャンドルの性能・威力についても同様に記載は全くない。『火薬技術者必携(第3版)』にも威力の具体的な記載がないのが当然であろう。
 ましてセジットSとオージャンドルの混合爆薬について、その性能・威力について記載している文献はおそらく皆無である。
 本件爆弾の威力についても一般に知りえないものである。
  (二) 原判決は本件爆弾の特異性について全く考慮していない。むしろ原判決は本件爆弾の特異性について意識的に回避し無視しようとしているのである。
   (1) 原判決の殺意認定の理由は先に引用したとおりである。しかし原判決が殺意を認定した理由は「理由」というには首をかしげざるを得ないものである。それは問いを以って問いに答えるというタウトロジーの類だからである。請求人両名も三菱重工爆破事件とされる発生した結果(多数の死傷者、建物等の損壊)自体は概ね争ってはいない。争点は結果に対する認識(故意)の有無である。しかし原判決の「理由」をみれば、「本件爆弾の客観的威力」と称して本件爆弾の爆発によって発生した死傷状況・物的被害状況を約二五頁にわたり執拗に詳細に説明している。これはまさに発生した結果である。「結果」に対する認識の根拠がまた「結果」であるというのである。これはもはや「理由」ではない。
 特に負傷状況について説明する一節は象徴的である。「爆心地から最も遠く約一〇〇メートル以上も離れている日本郵船ビルの東側路上を歩行していた菅沼純一(番号155)も、本件爆発によって破損し大量に落下したガラス片を左側頭部に受けて裂傷を負い、一五針も縫合しており、入院当初二、三日は意識も断続的であり、入院一週間を含めて加療四週間(実際上治癒までには約四〇日間)を要する頭部裂傷の重傷を負い、同人は、もし頭頂部に落下ガラス片が当たっておれば陥没骨折に至ったであろうと供述しているほどであって、ガラス破片の落下の勢いがどのようなものであったか推測できること」(「原判決」二〇一〜二〇二頁)「路上等にいた判示被害者らは運よく生命を失うまでに至らなかった」(「原判決」二〇五頁)云々。確かに三菱重工爆破事件は痛ましいかぎりではある。しかし原判決はなにも民事損害賠償請求の慰謝料の算定を審理しているわけではないのである。被害者の事件後の治療過程まで殺意認定の理由にするのは異常である。原判決はもはやファナテックになっているのである。
 原判決も勿論、「本件爆弾の客観的威力」のみを殺意認定の理由としているわけではない。原判決は「本件爆弾の威力についの被告人大道寺・同片岡らの認識」として威力認識について判示している。これがまさに本件の争点となるべき問題である。原判決は先に引用したとおり、いくつかの事項を摘示している。請求人両名の爆弾に関する経歴、知識、本件爆弾に対する改良工夫を挙げている。
 しかし原判決の摘示する事項(殺意を裏付ける間接事実)を全て認めるとしても、原判決が「本件爆弾の客観的威力」と称する内容の「破壊力の強烈さ」「見るも痛ましい凄惨極まる損壊状態」を認識・認容していたと認定するのは余りに疑義がありすぎはしないか。請求人両名の率直な疑問である。刑事訴訟法が要求している「合理的な疑いを入れない」証明まで達していないのではないか。原判決は三菱重工爆破事件の「罪となるべき事実」においては「…右爆弾の爆発による爆風、飛散する弾体、破壊する建造物等の破片及びガラス片の飛散または落下等爆弾の殺傷能力に応じて爆発地点付近に現在する多数人を死傷に至らせうることを十分認識し」と認定している。そうすると問題は、本件爆弾の殺傷能力(爆発による爆風、飛散する弾体、損壊する建造物等の破片及びガラス片の飛散また落下)の認識である。原判決が摘示している間接事実では、仮にそれが真実であっても、殺傷能力の具体的内容である爆風、物体の飛散・落下の状況まで認識していたことにならないのではないか。これが請求人両名が再審請求する根源的理由である。
   (2) 原判決は本件爆弾の殺傷能力の具体的内容として、爆風、物体の飛散・落下を挙げている。そうであれば、爆風、物体の飛散・落下の具体的状況が問題となるはずである。本件爆弾が爆発すれば、どの程度の威力が生ずるのか、爆風の程度、物体の飛散・落下の程度が問題となる。要するに本件爆弾の爆発と威力のメカニズムが問題である。それは本件爆弾の物理的・化学的解明のことに他ならない。
 原判決は「罪となるべき事実」においては本件爆弾の殺傷能力とその認識を判示しながら、「理由」においては殺傷能力の具体的内容に全く触れていないのである。殺意を認定した「理由」が著しく説得力に欠けるのは結局この点に帰結するのである。いわゆる爆弾事件の客観的考察とは当該爆弾の構造・性能、威力のメカニズムの究明である。これが本質的部分である。これを前提として、殺意の有無が判断されなければならない。原判決にはこの客観的考察が全く欠如しているのである。「本件爆弾の客観的威力」という項目も前述のとおり単なる被害結果のことである。本件爆弾の爆発・威力のメカニズムのことではないのである。従って、請求人両名の威力認識といっても、本件爆弾からはほど遠い、請求人両名の爆弾に対する経歴・知識といった皮相的な瑣末な事項を摘示することになってしまうのである。
 原判決は「昭和四六年初めころから爆弾製造を試み、数回にわたる爆弾の爆発実験を行なっていて、その改良に努力したことが窺えること」「すでに判示第一ないし第三の一、二の四件の爆破事件(記念碑爆破闘争のことである。)を実行して爆弾の威力を知っていること」「爆弾教本『腹腹時計』を執筆して手製爆弾について相当高度の知識を有していたこと」を殺意認定の理由として摘示している。
 しかし、これらの事項は本件爆弾の殺傷能力の認識にとって無関係ではないにしても余りに関連性が希薄なものではないか。これらはセジットSの性能・威力とはおよそ無関係であるからである。そして原判決が姑息であり恣意的であるのは、三回の爆破実験をしていること、しかも三回のいずれも失敗していることを主張しているにもかかわらず、この事実を無視していることである。そうすると原判決が殺意認定の理由として摘示している事項もかなり恣意的なものではないかという当然の疑義が生じてくるのである。原判決は殺意認定のためにそれに都合のよい事項を単に羅列しているにすぎないのではないかという疑義である。
 原判決は、「本件爆弾の威力の認識については」(「原判決」二〇七頁)として『火薬と発破』、バインダー・メモの記載内容、そして本件爆弾の製造動機(いわゆる虹作戦)、構造(爆発量、個数、混合爆薬、起爆装置、缶体など)を摘示している。勿論、これらの事項は本件爆弾と関連するものではある。しかし、問題は本件爆弾の爆発・威力のメカニズムの究明が前提である。本件爆弾の殺傷能力は本件爆弾の威力の大小・程度(定量)に左右される。そうすると本件爆弾の爆薬の種類・性能、数量、起爆装置、缶体など構造問題も爆発・威力のメカニズムの中で位置付けられなければならない。原判決の如く、本件爆弾の構造と称して単に事項を羅列してみてもほとんど意味がない。
   (3) 威力認識においては、本件爆弾の特異性が重要な意味をもっている。本件爆弾のセジットS、オージャンドルはその存在、威力の具体的内容が一般には知られていないものだからである。
 爆弾(殊に爆薬)の存在、威力が一般に知られている場合(たとえば製品であるダイナマイト)にはその認識はそれほど問題にはならない。一般論としても、その存在と威力について知識・認識が通俗化している場合(卑近な例は銃砲)にはその認識(たとえば殺意)が問題とされることは少ない。しかしその存在と威力が一般に知られていない場合には威力認識の認定は単純ではないし、また慎重にされなければならない。
 本件爆弾のセジットS、オージャンドルは一般には知られていないものである。そうすると三菱重工爆破事件以前に、本件爆弾、殊にセジットS、オージャンドルの存在・威力についてどの程度認識していたのかが不可避的な問題となるはずである。このような立論は決して独自なものではない。極めて常識的である。ところで請求人両名はオージャンドルの威力については風雪の群像爆破事件においてある程度認識していた。しかしセジットSについては三回の爆破実験にもかかわらず一度も爆発しなかった(その過程は後に詳述する。)。このことは極めて重要な事実である。セジットSに対する請求人両名の威力認識の内容を直裁に示しているからである。
 しかし原判決はセジットSの特異性と、請求人両名の認識内容を全く無視したのである。むしろ原判決はセジットSの特異性を回避し無視するために、「爆弾は本来無差別に多数の人を殺傷する威力を有する」(二二二頁)という爆弾一般論、爆弾宿命論に固執しているのである。原判決の殺意認定の構造は前述(二、1、(二))のとおりである。爆弾一般論、爆弾宿命論を当然の前提とすれば、本件爆弾の爆発・威力のメカニズムの認識は当然に不要となるはずである。せいぜい結果回避のための配慮・措置の有無の問題にすぎない。しかし殺傷能力、具体的には爆風、物体の飛散・落下の状況の認識が必要なのであるから、原判決の認定構造は根本的に誤っているのである。一般に、凶器使用による致死事案において、凶器を使用したことから直ちに殺意が認定されるわけではない。やはり当該凶器の構造・威力が問題になるはずである。
 原判決はしかし、本件爆弾、セジットSとオージャンドルの特異性を一切無視して、爆弾宿命論に固執したのである。
  (三) 物理的・化学的解明の欠如
 原判決の爆弾宿命論に依拠すれば、本件爆弾の爆発・威力のメカニズムを物理的・化学的に解明することは不必要であり無用のものとなる。原判決の「証拠の目標」を一覧すれば三菱重工爆破事件についていくつかの鑑定書が揚げられている。そして本件爆弾の構造・威力についても二、三の鑑定書が揚げられてはいる。しかし殺意認定の理由においては鑑定書をもとに本件爆弾の爆発・威力のメカニズムが分析された形跡は全くない。極めて希な判決というべきである。しかし当然であろう、原判決の爆弾一般論、爆弾宿命論は本件爆弾の物理的・化学的解明を放逐してしまったのである。原判決のこのような認定構造は明らかに誤りである。
 3、物理的・化学的解明の視点
  (一) 捜査当局は本件爆弾の構造・威力に当初から深い関心をもっていたことは前述の   とおりである。
   (1) 捜査当局は先ず本件爆弾の爆薬を特定しようとした。爆破現場採取物の分析を昭和五〇年一月一〇日鑑定嘱託した。同年六月一四日付鑑定書(甲二27)は「資料から塩素イオン、亜硝酸イオンおよびナトリウムが検出される。痕跡の塩素酸イオンの存在が考えられるけども確認し難い。」という鑑定結果である。この時点では爆薬の特定は不可能であった。
 昭和五〇年六月一〇日再び、爆破現場採取物の分析、爆薬の種類について鑑定嘱託している。同月一八日付(極めて短期間である。)鑑定書(甲二28)は「爆薬は硝酸系、塩素酸系、またはこれら両者が含まれる爆薬のいずれかと思われるが、現段階ではそのいずれであるか確認できない。」という鑑定結果であった。しかし鑑定経過を詳細に検討してみると、「経過」と「結果」の論理的結びつきは疑わしい。六月一四日付鑑定書(甲二27)では「痕跡の塩素酸イオンの存在が考えられるけれども確認し難い。」と結論を下しているのに、この鑑定書(甲二28)では「確認できないが痕跡の塩素酸イオンの存在も考えられる結果を得た。」として塩素酸塩系爆薬を無理やり本件爆弾(爆薬)の候補者としているからである。しかし、いずれにしても爆薬の科学的解明がなされたといえない。
   (2) 昭和五〇年一一月一〇日付鑑定書(甲二29)において突然、「爆薬の種類は被
害全般からみて、破壊力の大きい猛度大なる工業爆薬類と考えるよりは、むしろ、猛度の比較的小さい爆薬であると推定する。」という鑑定結果が出現する。一読してみてもこれが鑑定「結果」といえるのか疑義があるが、更に鑑定過程の記載が全くないため、そもそも鑑定の動機・目的が疑わしい。しかしそれでも捜査当局は本件爆弾の爆薬を特定したかったのである。
 ところが同日(一一月一〇日)付鑑定書(甲二30)がもう一通存在する。この鑑定書によって、捜査当局がこの六ヶ月余本件爆弾の構造・威力の究明に向けていかなる作業をしていたかがようやく判明するのである。鑑定の目的は漏斗孔の大きさと爆心周辺の破壊状況との関係である。前記荻原証人は前述のとおり三菱重工爆破事件についてこの点に関心をいだいたのであった。そこでいくつかの種類の爆薬を爆発させその際生じた漏斗孔と、三菱重工爆破現場の漏斗孔を比較するという方法に依ったのである。更にそれぞれの爆薬の爆風圧力を鉛板ブラストメーター法により測定する方法をとった。ところで実験爆薬の選定であるが、三号桐ダイナマイト、硝安油剤爆薬、それにセジット爆薬(塩素酸ナトリウム九〇、パラフィン七、ワセリン三の配合からなる即製混合爆薬)が使用された。なぜ実験爆薬としてセジット爆薬が選定されたのか鑑定経過からは明らかではない。しかし前記荻原証人によれば「本件に使用された爆薬がセジットの爆薬であるという疑いがあるという捜査側の資料があったものです」「セジット爆薬という一つの話を捜査側から出されております」(二五回公判)というのであって捜査側(ここでは公安当局のことである。)の示唆に基づくものであった。そうすると公安当局は鑑定による本件爆弾の探求の前に、本件爆弾(爆薬)を特定していたのである。勿論請求人両名らの自白に依拠したのである。そうするこの鑑定目的は自白の裏付け捜査の意味を別にもっていたのである。
 爆破実験の経過は同証人によれば次のようなものである(二五回、七一回公判)。実験の時期は(昭和五〇年)六月二五日と九月二〇日から三〇日までである。場所は群馬県の相馬ヶ原演習場である。セジット爆薬は日本カーリット株式会社に委託して製造してもらった。「ボロボロした固形物のようなもの」で同証人の所に届いた。鑑定書には一五回の爆破実験のデータが集計されているが実際には四、五〇回の爆破実験をおこなった。
 この爆破実験の結果の「考察」は「本件爆破現場の漏斗孔の直径と爆弾容器径の比から爆薬の種別を判断すると爆発猛度の小さい爆薬であると考えられ、これは工業爆薬の中でも猛度の小さい方に分類される硝安油剤爆薬よりも小さいと考えられる。一方本件現場の爆心周辺破壊力は広範囲にわたるが、破壊力を及ぼす要因である爆風圧力を考えると、硝安油剤爆薬とセジット爆薬は同薬量では同傾向の爆風圧力を示すことから本件爆弾の種類はセジット爆薬の如き性質を考えても矛盾しない。」というものである。
   (3) 捜査当局は本件爆弾について相当数の鑑定をしている。しかし本件爆弾の製造
・威力について意味のあるものは唯一、甲二30の鑑定書のみである。そのほかにたとえば本件爆弾の缶体とされるペール缶、点火装置に関する鑑定も散見されるが、本件爆弾の威力のメカニズムにどのような関連を有しているのか明らかではない。
 それでは唯一意味のある甲二30鑑定書は、本件爆弾の爆発・威力のメカニズム解明にとってどの程度の意義があるのであろうか。
 結論からいえば、それは本件爆弾の爆発・威力のメカニズム解明に向けられた一つの出発点でしかないということである。第一に、本件爆弾は単にセジットS爆薬ではない。オージャンドルも含んでいる。セジット爆薬を選定した理由が公安当局からの示唆に基づいていたのなら、請求人両名らの自白どおりの爆弾構造(殊に爆薬)に依拠すべきだったのである。この鑑定目的が自白の裏付け、追実験の意味をもっていたのであるからなおさらである。第二に、荻原証人が「条件がいろいろあってどんな同じものを何回やっても必ずしも毎回同じに出てくるわけじゃないんです。それほどいろいろな条件があるわけです。」(二五回公判)と証言している「爆発の条件」論である。これが要するに爆発・威力のメカニズム解明のことである。四、五〇回の爆破実験に立会した同証人にとってもセジット爆薬は未だ未解明として課題が残されていたのである。このことは請求人両名の再審請求にとって極めて重要なことである。請求人両名は三菱重工爆破事件前にセジット爆薬について三回の実験を試みている。しかし三回とも失敗しているのである(後に詳述するとおりである。)。そして四回目に爆発したのである。その爆発・威力のメカニズムを一貫して追求しているのである。
  (二) 捜査当局の本件爆弾への科学的解明の糸口を原判決は絶ち切ってしまった。原判
決の殺意認定の構造は前述のとおりである。原判決の爆弾宿命論は物理・化学的解明の必要性を放逐してしまうからである。従って原判決の公判においては前記の甲二30鑑定書の内容からほとんど進展していないのである。わずかに七一回公判(昭和五四年八月二〇日)の荻原証人尋問において、本件爆弾の爆発メカニズムが論議されたのである。
 その際、被告人(請求人)・弁護人はセジットの製造工程、缶体への充填方法をとりあげ、三回のセジット実験と本件爆弾の相違を争点とした。被告人・弁護人はこれを「装填密度」という概念で説明した。このことは本件爆弾の爆発・威力メカニズムの解明にとって重要な争点となるはずであった。しかし検察官のこれに対する見解は「そもそも被告人らが実験段階で製造したセジット爆薬の組成分、混合比率は本件セジット爆薬と同一であったと認められるから、セジット爆薬の性状がその都度固形であったり、粉砕状態であったりするはずがない。」(昭和五四年五月二七日付「追加意見書」(弁護人の鑑定請求に対するもの))というものであった。原判決の認定構造が本件爆弾の科学的解明に立脚していれば勿論、この争点は重要であった。しかし前述のとおりである。この争点を無視したまま原判決は昭和五四年一一月一二日宣告されたのである。
  (三) 請求人両名は原判決後も、本件爆弾の科学的解明を追求していた。殊に爆風の力学的解析を試み一定の成果を得た。
 確定後請求人両名は本件爆弾の爆発・威力のメカニズム解明に向けて基礎的研究に着手した。本件爆弾を構成するセジットSとオージャンドルの基礎的研究を開始し、燃焼実験を経てセジットSとオージャンドルの化学的解明を一応成し得たのである。セジットSに関する本邦初のものであろう。第一次再審請求は勿論これをふまえてなされたものである。再審請求の理由の要旨は前述のとおりである(二、3、(一)、(1))。これによって本件爆弾の物理・化学的解明はひとつの水準に達したと言ってもよい。請求人両名の本件爆弾はなぜ爆発したのかという根源的疑問に対するひとつの答えである。再審請求に対する検察官の「意見書」はまた違った爆発原因論を展開している(二、3、(一)、(2))。しかし検察官の爆発原因論は科学的根拠(証拠)に基づかないものと評さざるを得ない。たとえば原判決がこれまで本件爆弾の「構造」として特徴的に摘示していた事項をそのまま「爆発原因」としているにすぎないからである。しかしいずれにしても、本件爆弾の爆発・威力のメカニズム解明が基本である。
 ところが請求棄却した決定理由は「爆弾の爆発威力の認識においては、その爆発に至る物理的・化学的条件の細部についてまで正確に認識をしていることを要するものではない」云々と判示する。物理的化学的条件の細部とは一体何のことか。本件爆弾の爆発・威力のメカニズムは当該爆弾の核心的枢要部である。従って威力認識においても重要部分であり、細部では全くない。笑止千万である。請求人両名は満身の憤りをもって弾劾する。
 それがこのたびの再審請求である。
 4、殺意の認定構造
  (一) 原判決は前述のとおり、殺意を認定した理由を縷々説明している。本件爆弾の「構造」、「客観的威力」と称する死傷状況、威力認識を裏付けるとされる事項、本件爆弾の使用状況、ビルの窓ガラスの飛散状況、予告電話の効果を理由としている。しかし一読してみてもこれらが殺傷能力(具体的には爆風、物体の飛散・落下)を認識していた根拠にどうしてなりうるのか理解することができない。
   (1) 原判決はまず本件爆弾の「構造」を説明している。しかしそれは本件爆弾の構造の客観的説明ではない。請求人両名ら製造者の意図・工夫した事項の摘示である。そこで殺傷能力の認識根拠となりうるのか問題となる。具体的には爆風、物体の飛散・落下の状況、程度が「起爆力を高める」あるいは「爆発力を強める」ことの内容として一体どのようになるのかという問題である。それが本件爆弾の爆発・威力のメカニズムの問題である。しかしその具体的内容は一切明らかにされていない(もっとも、爆発・威力のメカニズムを明らかにする証拠はほとんどないのであるから当然のことではある。)。
 「客観的威力」と称する死傷・被害状況が殺傷能力の認識の根拠となりえないことは前述したとおりである。
 原判決は威力認識の根拠として、請求人両名の爆弾に関する経歴、知識などについていくつかの事項を摘示している。しかしこれらの事項から、たとえば爆心地から一〇〇メートル離れた地点での爆風、物体の飛散・落下の状況、程度を認識していたことになるのであろうか。やはりそのような認定はできないはずである。本件爆弾の爆発による結果と、認識の根拠とされる経歴、知識との間には大きな乖離がある。確かに『火薬と発破』、バインダーメモの記載内容があるが、爆風、物体の飛散・落下の状況、程度が具体的に明示されているわけではない。また『腹腹時計』の「対人殺傷用…十分の一程度」という記載内容も一般論にすぎない。請求人両名はそれまで対人爆破を実践したことはないし記載内容の真実性も疑わしいのである。
 本件爆弾の「使用状況」、ビルの窓ガラスの飛散状況も本件爆弾の爆発・威力のメカニズムとの関連において意味はある。しかし問題は本件爆弾が爆発すれば爆風がどの程度生起し、物体(弾体、建造物の破片、窓ガラス片など)の飛散・落下の状況がどの程度のものか、そしてその状況を請求人両名は認識していたのかである。そうすると原判決が判示している「使用状況」、窓ガラスの飛散状況では請求人両名の爆発・威力のメカニズムの認識を裏付けることにはならないのである。原判決は単に、請求人両名は認識・認容していたはずであるという結論に固執しているだけである。原判決は自らの立論を正当化するために「周辺のビルの窓ガラスが相当広範囲に爆風圧力等により破壊されることを予測していたものと推認できるし、本件の威力が厳密には判らない面があるとしても、……威力自体を限局する有効な手段も有していず……当然認容していた」(二二四〜二二五頁)と判示している。しかし本件爆弾の威力について請求人両名が認識していなかった(厳密にかどうかは別として)から威力限局のための手段もとらなかったのではあるまいか。このように理解する方が自然である。
 原判決は本件事案において殺意ありとの結論に固執しすぎたのである。
   (2) 原判決が殺意を認定した「理由」といわれるものを逐一分析・検討してみると、いずれも殺意の理由とはなりえないし、少なくとも重大な疑義がある。それでも原判決がこの程度の「理由」を以って殺意を認定しているのは前述した爆弾一般論、爆弾宿命論を前提にしているからである。むしろ原判決は爆弾一般論、爆弾宿命論に支配されてしまったのである。
 しかしこの立論は殺意認定において根本的な欠陥をもっているのである。原判決にとって「爆弾は、本来無差別に多数の人を殺傷する威力を有する」(二二二頁)ことが立論の出発点である。しかしこの出発点において重大な誤りである。第一に、爆弾が「爆弾」と名がつけばおよそ無差別殺傷力をもっているということはありえない。爆弾の威力は「あの」爆弾、「この」爆弾と個別具体的に測定されるのみである。従って爆弾の威力(たとえば殺傷能力)は当該爆弾の構造、殊に爆薬の性質・量に規定されのである。第二に、従って三菱重工爆破事件の殺意認定においては本件爆弾の威力が問題となるのみである。爆弾一般論・宿命論が入り込む余地がないのである。
 そして更に本件爆弾においては、それが工業製品化されてはいない手製爆弾でありしかも一般には知られていないものであったことが極めて重要である。たとえば卑近な例としてダイナマイトであれば工業製品であことが通常であるから、ダイナマイトの一般的威力を立論の前提とすることも可能ではある。しかし本件爆弾にはこの一般的威力は妥当しない。手製でありしかも一般には知られていない爆弾(爆薬)の場合にはその製造工程は勿論、工業的に均一化されたものではありえない。製造工程によって爆弾(爆薬)の威力に相違がでてくるのである(本件爆弾においてこのことが何を意味するかは後に詳述するとおりである。)。
 そうすると威力の認識にも当然に(重要な)影響を及ぼすことになるのである。請求人両名らはセジットSの開発にとりくみ三回にわたって爆発実験を実施してみた。ところが三回とも失敗したのである。そうするとセジットSの爆薬としての威力認識もその程度のものであったのである。四回目が本件爆弾である。本件爆弾の威力・結果に只々右往左往したのは当然である。請求人両名らの事前認識・予測の限りではなかったからである。
 そこで改めて原判決の爆弾一般論・宿命論に立ち返ってみよう。原判決は爆弾の個別具体的な性質、本件爆弾のセジットSとオージャンドルの性質論議を無視し回避したかったのである。殺意ありとの結論を固執するためには爆弾一般論・宿命論から出発せざるをえなかったのである。そして爆弾一般論・宿命論を前提とすれば当然に、爆弾の威力認識は本来的に不要となってしまうし、結局は結果回避のための配慮・措置の有無の問題になってしまうのである。原判決によれば爆弾事件における殺意認定は結果回避「義務」の問題に帰着するのである。
 しかしこれは殺意(故意)論として著しく不当であり誤りである。
  (二) 原判決の認定構造がどこで誤りをおかしたかは既に明らかである。爆弾一般論・宿命論である。
 爆弾の威力は個別具体的である。手製爆弾の場合にはなおさらである。爆発・威力のメカニズムは個別具体的である。そうすると本件爆弾のメカニズムが問題とされなければならない。
 そして爆発・威力のメカニズムが解明されて、請求人両名はそのメカニズムのどの部分を認識し、認識していなかったかが問題となる。これは事実問題である。次に認識範囲・事項としては何が重要か。これは法律問題である。この二つの次元は区別しなければならない。認識すべき範囲・事項に、請求人両名が認識した事実をあてはめて殺意が認定されるのである。これは当然のことである。
 原判決にはこのような認定構造が全く欠落しているのである。殺意認定の「理由」と称して只々恣意的な事項が羅列されているにすぎないのである。判決の目的である説得力が先ずみられない。
 そこで本件爆弾の爆発・威力のメカニズムを解明し、請求人両名と本件爆弾との関わりを時系列にそって究明することとする。
四、本件爆弾の解明
 1、本件爆弾に至る経過
  (一) セジット以前
 原判決が請求人両名の爆弾に関する経歴、知識として摘示していた事項である。
   (1) 黒色火薬・白色火薬など
 請求人両名らは三菱重工爆破事件(昭和四九年八月)以前に四件の記念碑(対物)爆破事件を実行している。昭和四六年一二月の興亜観音・七士の碑爆破事件がその最初のものである。ここでは硝石と塩素酸カリウムを混合したもの七五パーセント、炭粉一五パーセント、硫黄一〇パーセントという混合比率の黒色火薬を爆薬としている。缶体としては消火器、鉄パイプ、点火装置としてはガスヒーターを使用している(請求人益永・昭和五〇年七月三日付検面調書四〜五丁目―以下、検面調書の引用は省略表記する。)。請求人両名らが先ず黒色火薬を使用したのは『バラの詩』に依拠したためである。当時『バラの詩』は相当に権威あるものとして通用していた。請求人両名は公判廷において「『ばらの詩』『栄養分析表』そういった類の本は手に入ったものは熱心に読んだ記憶はあります。」「全く右も左もわからない時代はとにかく手製の武器というものがどういう構造なのかということを知るためには役立ちました……」(六六回公判)と供述している。
 問題は黒色火薬の威力とその認識である。『バラの詩』にも「黒色火薬」(ここでは硝石またはチリ硝石七五パーセント、木炭一五パーセント、硫黄一〇パーセント)、「塩剥黒色火薬」(ここでは塩素酸カリまたはソーダ七五パーセント、木炭一五パーセント、硫黄一〇パーセント)が挙げられているが、その威力の具体的内容は全く記載されていない。威力認識は実際に爆発させてみる他ないのである。請求人両名らは先ず興亜観音・七士の碑爆破事件の前に実験したのである(昭和四六年一一月の奥多摩上流)。実験結果は請求人益永によれば「爆燃しただけで終ってしまいました。」(七月三日付三丁目)もっともこの時の黒色火薬が塩素酸カリウムであるか硝石であるのかは明らかではない。しかし興亜観音・七士の碑爆破においては一定の成果があった。
 昭和四七年四月に総持寺爆破事件を実行している。この爆弾も黒色火薬であるがその成分は硝石七五パーセント、木炭一五パーセント、硫黄一〇パーセントである。缶体は消火器、点火装置はガスヒーターを使用した(請求人益永七月三日付二〇〜二一丁目、請求人大道寺七月二日付(乙一27)九丁目)。その爆発結果は「黒色火薬」(『バラの詩』の)とはいえ興亜観音・七士の碑の時とはかなり相違したものであった。請求人益永によれば「七士の碑を爆破する時に使った黒色火薬には塩カリを入れましたが、総持寺の納骨堂爆破の爆弾には塩カリを入れませんでした。当時塩カリがあや子の手元になかったからだと思います。」(七月三日付二〇〜二一丁目)「爆弾に塩カリが入れてないため威力が弱かったこともあって台座の部分には穴があいたけれども納骨堂の壁にはわずかにひびが入った程度であった」(七月三日付二八丁目)
 二つの(対物)爆破事件によって請求人両名の、黒色火薬の威力認識が形成されたと言ってよい。塩素酸カリウムの混合(勿論、主剤としての)の有無によって威力の強弱があると認識したのである。ここに「塩カリ信仰」の萌芽をみることができる。ところで原判決は総持寺爆破事件の「罪となるべき事実」において「約四・八リットル入りの消火器の容器に塩素酸カリウム約七五パーセント・炭粉約一五パーセント・硫黄一〇パーセントの割合で混合した爆薬約二キログラム」と認定している。しかし塩素酸カリウム約七五パーセントと認定した根拠が明らかではない。もっとも原判決にとって塩素酸カリウムを混合したかどうかはそれ程問題でなかったのかもしれない。しかしこのような原判決の思考法が三菱重工爆破事件において爆発・威力のメカニズム究明を無視することになったのである。
 総持寺爆破事件の後請求人両名らは黒色火薬以外の火薬・爆薬を開発しようとした。その開発動機は硫黄、塩素酸カリウムの入手が容易ではなくなったことである。『バラの詩』の「黒色火薬」「塩剥黒色火薬」はいずれも硫黄を混合させている。硫黄を不要(あるいは少量で済む)とする火薬を開発せざるをえない。また塩素酸カリウムを不要(少量で済む)とする火薬を開発せざるをえない。請求人両名らは『バラの詩』から「白色火薬」といわれるものに注目した。塩素酸カリウムまたはソーダ(塩素酸ナトリウム)五〇〜四九パーセント、砂糖二五〜二三パーセント、硫黄二五〜二八パーセントの混合比である。ところで請求人両名らは「白色火薬」の他に、塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パーセント、硫黄一〇パーセントの混合比率の火薬を開発しようとした。それは塩素酸カリウムを必要としなかったからである。この火薬は特に名称はない。請求人両名らが独自に製造開発しようとしたものである。理論的には『バラの詩』の「塩剥黒色火薬」の木炭を砂糖に代用させたものである。
 そこで問題は「白色火薬」、砂糖代用火薬の威力とその認識である。確かに『バラの詩』の「白色火薬」には「威力の大きい良好な爆薬である。」と説明はあったが具体的内容はわからない。請求人両名らは「白色火薬」を室内で少量を燃焼実験してみた。その後北方文化研究所施設(北大)、風雪の群像(旭川)爆破事件(昭和四七年一〇月)を実行した。前者では塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パーセント、硫黄一〇パーセントの砂糖代用火薬である。缶体は菓子缶、点火装置はガスヒーターである。後者では塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パーセント、硫黄一〇パーセントの砂糖代用火薬(総量の七〇パーセント)、塩素酸カリウム五〇パーセント、砂糖、黄血塩各二五パーセントの「白色火薬」(総量の三〇パーセント)を、缶体として醤油缶、点火装置としてガスヒーターを使用した(請求人益永七月三日付三一〜三二丁目)。爆発結果は二つの(対物)爆破事件において対照的であった。「情報によると風雪の群像はほぼ破壊できたけれど北大の方は陳列ケースのガラスにひびが入り資料の一部が焼けた程度でありました。」(請求人益永七月三日付三九丁目)
 この実体験(と言ってもマスコミ報道によるものであるが)から、塩素酸カリウム、黄血塩を混合する「白色火薬」―『火薬と発破』六八頁ではこれを「オージャンドル」と呼んでいる―に対する高い評価と、塩素酸ナトリウム、砂糖を混合する砂糖代用火薬に対する低い評価が請求人両名の認識に刻みこまれることになったのである。
   (2) 『腹腹時計』の出版
 請求人両名らは四件の対物爆破事件とその後(昭和四八年一〇月〜一二月)の塩素酸ナトリウムの威力実験をふまえて、昭和四九年三月『腹腹時計』を出版した。「都市ゲリラ兵士の読本」という副題にふさわしく「兵士」としての具体的戦術が記載内容となってはいる。ところで爆弾闘争の具体的戦術として起爆装置(ガスヒーター)、時限装置の製造工程は詳細に記載されてはいるが、爆弾の本体を構成する火薬・爆薬についてはわずかに数項目が記載されているにすぎない。確かにその記載内容は請求人両名らの実体験に基づいているから具体的である。たとえば原判決が引用している「砂糖で代用した火薬は5kg単位……」云々はまさに北方文化研究所施設・風雪の群像爆破事件に基づいていることは明らかである。しかし「なお、対人殺傷用で、確実にその人間に接近して爆発させられる場合は、この十分の一程度でよい。」とはどのような実験・認識体系に基づいているのかは明らかではない。只、塩素酸カリウムと塩素酸ナトリウムについて対照的な威力認識をもつに至ったことが重要である。
  (二) セジットの開発
   (1) セジットの「発見」
 請求人両名らも知識としては「セジット」の存在を知っていた。『バラの詩』にも「シェジェット」として「塩素酸塩に少量のニトロ化合物を加えたものは強力な爆薬である。モノニトロ又はジニトロ化合物が少量入手できれば作れる。」と紹介されている。『火薬技術者必携(第3版)』でもニトロ化合物を混合することを当然に前提としている。従って請求人両名らにとってニトロ化合物を入手することはほとんど不可能であったから、セジットが開発の対象となることはなかったのである。
 しかし、状況が変化しつつあった。火薬・爆薬の材料の入手が以前にもまして容易ではなくなったのである。塩素酸カリウム、硫黄の入手が困難であった(だからこそ『腹腹時計』は続編予告として塩素酸カリウムの(自家)製造法を挙げていた。)のに加え、「白色火薬」の黄血塩の入手の容易ではなくなったのである。そうすると当然に入手の容易な材料を基にして新たな火薬・爆薬の開発を目ざす他はない。請求人両名らにとってそれは塩素酸ナトリウム(ソーダ)である。請求人益永が偶々書店で手にした『火薬と発破』(昭和五二年押一号の82)六八頁に注目すべき一覧表が記載したあった。「セジットS」として塩素酸ソーダ九〇パーセント、ワセリン三パーセント、パラフィン七パーセントという混合比率が紹介されていた。ワセリン、パラフィンは勿論入手の容易なものである。只請求人益永によれば「威力についてはSタイプについては記載がなくて成分から見るとおそらく一番いい部類に属する〇二タイプというふうな記載のあるセジットの爆速は記載されていました。…〇二タイプの場合は塩カリが主体でそれにニトロ化合物を混合してあるというものでして、それから比較するとSタイプというのは塩素酸ナトリウムと油脂を混ぜただけなんですね。これは当然威力が相当おちるんではないか思(った)」(六六回公判)のである。北方文化研究所施設爆破事件での砂糖代用火薬(塩素酸ナトリウムが主剤である。)を思いおこせば当然のことである。しかしセジットSをパスするわけにはいかなかった。ともかくは「このセジット爆弾については私達はこれまで顔なじみはなくどれ位の威力があるか分からなかったので実験してみようということにな(った)」(請求人大道寺六月一四日付五〜六丁目)のである。この時点が昭和四九年初頭であるる
 原判決はしきりに請求人両名らが爆弾の威力増強について改良工夫した旨判示してはいるが、真実ではない。要するに火薬・爆薬の材料に窮していただけのことであ。
   (2) セジットSの実験
     原判決が一切無視していた事実である。
    (ア) 三月一七日の実験(一回目)
 『火薬と発破』にはおよそセジットの製造方法は記載されていない。『バラの詩』『火薬技術者必携』にはニトロ化合物を前提とする製造工程が記載されていたが、大道寺あや子は『火薬技術者必携』の方をバインダーに書き移した。しかしその時「80℃前後に加温されたヒマシ油にニトロ化合物を加え約55℃に冷却してから乾燥粉砕した塩素酸カリウム(塩素酸カリウムを主剤とするセジットの場合である。―引用者)を加えて混合し冷却し成形して紙筒につめる」という記載のうち後者の「冷却し」という工程を書き落とした(これが原判決が引用するバインダーメモである。)あや子がはじめてセジットSを製造した。ワセリンとパラフィンを加熱して溶かし、六〇度位まで冷やしたところでクサトール(塩素酸ナトリウム)を混ぜた。そうすると「しめった土状のものができます。……しかし実験の時にはまだ温かく土状のものを容器につめ、上から手で圧力を加えました。これを冷やすとろうそく状になりました。温かい土状のものをつめた時に起爆装置を入れる為にその中央部に鉛筆等を差しこんでおき冷えてろうそく状になった後でも穴ができてい(た)」(あや子六月一五日付四〜五丁目)このセジットSは要するにローソク状となった。温かいまま容器に充填してさめれば当然にローソク状となる。あや子は自ら誤って書き移した製造工程に従ったまでのことである。セジットSの外形的形状(「ボロボロした形の固形物」(荻原証言(二五回公判)))についておよそ無知であれば無理もない。清涼飲料水の缶を缶体として、これまで同様ガスヒーターを点火装置とした。
 三月一七日奥多摩で爆破実験をした(実験日の特定は「金銭出納帳二冊」(昭和五二年押第三一号の41)に依拠した。)。爆破実験は失敗であった。「起爆装置は作動して爆発したのですが、セジットは爆発せず、火がついて燃えるということもしなかった。」(あや子六月一五日付六丁目)
 セジットSはローソク状に残ったままであった。
    (イ) 六月三〇日の実験(二回目)
 請求人両名らは不爆の原因をセジットSの製造工程ではなく、点火装置の問題に求めた。「ガスヒーターは駄目であり、手製雷管を使えばセジットも爆発するのではないか」(あや子六月一五日付六丁目)そこでセジットSではなく手製の雷汞雷管の研究・開発に向かうことになる。「金銭出納帳」からその経過を如実に追うことができる。
 四月三〇日 請求人益永は町屋にアパートを賃借する。雷汞雷管を製作するためには「工場」を必要とした。
 六月 八日 あや子がパラフィンを購入
 六月 九日 請求人益永がプレス機を購入(雷管製作のため)
 六月一五日 あや子が水銀を購入
 六月二四日 あや子がワセリンを購入
 セジットSの製造工程は前回と全く同様であり、缶体(ピース缶)に温かいまま充填した。そして点火装置としてはじめて雷汞雷管を使用することになる。
 六月三〇日青木ヶ原で爆破実験をした。ところで雷汞雷管を完成させる際プレス機による加圧を必要とする。雷汞は敏感な物質であるため管体に詰めた後安定させなければならない。屋内での加圧作業は初めての体験であったため危険な作業と思われ戸外ですることにした。そこでプレス機を青木ヶ原まで運んだ。雨天であったので簡易テントを張って作業を開始した。雷汞を精製水からとり出して乾燥させ管体に詰めプレス機で加圧した。しかし雨天であったため乾燥が十分ではなかった。
 爆破は失敗であった。セジットSはまた爆発しなかった。雷管は作動しセジットSは周囲に飛散した。
    (ウ) 七月二八日の実験(三回目)
 請求人両名らはセジットS不爆の原因がその製造工程にあることに気づいてはいない。依然として雷管に問題があると考えていた。六月二八日の雷管は加圧作業の際雷汞から水がにじみ出るようなものであったためである。そこで雷汞雷管のみの爆破実験をすることになった。七月一三日奥多摩で実験すると、確かに雷管は爆発した。雷管の爆発が確認できたので再度セジットSの爆破実験をすることになった。セジットSの製造工程は前回同様である。温かいまま缶体であるピース缶に充填した。雷汞雷管は慎重に製造された。七月二八日青木ヶ原で実験した。結果は同様である。雷管は点火したがセジットSはやはり爆発しなかったのである。請求人益永によれば「セジットのほうは前回、前々回と同じで完全に燃え残ってしまいました。…セジット自体は大部分燃え残ってしまうという状態」(六六回公判)であった。請求人両名はセジットSが果して文献に紹介されているとおり火薬・爆薬であるのかについて懐疑的となった。この懐疑は燃え残ったセジットSにマッチの火をつけても燃えなかったことによって決定的となった。「燃え残ったものをそのままにしておくわけにもいかなかったんでちょっとその場でもう一度燃やしてみようということになったんです。…最初は恐る恐るやったんですけれども火を近付けた瞬間はセジットはシュルシュルと燃えるということなんですけれども炎を離してしまうとスッと消えてしまうと。これは何度やっても同じ」(請求人益永六六回公判)ことであった。これは異常な体験であった。これまで「白色火薬」(塩素酸カリウム、砂糖、黄血塩)、砂糖代用火薬いずれも燃焼実験をしてみた。燃焼の程度に差異はあっても燃焼はした。セジットSは燃焼もしなかったのである。しかしこれは当然のことである。ローソクのロウの部分に火をつけてもロウがとけるだけであるる
 請求人両名らはセジットSを三回爆破実験したのである。しかし三回とも不爆であった。これ程セジットSに固執したのは、塩素酸ナトリウムを主剤とする火薬・爆薬を開発せざるをえなかったからである。原判決はこの実験失敗の経過も「改良工夫」と判示するのであろう。しかし請求人両名はセジットSの火薬・爆薬性に根本的な懐疑をもつに至っていたのである。
 それではそのセジットSを本件爆弾の爆薬としてなぜ充填し、そして使用するに至ったのかその経過を究明することにする。結論を先取りして要約すれば請求人両名らの、歴史(社会)認識と焦燥感に尽きると言ってもよい。しかしこのことと、本件爆弾の威力認識とは勿論別次元のことでなければならない。
 ともかくセジットS不爆の原因、従ってセジットSの爆発・威力のメカニズムは解明されることもなく時間は経過したのである。請求人両名らはセジットSの製造工程そのものに根本的原因が起因しているとは夢想だにしなかったのである。
 2、本件爆弾の製造及び設置
  (一) 製造に至る経過
   (1) 虹作戦実行の決意
 七月二八日の爆破実験は失敗(不爆)であったが、請求人両名らは本件爆弾の製造を放棄することはできなかった。それは請求人両名らの心理構造が本件爆弾の本来の使用目的である虹作戦に一義的に規定されていたからである。
 虹作戦が爆弾事件において、唯一、特異な点は、爆破方法ではなく、爆破の日時にある。八月一四日午前一一時頃という日時が虹作戦実行の絶対的制約であり、“他の機会”という代替性が困難であった。請求人大道寺が「新聞や皇室関係の事が書かれた雑誌など相当多数を調べて例年避暑先の那須から天皇が帰る際黒磯の駅を何時に出発し原宿の駅に何時に着いているかを調べ上げ黒磯駅から荒川鉄橋までの所要時間を計算してだいたい午前一一時前後ころと出した」(六月二五日付一五〜一六丁目)のである。従ってこの調査結果に基いて作戦実行への準備が進められ、八月一四日午前一一時までに全てが完了していなければならなかった。請求人両名らの行動はこの絶対的日時に逆算的に規定されたのである。セジットS不爆の原因を解明することもなく、また虹作戦中止の決断もできなかった。八月一四日午前一一時までに全てを完了しなければならないという焦燥感のみが支配した。従って勿論、本件爆弾の威力を事前に予測し、爆弾の構造を決定したのではなかった。七月二八日後の行動を「金銭出納帳」から追ってみよう。
 七月二九日 請求人益永が精製水(雷汞雷管製作のため)購入
 八月 一日 請求人大道寺がコネクター、電線を、あや子がエタノールを購入
 八月 三日 請求人益永がガソリンタンク、スプレー、黄血塩を購入
 八月 四日 あや子が交通費を支出。請求人大道寺がペール缶、コネクターを
       購入
 八月 五日 あや子が砂糖を購入
 八月 六日 請求人大道寺が砂糖を、あや子が乾燥剤を購入
 八月一〇日 あや子がポリ製たらいを、請求人益永がテープレコーダー、ペン
       キを購入
 請求人両名らはセジットS爆破実験失敗(七月二八日)の翌日から本件爆弾製造と虹作戦の準備にとりかかっている。セジットS不爆の原因究明は二の次であった。殊に八月四日の、あや子の交通費とは黒磯への調査のための旅費である。セジットSが結局は不爆となったのに、黒磯への下見調査に赴くことはもはや尋常ではない。全てを八月一四日一一時までに完了させなければならないという焦燥感のみが為せる行動である。
   (2) ペール缶購入の経過
 「金銭出納帳」によれば八月三日のガソリンタンクが、そして翌四日ペール缶が購入されている。このペール缶が本件爆弾の缶体となったものである。缶体も爆弾の構成要素である。ところでガソリンタンクとペール缶とはその形状からしても一見して構造の異なるものである(請求人大道寺一一月六日付添付写真NO1
と昭和五〇年四月一七日付鑑定書(甲二24)添付写真参照)。請求人両名らは当初のガソリンタンクを選定購入したのも爆弾威力を事前に予測してのことではない。翌日のペール缶への変更も全く偶然的事情からである。原判決は本件爆弾の「構造」として、塩素酸カリウム系の爆薬を雷管の周囲に充填したことを摘示しているがガソリンタンクであればそのような充填の方法は構造的にも不可能である。ペール缶であるからそのようになったまでである。原判決は請求人両名らの改良工夫を徒らに誇張しているにすぎないのである。むしろガソリンタンクからペール缶への突然の変更は請求人両名らの狼狽と焦燥を示して余りあるものである。
  (二) 製造工程
 八月一〇日(土曜日)、一一日(日曜日)を爆弾製造に充てた。火薬・爆弾はできる限り使用直前に製造し長期保存しないことが原則であったからである。請求人両名及びあや子が本件爆弾を製造した。
   (1) 爆薬の製造
    (ア) 爆薬の種類
 七月二八日の実験失敗の後、虹作戦実行のために火薬・爆薬の種類を研究し吟味している余裕は全くなかった。第一に、請求人両名らは八月一四日が直前に切迫していたのであるから心理的にもそのような余裕はなかった。第二に、請求人両名らが所持し確保していた材料が限られていたからである。爆薬の主剤は塩素酸ナトリウム(クサトール)にする他なかった。塩素酸カリウムの入手は困難となった。そこで塩素酸ナトリウムを主剤とする火薬・爆薬としては、北方文化研究所施設、風雪の群像爆破事件で使用した砂糖代用火薬(塩素酸ナトリウム六〇パーセント、砂糖三〇パーセント、硫黄一〇パーセント)である。しかしそうすると硫黄が不可欠であった。ところが八月一〇日の時点において硫黄はほとんど所持していなかった。「金銭出納帳」をみても硫黄を購入した事実はないし(黄血塩、砂糖の購入はある。)、あや子が勤務先(武藤化学薬品)から持出した事実もない。あや子が「この爆弾の製造には硫黄は五〇〇グラム入りのもの三箱を使用したほかに若干量を使ったという記憶がありますので硫黄の消費量を一・六キロ又は一・七キロ」(六月一九日付九丁目)と供述するのは全く根拠のないことである。硫黄をこの時点において一・六〜一・七キロの所持していたのであれば、硫黄を混合しない火薬―セジットSの開発に請求人両名らが固執し七月二八日まで三回もの爆破実験に全力を投入する必要性はおよそなかったのであるる
 そうすると塩素酸ナトリウムを主剤とする火薬・爆薬はセジットSしかなかった。請求人両名にとって爆薬の種類を選択している余地は全くなかった。七月二八日の実験で失敗したセジットSを製造する他なかったのである。
 請求人益永はこの点を公判廷で次のように供述している(六六回公判)。
 「これだけ失敗しているわけですけれどもあなた方は失敗しながらもセジットSについて信用していたというふうになるんですか。」
 「信用するとか信用しないとかという以前の問題として私たちの場合はとにかく塩素酸カリが手に入らないということでもちろんそれ以外の構成物の爆薬は手に入らないということがありましたから、とにかくこのセジットを使う以外に天皇に対する攻撃を可能にする方法はなかったわけです。だめでもこれを使う以外ないと。とにかく当時の薬品のストックというのが規定されていましたからこのセジットを使う以外にない、これでやってみるしかないという状態でした。」
 しかし単にセジットSのみではそれまでの三回の実験結果と同じになることが十分に予想された。そこで北方文化研究施設、風雪の群像爆破事件の結果(請求人両名らにとって「結果」とは主にマスコミ報道である。)にならって「白色火薬」(オージャンドル)を充填することにした。しかしこの「白色火薬」の同時充填もセジットS不爆の原因をふまえたものではない。請求人両名らのセジットS不爆に対する不安感を幾分なりとも解消させるものであった。勿論本件爆弾(セジットSと「白色火薬」(オージャンドル))の爆発・威力のメカニズムは解明されてはいなかった。実際、セジットSと「白色火薬」の燃焼実験すらなされなかったのである。請求人両名らは焦燥の中でこの一〇日間余を生きたのである。
 ところで原判決は「罪となるべき事実」において本件爆弾の爆薬について「塩素酸ナトリウム約九〇パーセント・ワセリン約三パーセント・パラフィン約七パーセントの割合で混合したセジット爆薬を主剤とし、これに塩素酸ナトリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各約二五パーセントの割合で混合した白色火薬、塩素酸ナトリウム約六〇パーセント・砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した白色火薬及び塩素酸カリウム約五〇パーセント・砂糖及び黄血塩各二五パーセントの割合で混合した少量の白色火薬とを加えた爆薬」と認定している。しかしこのうち「塩素酸ナトリウム約六〇パーセント・砂糖約三〇パーセント・硫黄約一〇パーセントの割合で混合した白色火薬」を認定したことは誤りである。原判決はあや子の検面調書(六月一五日付、六月一九日付(甲共一10))に依拠しているやに思われるが誤りである。決定的には三菱重工爆破事件の鑑定書の中に硫黄が混合されていたことを示す残滓鑑定がないことである。もっとも原判決によれば硫黄が混合する砂糖代用火薬が含んでいたかどうかはほとんど問題ではなかったのかもしれない。これも爆発・威力のメカニズムの解明を放棄している原判決の特徴である。
    (イ) セジットSの製造
 セジットSの製造はあや子が担当した。これまでの実験(三回)の時も製造していたからである。あや子はバインダーメモに従って製造した。セジットSの材料はクサトール(塩素酸ナトリウム)、パラフィン、ワセリンでありその混合比率は九〇、七、三パーセントであった。製造工程は「ワセリンとパラフィンを混ぜて蒸発皿に入れ…八〇度位まで加熱するとどろどろに溶けますので、それを五五度から六〇度位まで冷やしたところで塩素酸ナトリウムを加えて混ぜ」(あや子六月15日付四丁目)るというものである。かき混ぜると「しめった土状のもの」ができあがる。これまでの実験の時は「しめった土状のもの」をまだ温かいまま缶体容器に詰めていた。あや子のバインダーメモには二度目の「冷却」の工程が書き落とされていたし、請求人益永によれば「できるだけしっかり固まっているほうが密度が高いし、爆発しやすいし威力もある。」(六六回公判)と考えていたのである。しかし本件爆弾においては違った工程となった。それは缶体であるペール缶には温かいまま詰めることが不都合であったからである。ペール缶が口金の形態ではなく、蓋の形態であれば温かいセジットSの固まりを詰めることになったであろう。しかし口金の形態であったため「放置して冷やし」てざらざらの状態にせざるをえなかったのである。結果的にセジットSは正確に製造されたのである。前記荻原証人が証言する「ボロボロした形の固形物」(二五回公判)であるる
    (ウ) 「白色火薬」の製造
 「白色火薬」(オージャンドル)も二種類製造することになった。風雪の群像爆破事件の時は塩素酸カリウム、砂糖、黄血塩の「白色火薬」である。しかし材料の不足はこの点でも請求人両名らを制約した。塩素酸カリウムを主剤とすれば塩素酸カリウムの量に制約されてしまう。そこで塩素酸ナトリウムを主剤とする「白色火薬」も製造することにした。『バラの詩』によれば主剤は塩素酸ナトリウム(ソーダ)でも代替できた。塩素酸ナトリウムを主剤とすれば「白色火薬」の量を増すことができ、それに比例して砂糖、黄血塩(各二五パーセント)を必要とすることになる。「金銭出納帳」の八月三日、五日、六日の購入はそのためである。
   (2) 充填
 セジットSと二種類の「白色火薬」を混ぜないで別々に分けて詰めることにした。当初はセジットSと「白色火薬」(二種類)を充填前に混合させることを考えてた。その経緯について請求人益永は「白色火薬を作るためには塩素酸カリウムとか黄血塩を使うわけですね。ところが私たち余りそれはストックがなかったんです。できるだけたくさん使いたかったけれども余り量がないということでそれをもしセジットの中に均一に混合してしまうと力が分散してしまうというか、効き目が分散してしまうんじゃないか、というふうな気持になりまして、白色火薬だけはとにかく確実に爆発させ」(六六回公判)ようとしたのである。
 充填の順序はまずセジットSである。セジットSをペール缶の口金部分に紙の漏斗を作って詰めていった。「落とし込みやすいようによくほぐして入れた…紙を丸めて棒を作ってそれを缶の口から入れてちょっと押して平らにならす…ならしては詰め…」その結果、「できるだけ固めたいというつもりがあったんですけれどもいくらやっても固まらないと。逆に紙で押すことによってつぶれていくという状態」(請求人益永六六回公判)であった。
 次に塩素酸ナトリウムの「白色火薬」をセジットSの上に詰めた。そして塩素酸カリウムの「白色火薬」を詰めて、塩素酸カリウムの「白色火薬」が爆薬総容積の中心部分になるようにした。後半は逆に、塩素酸ナトリウムの「白色火薬」、セジットSの順序で前半と同様の方法で詰めていった。従ってペール缶の内部は三種類の爆薬が天と地に、塩素酸カリウムの「白色火薬」を中心に対称形に層状態を構成していたのである。後半のセジットSを詰め終わった時、ペール缶の天板部分から約五センチの所に達していた(請求人大道寺によれば「ペール缶いっぱに爆薬を詰めたのではなく上から五センチ位は空いていた」(六月一四日付三五丁目、六月九日付六丁目))。
   (3) 爆薬の量
 ところで請求人両名らはペール缶に一体どれ位の爆薬を充填したのかが問題となる。原判決は「罪となるべき事実」において「二十数キログラムずつほぼ等量に、一個の容量約二〇リットル余の金属製ペール缶二個に詰」めたと認定している。「二十数キログラム」という認定そのものが極めて漠然としているが、そのように認定したのはあや子六月一九日付検面調書(甲共一10)に依拠したためである。「三菱重工と帝人中央研究所で使った爆弾の爆薬の総量は……五五キロないし五六キロ強ということにな(る)」(一〇丁目)帝人爆破事件に使用された消火器爆弾の爆薬量一・五キロを差引くと五三・五ないし五四・五キログラムが本件爆弾の爆薬総量ということになるはずである。二個のペール缶に等量ずつ充填すれば一缶の量は約二六、七キログラムである。しかしそうであれば原判決も「二十数キログラム」などと漠然とした認定をする必要はないはずである。やはり原判決もペール缶の容積が二〇リットルであれば一リットル一キログラムを目安として、果して二六、七キロも充填することが物理的に可能であるかに疑問をもったからである。そこで「二十数キログラム」というあいまいな認定に妥協したのである。原判決の誤りは硫黄を混合する砂糖代用爆薬(塩素酸ナトリウム、砂糖、硫黄)を加算したためである。しかし砂糖代用爆薬はペール缶には充填しなかったのである。ペール缶にはセジットSと二種類の「白色火薬」の、三種の爆薬であるる
 爆薬の量については、黄血塩について「以前から持っていたものの使い残りが二〇〇グラムか三〇〇グラム位あったと記憶しておりそれに新たに五〇〇グラム入りのもの四固計二キロを購入し[「金銭出納帳」八月三日欄]、……全部使ってしまった」(あや子六月一九日付七〜八丁目)ことから算定できるのである。そうすると黄血塩が二・二ないし二・三キロである。「白色火薬」二種類の混合率は塩素酸ナトリウムあるいは塩素酸カリウム五〇パーセント、黄血塩、砂糖各二五パーセントであるから、「白色火薬」二種類の総量は単純計算してペール缶一缶あたり四・四ないし四・六キロである。
 ペール缶容量が二〇リットルであるから一リットル一キロを目安とすれば二〇キロである。「白色火薬」二種類の量が四・四ないし四・六キロであるからセジットSは一五・四ないし一五・六キロということになる。これはあや子が「三菱重工玄関前に仕掛けた二個の爆弾につめた爆薬の総量は四〇キログラム位であり、そのうち塩素酸カリを含んだ爆薬の量は四〇〇グラム位であったと思います。」(六月一五日付三二丁目)との供述とまさに一致するのである。
  (三) 設置に至る経緯
   (1) 第一次設置(虹作戦)
 八月一四日午前一一時の爆破のために、一三日午後一一時頃請求人両名らは大友壮(請求人大道寺、あや子のアパート)をスバル一〇〇〇で出発した。ペール缶爆弾をスバル一〇〇〇のトランクに立てるようにして積んだ。大友壮(荒川区南千住七―二六―一二)から一旦、日光街道に出て都電線路に沿って北本通りを北上して荒川河川敷に向った。河川敷に着いてペール缶爆弾をトランクから出したが予期せぬ事態が発生し断腸の思いで結局作戦は中止された。再びペール缶爆弾はスバル一〇〇〇のトランクに往路の時と同様に詰まれて大友壮に戻った。
   (2) 第二次設置(三菱重工爆破事件)
 ペール缶爆弾は大友壮二階に保管された。請求人両名らは憔悴しきっていた。そこに翌一五日、ソウルで文世光事件(韓国大統領暗殺未遂事件)が勃発した。請求人両名らは打ちのめされた。そうであれば「身体を張って自らの反革命におとしまえをつけ」(『腹腹時計』)ねばならなかったのである。三菱村を新たな攻撃対象として疾走した。請求人両名らが本件爆弾の爆発・威力メカニズムを解明する余裕はおよそもち合せていなかった。
 八月二九日の夜半に請求人両名らは虹作戦後再びペール缶爆弾を手にした。警告文をはりつけることになったのである。その経緯について請求人大道寺によれば「(警告文を)ペール缶の上部に貼りつけました。最初缶を立てたまま包装紙で包もうとしたのですがなかなか包めず最後には包装紙の上に爆弾を横たえ転がしながら包みました。その際ペール缶の中で爆薬がガサガサ音をたてていた」(六月一四日付五丁目)更に包装してからビニールの梱包用紐でペール缶をしばったがその際も横転させた。
 翌三〇日、ペール缶爆弾はスバル一〇〇〇のトランクに積んで大友壮から御茶の水聖橋付近まで運ばれた。一旦スバル一〇〇〇から降され、そしてタクシーの座席でかかえられて三菱重工ビルまで運ばれた。
 そして三菱重工ビル正面玄関前のフラワーポットの横に設置された。
 3、本件爆弾の爆発と威力
  (一) 爆発原因の考察
 本件爆弾は昭和四九年八月三〇日午後〇時四五分頃爆発した。三月一七日、六月三〇日、七月二八日の実験は全て不爆であった。八月三〇日のみが爆発したのである。そうすると八月三〇日の爆発原因は三回にわたる実験の状況との相違のなかに存するはずである。その相違点を物理・化学的視点から分析すれば次のとおりである。
   (1) セジットSの形状(製造工程)
 三回の実験と本件爆弾ではセジットSの形状が決定的に違っていた。塩素酸ナトリウム(クサトール)、ワセリン、パラフィンの混ぜ方は『火薬技術者必携』(バインダーメモの原典)のとおりなされた。しかしその後の工程が全く違ってしまった。実験の時はいずれも「まだ温かく土状のものを容器につめ、上から手で圧力を加え……これを冷やすとろうそく状にな」(あや子六月一五日付四〜五丁目)った。
 しかし本件爆弾のセジットSはローソク状ではなかった。当然である。ペール缶の口金から温かいまま流し込んだのではなかった。口金から充填するためには塩素酸ナトリウム、ワセリン、パラフィンを混ぜてから、冷却して粒状にほぐしたのである。これが「ボロボロした固形物のような形」(荻原証人(二五回))である。
 セジット製造に関するフランス文献(ルアルール著『火薬概論』、ヴナン他著『火薬と爆薬』)によれば、セジット一般の形状は粉状である。粉状の作業工程は冷却してからローラーをかけるのが一般である。
   (2) 「白色火薬」の充填
 本件爆弾にはセジットSの他に「白色火薬」も充填することにした。その成分は塩素酸ナトリウムあるいは塩素酸カリウム、黄血塩、砂糖であり「オージャンドル」といわれているものである。しかも本件爆弾には塩素酸ナトリウムと塩素酸カリウムの二種類を製造し充填している。三回の実験においてはセジットSの他には他の火薬・爆薬を充填していない。
 風雪の群像爆破事件において請求人両名らは塩素酸カリウムを主剤とするオージャンドルを使用している。本件爆弾の際は更に塩素酸ナトリウム(クサトール)を主剤とするオージャンドルを初めて製造し充填している。これら二種類の「白色火薬」とセジットSとは別工程で製造した。ペール缶に充填する前に、「白色火薬」とセジットSを一緒に混ぜることはなかった。請求人益永によれば「効き目が分散してしまう」(六六回公判)と考えたからである。そこでこれまでの実験結果が身にしみていたから「白色火薬」の部分を爆発させるべくセジットSと「白色火薬」(二種類)を層状(サンドウィッチ状)に充填したのであった。
   (3) ペール缶の振動・横転
 本件爆弾は虹作戦のため八月一三日午後一一時頃、スバル一〇〇〇のトランクに積まれ、荒川区南千住(大友壮)から荒川河川敷まで運ばれた。本件爆弾は設置されることなく再び、右大友壮まで運ばれた。この往復は都電路線にそった北本通り及び河川敷を走行したため、途中の凸凹によってペール缶には相当の振動が加わることになった。そのためペール缶内部では充填当初のセジットSと「白色火薬」の層状態が次第にくずれ、両者が混じり合う状態になった。
 八月二九日、ペール缶を包装・梱包する際本件爆弾を数回横転させている。「その際、ペール缶の中で爆薬がガサガサ音をたてていた」(請求人大道寺六月一四日付五四丁目)ほどであった。もともとペール缶の上部には五センチメートルほどの空間があったが、走行による振動によって下部に圧せられ上部空間が大きくなっていたため、横転(回転)によってセジットSと「白色火薬」が混じり合う状態が進行した。ペール缶中央部の層状態は両者がよく混じり合った状態に構成変化していたのである。
  (二) 爆発・威力のメカニズム
   (1) 本件爆弾が爆発し一定の威力(殺傷能力―爆風、物体の飛散、落下)が生じたのは、セジットSの形状(ロウソク状ではなく粒状であったこと)、「白色火薬」の充填、ペール缶の振動・横転という要因が二重、三重に加わり、ペール缶内部においてセジットSと「白色火薬」が適合的に混合したためである。
 請求人両名・弁護人はここに、本件爆弾の爆発・威力のメカニズムを物理・化学的に(まだ概略的部分もないわけではないが)ほぼ解明しえたと自負している。我々のメカニズム解明は二段階を経ている。第一はセジットSとオージャンドルの(開放)燃焼実験から得られた分析考察であり、第二はセジットSとオージャンドルの密閉爆発実験から得られた分析考察である。
    @ 燃焼分析(一九九一年三月一二日付東京都立大学工学部助教授湯浅欽史作成「鑑定書」)
 ここではセジットSとオージャンドルが混合した場合両者の混合率の変化によって、その燃焼時間、残滓重量がどのように変化するのか分析した。燃焼実験の結果は「鑑定書」六頁の表及びグラフのとおりである。それを更に視角的に示せば付録資料の写真、ビデオのとおりである。
 ケース1(セジットS率〇パーセント、オージャンドル一〇〇パーセント)では一瞬のうち燃えつき、オージャンドル三グラムは〇.三七グラムの残滓となったのみである。
 逆にケース10(セジットS率九〇パーセント、オージャンドル一〇パーセント)、ケース11(セジットS率一〇〇パーセント、オージャンドル〇パーセント)ではほとんどが残ってしまった。特にケース11では燃焼したとはいえず溶けた状態である。ケース11は要するにローソク状態であるから溶けただけというのは当然である。これが請求人両名らの三回にわたる爆発実験の結末(不爆)を実証している。
 燃焼実験の結果、残滓重量はセジットSの比率が多くなるにしたがって直線的に多くなり、セジットSの比率が八〇パーセント以上になると残滓重量は急速に増える。また燃焼時間もセジットSの比率が多くなるにしたがって長くなり、セジットSの比率が八〇パーセント以上になると急速に長くなる。もっともセジットS率が一〇〇パーセントの時は燃焼しない。
 ここから我々はセジットSとオージャンドルの適合的な―爆発・威力にとって―混合比率が存することを推測しえたのである。そこで当然に我々は次の段階を目指すことになった。
    A 密閉燃焼分析(一九九二年九月二九日付同人作成「鑑定書」)
 ここではセジットSとオージャンドルを混合して密閉状態で爆発させた場合、その混合比率の変化によって威力がどのように変化するのか分析した。その爆発実験の結果は「鑑定書」七〜八頁の表及びグラフのとおりである。それを更に視角的に示せば付録資料の写真、ビデオのとおりである。
 我々は燃焼実験で推測したとおり、ここで極めて興味ある―本件爆弾の爆発・燃焼のメカニズムにとって―結果を得たのである。それは本件爆弾の爆発・威力にとって混合しているセジットS率が重要な意味をもっていることである。勿論、そのセジットS率は〇パーセントでも一〇〇パーセントでもない。すなわちセジットSのパラフィンを溶融気化させるに十分なオージャンドル率(量)が存在する場合と不十分な率(量)しか存在しない場合とを比較すればそこに異なった結果(威力)が得られたのである。前者においてはセジットSの全てが生成ガスに寄与するのに対し、後者においてはセジットSの一部しか生成ガスに寄与しないからである。そして「鑑定書」においては、セジットSの全てを爆発させるのに十分なセジットS率の限界値は四〇パーセントである。
 爆発実験の結果、粒状セジットSの混合率が四〇パーセント程度以下であればセジットSが全て爆発すると考えられ、四〇パーセント程度を越えるとその一部しか爆発することができないと考えられる。
 本件爆弾にあてはめてみると、ペール缶内部の中心部(虹作戦当初「白色火薬」を充填させた位置)からそれぞれ天と地に向って、セジットSとオージャンドルはセジットS率四〇パーセント以下という比率で適合的に混合したのである。勿論ペール缶の天と地各周辺はほとんどセジットSのみであろう。セジットSとオージャンドルはペール缶の振動・横転によって適合的に混合したのである。そうすると、ここで重要な点は仮に本件ペール缶が虹作戦当初のまま(セジットSとオージャンドルが層状のまま)であれば、セジットSとオージャンドルが適合的に混合した場合と比較してその爆発威力はどうなるのかである。「鑑定書」によれば、ほとんどオージャンドル(「白色火薬」)の部分しか爆発しないのでその威力は相当程度弱くなる。この点は原判決が殺意認定の理由として本件爆弾がもともと虹作戦用であったことを摘示しているから特に重要である。問題は本件爆弾の物理的・化学的解明である。セジットSとオージャンドルのメカニズム解明がなければ、「もともと…天皇を暗殺する目的で製造された」云々と判示しても余りに漠然として粗略にすぎよう。
  (2) セジットSとオージャンドルの開放燃焼及び密閉爆発実験に基づく鑑定によれば、本件爆弾はセジットSとオージャンドルがペール缶の振動・横転によって適合的に混じり合ったことによって爆発し一定の威力が生じたのである。
 ところで第一次再審請求において検察官はその「意見書」(平成元年七月七日付)で本件爆弾の爆発原因として次の点を挙げた。
 第一に、実験の時よりも爆発量が著しく多量であること
 第二に、実験の時は缶体がピース缶などであるが、本件爆弾はペール缶であること
 第三に、実験の時はセジットSのみであるが、本件爆弾は雷管の周囲に起爆感度の高い白色火薬を詰めていること
である。しかしこの三点が本件爆弾の爆発原因であることを実証する根拠はなにもない。検察官は原判決が「本件爆弾の構造」として説明している特徴をそのまま爆発「原因」と称しているにすぎないのである。請求人両名らのセジットS爆発実験の不爆原因は根本的にはセジットSの形状にあったのである。セジットSは粒(粉)状である。ローソク状であれば爆発しようがないのである。従って実験時と本件爆弾は単なる爆薬量の多少の問題ではないのである。また爆発原因はピース缶とペール缶の差異の問題でもない。缶体以前の問題である。検察官は「白色火薬」(オージャンドル)の存在を重視しているが、確かに我々の本件爆弾のメカニズム解明において「白色火薬」の充填は重要な事実である。しかし我々のメカニズム解明によれば、「白色火薬」とセジットSが適合的に混じり合ったことが重要であって、単にペール缶の雷管部分に「白色火薬」を充填したことは本質的には重要ではない。仮に本件爆弾のペール缶の振動・横転がなければ、本件爆弾の爆発・威力はどうであったかが問題となる。前述のとおり、セジットSとオージャンドルが層状態であればほとんどオージャンドルの部分のみが爆発するにすぎないのである。本件爆弾はオージャンドルのみならずセジットSも爆発し、一定の威力が生じたのである。
 検察官の爆発原因論は要するに科学的根拠がないのである。我々はかくして本件爆弾の爆発・威力のメカニズムをほぼ解明しえたのである。第一次再審請求において請求棄却した決定はその新証拠について「単なる燃焼実験」にすぎない云々と判示して請求人の主張を論難していた。しかしこのたびの密閉爆発実験にはその論難は当らない。

五、殺意の不存在
 1、殺意の認定構造
 本件爆弾の殺傷能力(爆風、物体の飛散・落下)を認識していたのかどうかは本件爆弾の爆発・威力のメカニズムの認識問題である。本件爆弾の爆薬はセジットSと二種類の「白色火薬」であり、塩素酸塩系火薬として製造不許可のものである。工業製品化されて、販売され使用されているものではない。そして本件爆弾は手製のものである。原判決は爆弾はおよそ多数人を殺傷する能力を有していることを立論の前提としているが誤りである。論理的にそのようなことはありえない。まして本件爆弾が一般には知られていない、しかも手製のものであれは、その威力(殺傷能力)の認識の有無は個別具体的に判断されなければならないはずである。
 そうすると本件爆弾においてはその爆発・威力のメカニズムの認識の有無が問題となる。本件爆弾は、セジットSが粒状に製造され、「白色火薬」が充填され、そしてペール缶の振動・横転によってセジットSと「白色火薬」(オージャンドル)が適合的に混じり合ったことによって爆発し、一定の威力を生じたのである。
 従って本件爆弾の殺傷能力の認識としては、セジットSと「白色火薬」が適合的に混じり合うことによって爆発することがその対象として必要である。勿論、適合的な混合比率まで認識している必要はない。
 2、認識の欠如
  (一) 請求人両名は本件爆弾がセジットS(粒状)とオージャンドルが適合的に混じり合ったことによって爆発し、原判決が「客観的威力」と称して説明している死傷状況が発生しうることを勿論事前には認識予測できなかった。三回にわたるセジットS爆発実験の結果を直視していたからである。仮にセジットSが実験において爆発していればなにも「白色火薬」をわざわざ充填することはなかったのである。そして「白色火薬」の充填もセジットSを爆発させるために充填したわけではなかったのである。そして「白色火薬」がセジットSと適合的に混じり合うという予想外の事実(だれもペール缶内部のことは知りえない。)が本件爆弾の爆発・威力のメカニズムの根幹的部分を形成していたのである。そしてセジットSが「白色火薬」と混じり合うためには粒状(粉状)でなければならない。ローソク状であれば「白色火薬」とおよそ混じり合うことはなかったのである。
 本件爆弾はこれらの事実が複合的に重なり爆発したのであるが、請求人両名が爆発・威力のメカニズムを認識していたことをうかがわせるものは見当たらないのである。以下、本件爆弾の殺傷能力について認識すべき事項を改めて検討してみる。
   (1) セジットSの粒状化
 請求人両名はセジットSが粒状であることを知らなかった。ペール缶への充填が口金を通してしなければならなかったので、たまたま塩素酸ナトリウム、ワセリン、パラフィンを製法に従って混ぜたものを冷却してほぐしたのである。粒状化は偶然の出来事である。請求人両名はペール缶にセジットSを充填してもなお固めようとさえしていたのである。
   (2) 「白色火薬」の充填
 請求人両名はセジットSを爆発させるために「白色火薬」(二種類)を充填したわけではないのである。セジットSに対する不信から充填したにすぎない。
   (3) 適合的混合化
 本件爆弾は虹作戦以降、振動・横転によってペール缶内部においてセジットSとオージャンドルが適合的に混合され爆発適状に変化していった。請求人両名は本件爆弾の爆発・威力のメカニズムをおよそ知らなかったことは疑いようがない。
  (二) 新証拠としての「鑑定書」
 請求人両名の殺意の欠如を基本的に基礎付けているものが前述の二通の「鑑定書」である。セジットSとオージャンドルの開放燃焼実験、及び密閉爆発実験に基づく鑑定である。請求人両名・弁護人はこれらの鑑定によって本件爆弾がなぜ爆発し一定の威力をもちえたかという根本的疑問をほぼ解明しえたと思料する。
 ところでこれらの鑑定が明かにしている事項は原判決においてはおよそ問題にならなかったものである。むしろ原判決は爆弾一般論・宿命論から出発して、本件爆弾の物理的・科学的解明を一切放逐していたのである。この鑑定によって本件爆弾の科学的解明がはじめてなされたものと言っても過言ではない。
 刑訴法四三五条六号の明白性及び新規性を有することは当然である。
 3、結語
 三菱重工爆破事件は確かに痛しいかぎりではある。しかしだからといって刑事裁判―証拠裁判主義がないがしろにされてよいわけではない。事件発生(昭和四九年)から二〇年を経ようとしている。我々はこの三菱重工爆破事件の社会的・歴史的背景が何であり、原判決が認定した「罪となるべき事実」が果して誤りのない認定であったのか冷静に検証しうる地平に今立っている。
 このたびの再審請求書、鑑定書はこの地平から出発したものに他ならない。原判決は余りに不合理である。
 よって以上のとおり、再審の開始を求めるものである。
      添 付 書 類
 一、弁護人選任届            四通
 一、判決書謄本             一通
 一、鑑定書               二通
 一、鑑定嘱託書写            二通


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