シャコのリハビリ日記(その63)

 8月30日に荒井まり子と二人で三菱重工爆破時の被害者の墓参りに行ってきた。もう何回目だろうか。毎回行くたびにきれいに清掃されていることで、関係者の故人への思いの深さを突きつけられる。他のお墓には荒れているものもあるので、霊園の管理者がやっているのではないことはたしかだ。
 さて、介護生活の方だが、家から徒歩5分ほどのところに認知症対応型通所介護を始めたというグループホームがあり、先日そこへ母に体験通所をしてもらった。機嫌良く帰ってきたので、居心地は悪くはなかったのだろう。10月から月2回くらい通所してもらおうと思っている。そうして、少しずつ慣れていってもらおうと思う。やはり、母をひとりで世話するというのは、ちょっとなぁ、といったところだ。親子二人だけでは精神的にも余裕がなくなっていくのだろう。私も、ここのところなんか余裕がなくなってきているように思う。 ここのところ母は、「貧血でぶんなぐった(倒れた?)ので寝る」と言ってくることが多くなった。必ずしも実際に倒れたわけではないのだろうが、私へ電話を掛けてくる時には、そんなことを言う。「狼少年」みたいなところもあるかもしれないが。今日も、朝食を終えてからすぐに布団に入って寝込んでしまっている。症状がまた少し進んでいるのかもしれない。以前は、私よりバクバクと食べていたのに、最近は食べる量が減ってきたようだ。そうした母の症状の進行が私の余裕を減少させていっているのかもしれない。岩波新書『痴呆を生きる』という本を再読してみた。初めに読んだときよりも今の自分と母の関係を考えていくことを深められたようだ。母に対して、意地悪くなっていた自分が捉え返された。
 先日、NHK総合テレビで介護をしていた子による親殺しの問題が取り上げられていた。まったく、コイズミのイカサマ野郎の為にどれだけの老人たちが死んでいったか。介護保険制度で良くなったか?なりはしなかった。かえって悪くなった。コイズミめ、自分は世襲で安泰、庶民はキュウキュウと苦界を生きるしかなくしやがって!  先日、またまた職質されてしまった。やはり北千住の駅であった。今回は改札口の外でだが。なんで、私はよくやられてしまうのであろうか。スキンヘッドだからだろうか。そして、あやしい雰囲気が漂っているのでろうか。今回もカバンの中を見せろと言われたが、結局見せることなく立ち去ることができた。
 北千住駅では、頻繁に職質網が敷かれるようだ。今回は、改札口近辺に横一列で網を張っていた。あれ、また網張ってやがるな、と思ったのだが。如何せんアマノジャクな性格をしているもので、網張っている方へまっすぐ向ってしまった。まさか、またやられてしまうとは思わんかった。呼び止められ、相変わらずのカンジのことを言われたので、「任意でしょ。見せません。」と言ってお断りした。なんとかなって、「じゃあ、けっこうです。」ということで終った。なんか、気分悪くなるよな。私ぐらいの年齢になると、通常はされないのでは?
やはり、あやしい雰囲気プンプンだから?
 来年、荒井まり子原画展というのをやろうと企画中だ。「救援連絡センタ―40年の会」が主催でやろうと考えている。そもそもは、某ギャラリーのオーナーが荒井まり子の絵をえらく気に入ってしまい。(シャガールっぽいとか言ってたね。)是非やりたいということから始まったのだ。それが、どんどん膨らんでいってしまい、とうとう『子猫チビンケと地しばりの花』の復刻発行もやろうではないか、ということになってきてしまった。エライコッチャ。来年は、5・19の35年目ということで支援連でも集会を考えているようなので、連携してやれたらいいなと思っている。


(090925)

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