シャコのリハビリ日記(その65)

 救援連絡センタ―のある新橋まで2時間半位かけて通っている。通勤ラッシュ時には乗らないので、通勤苦には遭っていない。電車で通っていると、いろいろなことに遭遇する。ある日、「駆け込み乗車はおやめ下さい」のアナウンスに逆らって、会社員が駆け込んで来て、あえなく扉に腕だけ挟まれた。見ていると近くの誰も助けようとしない。私が行って扉を開けようとしたが、なかなか開かない。その会社員、無理に押し入ろうとせずに諦めればいいのに、必死に入ろうとする。私は、「もう諦めたら?」と言ったが、くだんの彼は相変わらず初志貫徹の姿勢。仕様がないので、また手助けしていたら、三十代のフリーター風の男性が助っ人に来てくれた。二人で挟まれた会社員を助け出そうと必死になっていたら、ようやく駅員が来て、三人の合力で扉がやっと開いて、会社員は開放された。しかし、その会社員は、私らに、挨拶のひとつもない。最近は、「ありがとう」の言葉が消えてきているようだ。もうひとつお寒いのは、1メートルも離れていない所に何人も立っていたが、そいつらは動きもせずにジーッと見ているだけだったこと。お寒い□、世の中。前にも、同じようなことがあった。アフリカ系外国人が扉に挟まれたのに遭遇。誰も助けないので私が手助けしたことがあったが、その時にも何もなかったような雰囲気が断続なく続いた。外国人が、「サンキュウ!」と言ってくれたのが救いだ。また、赤ん坊を抱いた女性に席を譲った時にも、なんかかえって悪いことしたのかなぁ、という気持ちになったことがあった。そうした繰り返しが助っ人になることのおっくうさになっていくようだ。この日本社会は、経済的政治的だけでなく、人間―精神的にも危機的な状況にあるようだ。人間関係の基層部分が崩壊してきている?
 私の母の病状は、さらに進んできたのだろうか。それとも冬近し、寒さの為なのか、料理も掃除もしなくなった。あまりコタツからも出なくなった。日中は、コタツで寝ることが多くなった。デイ・サービスは早々に週二回に増やした方がいいのかもしれない。日中、ひとりぼっちで居たら、認知症の進行が早くなりそうだ。他者とのコミュニケーションが症状の進行を遅滞させるだろうから。とにかく人と話すのが好きな母であるから。この頃は、私を早く帰宅させようと、「貧血でぶっ倒れた」と電話してくるようになった。それも死にそうな声を出して演出してくるので、役者やのぅ□と苦笑してしまう私である。だんだん世話する時間が拡大して来たようだ。このままでは、私はシングル介護の悲惨な状況に陥ち入るかもしれない。不器用な私であるから、その可能性は大きい。最近、とにかく「介護殺人」が多くなった。鉄道の「人身事故」も多くなっているようだが、同因だろう。当該者の責任問題ではなく、社会的政治的責任の問題だろう。
 さて、母の話である。12月分のサービス利用票(兼居宅サービス計画)を見ると、夕食調理サービスを月、火、木、金の週4日と週1回のデイ・サービスで、利用者負担総額は7,140円となっている。デイ・サービスが3,360円だ。これならもう1回増やして、週2回にしても経済的負担はそうないかもしれない。総額で、一カ月10,500円だ。それならば、デイ・サービスを週2回にしても大丈夫そうだ。私がブッ潰れないうちに施設への移行態勢を着々と進めて行かなくてならない。「介護殺人」―「介護地獄」予防作戦?を貫徹するぞ□! 私も7年間の逃亡者生活と21年間の獄中生活、さらに「介護生活」だけで人生を締めくくるのも、なんかつまらないものね。いろいろ、あちこち、動き回って生(性?)を躍動させたいという思いもある。
(091128)

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