シャコのリハビリ日記(その9)

 今、私は仕事をしている。やっと見つけたって感じである。ホント、不景気であることを実感するのであった。初めての経験である。ハローワークなんてところに行ったのなんて、今回初めてである。
 逃亡中も仕事では苦労したものである。今回は、ちょっと脱線してしまうが、その辺の話しをすることにしよう。
 逃亡中のきわめて初期、東京を脱出してスグの話。私の手持ちのお金は、わずか二万数千円しかなかった。これでは、そう長くは逃げ切れないと思った。それで、私は仕事をすることにした。支援者でも居れば、そんなことをすることもなかったのだが、当時の我々にそんなものは居なかった。関わりになりたくないという感じで、「しっ、しっ、しっ!」。…で、私は手っ取り早い仕事をすることにした。‘立ちんぼ’である。これは、自分でもかなり危険だと思っていた。山谷、釜が崎に関わっていた我々について、権力は当然知っているわけなんだから、そこを監視していることは明らかなのだ。
 しかし、金がないことは切実な問題である。金が尽きたら、いっそ交番に自首でもしちゃろうかという思いが頭をよぎったことさえあった。もう、ええわいという感じで、とにかく‘立ちんぼ’した。もちろん、ドヤに泊まった。やばいなぁ、とおもいつつ、薄汚い布団にくるまって寝た。しかし、ぐっすりと眠れた。私には、薄汚いところがあっているのかもしれない。‘立ちんぼ’で工場の仕事にありつけた。そこを直行でしばらく働くことにした。それで、しのぐことができた。
 逃亡中のある時期には、「もし、こんなことになってなかったら、こんな仕事はしていなかっただろう。」ということもやった。
 それは、ストリップ劇場の照明係である。これは、良かった! なにが良かったって?
 ムフ、フ、フ。
 まさかストリップ劇場とは、思わんかったもんね。スポーツ新聞の求人欄に「劇場の照明係急募!高給優遇!寮完備!]とあった。逃亡者としては、「寮完備」ってのに魅かれた。住むところを世話してくれるってのが魅力的なのだ。「高級優遇」ってのも良かった。
 …で、私はすぐに行った。そこへ行って見たら、ナント!大きな裸の女性の看板が立っていた!
 今更、引き返すこともできない。だって、お金が残り少ないもの。そ、それに、ちょっと興味もあったし。
 あえて、ここで告白しよう。小さな声でね。じ、実は、私は当時、ストリップ劇場なんて入ったことはなかったし、女性と手を握ったこともなかったほどの純情少年(青年?)だったのだ。ビンテージものの童貞やったんやでぇ!「気持ち悪〜ぅ!」なんて言わんといてや!
 さて、簡単な面接を終え、スグに仕事をさせられた。仕事は、次のような内容であった。
 朝一〇時、朝食。実がほとんど入っていない味噌汁とごはんだけ。
 朝一一時、劇場と事務所の掃除。
 昼一二時、開場。これ以降劇場が閉まる夜一一時頃まで、ずっと照明のお仕事。  楽しいな、ラン、ラン、ラン……なーんて、嘘です。キツーイ仕事でありました。あんまり顔ばかり照明当てていると、タレントから『ふざけるんじゃねぇよ!』などと怒鳴られるんだもんね。えらいこちゃ!私としては、近くの劇場で手入れがあったというので、この劇場にも警察の手入れがありそうだという情報を元に、防衛策を講じていただけなのだが…。また、踊る時のバックミュージックが頼んだのと違うじゃないかというので、ちょっとこーいってんで、お呼びがかかり、行くと、『あんた、アタシをなめてんかい!』などと怒鳴られたりもした。
 タレントから可愛がられることもあったから、そう悪いことばかりでもなかったかなぁ。お酒は、おごってもらったしね。しかし、一物をギュッと握られたのには、ひぇ〜ッ! であった。それは、こういう場面であった。もう楽日というとき、最後の踊りを終わって来たジプシー・リリー(仮名)が、舞台の袖にいた私に近づいて来て、私の一物をギュッとばかりに握った。私は、思わず、「イテ、イテテ!」。握りながらジプシー・リリーは言った。『次に私が来るまで、我慢して居るんだよ。』私は、彼女に答えて言った。『はい、待っています!』
 しかし、その約束を破ってしまった私。いつ手入れがあるかもしれないストリップ劇場、いつまでもいられはしない。それに、ここで捕まったなんてことになったら、いい週刊誌ネタになっちまう。それは、避けねばならない。ただでさえ、ひとりで東アジア反日武装戦線の品位を落とし続けている私なのだから。楽日には、タレントたちから劇場スタッフへ寸志が贈られる。それと給料をもらってから、私は夜逃げした。サヨウナラ、ジプシー・リリー! 約束を破って、ゴメン! 私は、早朝五時頃、寮である屋根裏部屋から抜き足差し足で逃げ出した。そこがそれ、どこか抜けている私である、大事な財布を枕の下へ置き忘れてきてしまった。あわてて引き返して、取りに戻ったのであった。
 それにしても、あの劇場はひどかった。なーにが、高給優遇じゃ、寮完備じゃ。まるっきりタコ部屋であった。いや、タコ部屋のほうが良かったかもしれない。月給二万円ってことはないだろう?それに、メシだって、朝食は味噌汁とごはん、昼食と夕食は一菜(例えば、コロッケ一枚だけでキャベツ無し。)だけってこともなかろう? とにかく、メシがひどかった。仕事が終わってから夜中に自分の金で食べるラーメンとギョウザのおいしかったこと。あれが当時の私の栄養補給であったみたい。
 まあ、しかし、ああいうタコ部屋的劇場であったから、私がなんとかパクラレルことなく潜んでいられたとも言える。
 そうだな、当時と今とでは状況がかなり違ってきているようだ。管理社会化がより進んできているし、のんびりとした人間関係もなくなってきている。指名手配を受けている逃亡者にとっては、やりにくくなっているだろうね。田舎へ行って、『ちょっと働かせてもらいます。』なんて言っても、今じゃ相手が警戒しちゃってダメだもんね。昔は、それができた。おかげで、私はだいぶ助けられたもんだ。

SHACO
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