シャコのリハビリ日記(その58)

「要介護1」ということで、夕食調理サービスを受けられるようになってから、私の負担も軽減してきた。前回にも書いたが、毎日午後4時過ぎに掛かってくる電話の回数が激減するという効果が出てきた。よしっ、これなら更に回数を増やしてやろうと私は思った。4月から介護保険が改悪されることになり、本人負担額が値上げされるそうだ。我が家では、調理サービスで現在、345円/時間だったのが、371円/時間ということになる。厚労省の官僚どもは、自分たちの金稼ぎには必死だが、庶民の苦労には我関せず、といったところか。税金を政治屋・官僚どもが横領するために在宅介護を奨励して、行政・官僚の負担は減らし、庶民には負担増しということだろうが。政治屋・官僚どもが私腹を肥やそうと必死こいている社会は、荒み、飢餓化し、モラルハザードが引きおこり、潰れていくという意味では、「亡国」の極みだな。カネ、金、カネの社会。社会の銭ゲバ化。北朝鮮のミサイル問題で慌ただしく叫ばれる「国家の防衛」なるものも、所詮は防衛産業と政治屋・官僚どもによる金儲けでしかない。「脅威」を作り出している自作自演の金儲け。
 そんなことより、「亡国」への道に行かないように、人々がのんびり、ゆったりできる社会にしていく方が良いだろう。老人や子ども、障害者、妊婦を保護するために金を使え!と言いたいよね。シングル介護できつくて、きつくて親や子どもを殺した人たちの大変さは、私へと繋がってくるのだ。他人事ではない。
 我が家での今後は、母の認知症の進行状況に沿って変更していくとしか言えないな。今のところ母は、私を息子として認識できているし、自分の生年月日も言えるし、洗濯機が使えなくなったが、掃除機を使うことはできる。料理は、即席ラーメンを作るぐらいはできるが、込み入った料理はしなくなった。ヘルパーが来て料理を一緒にしようと促しても、自分はこれまで料亭で働いていて、料理ばかりしていたからと、断っているようだ。断るのは旨いんだから、困ったもんだ。短時間だけ話したりすると、けっこうまともなのだが、長時間になると、同じ事をくり返して話すようになるから、おかしいな、変だな、と気づくようだ。まあ、その程度なので、オタオタせずになんとか救援連絡センターへも出勤して働いていられるんだろうけれど。しかし、これ以上症状が進めば、在宅介護では限界だ。親子共倒れとなる−シングル介護の悲劇だろうから、その時には一つの選択をしなければならなくなるだろうか。
 3月21日(土)、池袋・豊島区立勤労福祉会館にて救援連絡センター四十周年記念イベント&総会があった。主催者発表約100名の人たちが集まった。長らく左翼・労働運動が落ち目の中、よくぞ!この日まで存続できた救援連絡センター!お見事!「100年に一度の」世界恐慌下、今後は左翼・労働運動、社会運動が息吹き返し、反撃戦へと転換する時、その存在価値は更に増すだろう。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ばず、反権力反弾圧−救援運動は、これからも戦い続けるのであった。
 第一部総会と第二部記念イベントの構成であった。総会は、わりとシャンシャンであったかも。イベントの方が主であったかなぁ、もしかすっと。我が川村理弁護士の力の入った講演は、5月から強行される裁判員制度についてであった。なかなかの熱弁であった。更に、参加者は水族館劇場の『無知の涙』上演で度肝を抜かれた。こ、こんな芝居をお堅い頭ばかりの救援連絡センターが主催してやるなんて! ひどい!じゃなくてスゴイ!と言ったかどうか。
 かくして救援連絡センター四十周年は、二次会、三次会へと流れ流れてゆく人もあり、ナントカすんだのであった。
 後日、水族館劇場の千代次から電話が掛かってきた。役者をやってみますか?とのお誘いであった。そういえば、二次会の席でそんな話をしたのは覚えている。千代次の話では、私も満更でもなかった様子であったそうな。確かに、私は役者には色気がある。しかし、支援連の集会でも「あわわ‥‥」の口下手、訥弁である。果たしてできるだろうか。夢と現実には、監獄とシャバほどの距離がある。諸般の事情を斟酌してみた上でなければ、役者shacoが誕生するかどうかは、まだわからない。スター誕生なるかどうか、はふ〜。

(090328)

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