シャコのリハビリ日記(その64)

 母の症状は、いくらか進んだようだ。このところ、スグ横になってしまうことが多くなった。「貧血で目が回るので、もう寝るからね」と言って布団に入ってしまう。それでも昼のチャイムや、一八時の時報が鳴れば、ゴハンはまだか?と聞いてくる。どうなんだろう。本当に貧血で目が回っているのだろうか。さらに調理をしなくなってきた。以前は、袋入り即席ラーメン(サッポロ味噌ラーメンでないと食べないのだ)に野菜をふんだんに入れて作って食べていたのだが、ここのところやらなくなった。「火事になるとイヤだから、火を使わないよ」などと言うようになった。調理しなくなったのは、火事を出すのが怖いから、ということらしい。けっこう自覚してるところあるんだな、と感心。ヤバイ!ということになったことがあったのかもしれない。
ともあれ、症状が進んできたのは確かだから、それに対応する態勢にしていかなければと思っている。そこで、私としては、デイ・サービスを月二回というのを急遽週一回に増やすことにした。施設での生活にできるだけ慣れていってもらおうという考えからだ。これまで二回ほどデイ・サービスに通所してもらった限りでは、滞在を嫌がることはないようだ。かえって気分よく帰ってきたりしている。相性の良い職員がいるのだろう。我が家から徒歩5分程度だから、母が帰るよーと言い出しても、なんとか帰れるかな。認知症のグループホームが主体だから、認知症の母にとって丁度良いのかもしれない。通所は、今のところ母一人だけだから、マンツーマン対応だしね。
施設としては、母を手始めにドンドン通所者を増やしたいところだから、母はきっと厚遇されているかもね。しかし、デイ・サービスは、9時から16時までしか居られない。11月からは、夕食調理サービスを月、火、木、金曜日にして、デイ・サービスを水曜日にしてやっていくつもりだ。中途半端なカンジで、私の家事労働がそれほど減少するってわけでもなさそう。とにかく、母は私にそばに居てほしい、というところだろうか。一人で居ると不安感が大きくなっていくのだろうか。ヘルパーが帰ると、スグ電話を掛けてくるようになった。1時間2時間ドライブモードにしておいたりすると、あきらめて掛けるのをやめるようだ。
アリセプト錠剤が効いているのか、アルツハイマー型認知症の進行もそれほど早くはない。母の記憶が今は虫食い状態であろうとも、母が「爆弾犯人」の家族であるがゆえに晒された批難、攻撃について、深く刻み込まれたその一つ一つの刻印を記録しておこうかと思っている。それは、反日の家族すべてに等しくかけられた凩の時だった。反日家族会は、その暴風によく耐えたと思う。
 来年、東京で荒井まり子原画展をやる準備をしていることは前回書いておいた。その際に、あの不朽の名作映画『母たち』も上映するつもりだ。そして、『子猫チビンケと地しばりの花』の復刻版も出版する(かもしれない)。初版本よりも絵の枚数も増やす。来年の三五年目の5・19集会と連携してやる準備を着々と進行させているところ。原画展と復刻本出版のための基金をつくっていこうと思っているので、その際はご協力を願いします。
 かなりの間、私は義兄姉=「同志」たちと今もってやり取りすることができていない。私も日常に追われてしまって、手紙さえ書けないでいる。私の手紙を受け取ることの出来る栃木刑のユキちゃんはきっとこう思っているだろう。元日本赤軍の仲間もそうだが、反日の仲間も筆無精でしようがないなぁ、と。私は、唯々ゴメンね!≠ニ詫びるのみである。
 救援連絡センターもいよいよ大変である。財政がかなりピンチ。さて、これからどうなるやら。お金が無いと活動できなくなるシビアな資本主義社会。
 12月は、いろいろあるよ。みんな、おいで、おいで。12月5日(土)には、山谷で闘った亡き仲間たちについて語り合う集会があり、12月12日(土)には、多田謡子反権力人権基金の受賞会がある。逝った友人たちのことを想う12月である。
 凩吹く空に、心模様は渦を巻き

(091029)

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