シャコのリハビリ日記(その61)

 先日、役者体験をしたことを報告した。時間的に余裕がなくなって、えらく忙しい日々を過ごしてしまった。朝6時頃には起床して、母の朝食を作り、洗濯機を回し、あれこれしている間に新橋の救援連絡センターへ出勤し、夜7時頃から芝居の練習に参加し、帰宅するのは深夜12時過ぎという日が多かった。ちょうど「救援」の編集時期と重なってしまったので尚更忙しく大変であった。疲れたぁ。私のようなモノグサには、とてもあきまへん。喰うための仕事をしながら、役者をしている人達はすごいなぁ、と思うね。
 しかし、良い経験をした。私の中で、何か変わっただろうか?まだ分からない。変わらなかったかもしれない。なにせ、頑固者の私だ。変わることの不安から、今にしがみついて変わらないようにしているかもね。結局、スター誕生!とは行かなかったね。ダイコン役者にもなれなかった。声が通らないのが、泣きであった。私、ボソボソとしか話せない人だから。私が話すと、「えっ、なんて言ったの?」と聞き返されることは、いつものこと。歩き方もどちらかと言うと忍び足≠セしね。どうも逃亡者の生き方が染み付いてしまっているみたい。二十代前半のナイーブな青春の時期に「全国指名手配のお尋ね者」になっちゃったのだから、トラウマとなってこびり付いているのかもね。つぶやきシローなら、芸人でやっていけるんだろうが、つぶやきにもならんからなぁ。
 まあ、ナントカ芝居も終えた。セリフが意外と多くなったので、喋るのが大変だった。アドリブがかなり入れてしまった。なんせ、実録ものだ。逃亡者の役であり、そのまんま。初めの方で、掲示板に貼ってある指名手配写真をビリッと破り捨て、「ホンモノの方が色男だぜぇ!」などとはずかしげもなくのたまうのである。口裂け女が「ワタシ、きれい?」と言うのと同じようなものではないか。「ボクって、色男?」ってよりは「ボクって、エロ男?」の方が似合っているかしらん。床屋談義の場面もあって、そこではしんみりと喋るのであった。「革命ってなんだ?」と聞かれて、「人のため善かれと思って、この身を投げ捨てることだよ。」というセリフをなのだけれど。アドリブで「生きているうちが花よ、死んだらそれまでよ」というのを付け加えた。わりと深い意味が込められているんだがなぁ、そこには。あれ、そんなセリフあったけ?という人がいるだろうね。あの芝居は、毎日毎日違うのよ。常に変化していく唯物弁証法的お芝居!なんちゃって!
 お芝居が終わったと思ったら、次には「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」写真展と映画+座談会があった。こちらは、救援連絡センタkタ40 年の会主催でやったもの。準備・宣伝が充分でなかったので、イマイチ人が集らなかった。しかし、6月18日にやった映画+トークショーでは、若松孝二、足立正生、鈴木邦男、パトリシア・スタインホフの話がけっこう面白かった。
 そうそう、次のイベントに出るのでよろしく!しかし、私がまともに喋れるかどうか不安!ボソボソだろうな、きっと。
 
模索舎主催:『1970年代以降のオルタナティブ運動」
 1960年代末に絶頂を向かえた新左翼運動は、70年代、連合赤軍事件や内ゲバなどによって一気に衰えた。 しかしその影で、具体的な現場では、新左翼系の様々な運動が生まれていた。三里塚、山谷" 釜ヶ崎などの寄せ場労働運動、部落解放運動、東アジア反日武装戦線とその支援運動、地域における労働運動や争議団……。これらの運動は今もなお継続して闘われている。貧困問題などがクローズアップされる今、その蓄積は新しい価値を見いだされつつあるのではないだろうか。
 最近、「新左翼とロスジェネ」(鈴木英生、集英社新書)が出版され、小熊英二氏の大著「1968」(新曜社)が7月末に刊行を予定されるなど、新左翼運動の流れを再検証する動きも活発だ。当時から諸課題の運動に関わり、現在も闘いを継続しているみなさん、さらに自らの党派専従経験を描いた「I LOVE過激派」(彩流社)でデビューし、5月に続編の「カルト漂流記オウム篇」(同)を刊行した早見慶子氏を迎え、運動経験とその展望を語っていただく。
◎出演者(決定)
 宇賀神寿一(元東アジア反日武装戦線「さそり」メンバー 救援連絡センター事務局員)
 藤田五郎 (山谷労働者会館活動委員会)
 早見慶子 (「I LOVE過激派」著者 元「戦旗共産同」メンバー」)
 その他出演者交渉中
 日時:7月14日 19:30□_ 新宿ネイキッドロフト
 


(090625)

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