シャコのリハビリ日記(その62)

 母の状態がやや進んだようだ。先日、既に亡くなって久しい父が今も生きているかのように、「お父さんは、散歩へ行ったのかい?」などと私に聞いてきたので、いささか驚いてしまった。しかし、一時的なものだったようで、すぐに戻った。このところ朝が早くなった。5時過ぎには頻繁にトイレに行ったりする。10分前後ごとになることもある。早くメシを作ってくれよ、というサインであろうか。夜遅く帰ってきて、朝早く起床するっていうのは、大変だ。昔のように惰眠をむさぼることも無くなった。寝坊助さんでいられるというのは、ある意味幸せなことである。早く起きなければならないという強迫観念(?)がないのだから。
 またデイ・サービスを試してみようかと思っている。家から徒歩五分程度の所にグループホームがあるので、そこに月に2,3回程度でも通ってもらえたらいいけれどな、と。入浴をほとんどしていないようなので、そのへん何とかしたいのだ。同性のヘルパーが入浴介助させたほうが本人も気楽だろうしね。そして、症状が進んだ段階に備えて、施設に慣れてもらおうということもある。「シングル介護」が最近、よく話題になっている。一人で介護する家族による深刻な実態と結末がニュースで取り上げられる。介護疲れから悲劇的な選択をしてしまうケースが後を絶たない。小泉のクソのやったことは、それを増大させたことだ。今年になってだって、介護認定を厳しくさせて、介護の必要な人からサービスを取り上げていっているのだ。その余りにもひどいやり方に「いい加減にしてくれ!」という非難があがってきた。だからこそ、認定の内容や方法についての再度の見直しがされることになったのだろう。本当に、いい加減にしろや!役人ども!お前らの生活の為に我々から収奪するんじゃねぇ!今度の総選挙で、少しでも状況が変わってくれればいいが。民主党もゴッタ煮で、極右から社民まで居て、当てに出来ない。だが、大状況を流動化させないかぎり、ニッチもサッチもいかないだろう。さて、私は茨城県だからなぁ。死に票にしない為には選挙区は民主党に入れるしかなさそうだ。
 ウチには家庭菜園がある。認知症の症状が進むまでは、母が菜園の世話をしていたのだが、今は私が時々やっている。今作っているのは、カボチャ、オクラ、キュウリ、インゲン、パセリ、ニガウリだ。ヒマワリも育っている。山椒、キンカンなど苗で植えたものも大きくなっていて、実がなったりしている。実が育ってきて、収穫した時などは何かシアワセな気持ちになる。育てるっていうのは楽しいね。今年は、ブドウが実をつけなかったな。気候のせいかな。
 救援連絡センタ−には、獄中から手紙多く届く。その中から、これは「救援」に載せようという内容のものがあれば、私なりに書き替えて載せるようにしている。何を訴えているのか?そのポイントをさぐる。「救援」は、月一回発行で、私はその編集をする。10日間位が編集期間で、25日から翌月の5日までがその期間だ。その間は、必死である。締切日がとっくに過ぎているのに、原稿がまだ未着、という人も居て、泣かされる。しかし、私も支援連ニュースの編集者K君を毎度泣かせているのだから、何をかいわんや、である。それでも、編集って面白い。より面白くて読みやすい「救援」にする為に、これからも頑張りたいと思う。
救援連絡センターは、過去の遺物になってしまうのか?救援連絡センターを支えてきた人たちの多くは老いてきている。情況が流動化し始めているのだろうか?どう救援連絡センターを今の情況を乗り切っていかせるのか。 今、「救援連絡センター40年の会」という実行主体をつくって、いろいろイベントを企画し、開催している。6月には「映画連合赤軍写真展」と上映会+トークショウをした。次は、「荒井まり子原画展」というものをしたいと思っている。 


(090802)

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