シャコのリハビリ日記(その10)

 仕事をするということは、人にとって大切なことである。昨年から今年初めまで、私はずっと仕事をしていなかった。旅ができたから、その点は良かったのだが。フリーな時間が続けば、ヒマ疲れとなる。私は、なんて貧乏性な人間なんだろう。お袋から、「早く仕事をしろ!」なんて言われることもえらくプレッシャーとなってもいたしなあ。まあ、しかしだ。仕事はした方がいいのに決まっている。仕事をしたことで救われたことが多かったよなあ、逃亡中は。逃亡中は、毎年一回は指名手配されている犯罪者がテレビなどで写真が公開されていた。今もやっているだろうか? その毎年一回ある強化月間が、ホント嫌だった。あまりにも似ている顔だし……、当然か? 本人だもんね。逃亡当初は、私の顔写真の波であった。それなのによくつかまらなかったよなあ。私って、写真写りが悪いからよかったのかもしれないな。なにせ、実物が色男だもの。誰だって、同じ人間とは思えなかったのかもしれない。たぶん、そうだろう。そうとしか考えられない、考えたくない。
 そんな状況下、人はどんどんとウツの精神へと急降下していく。押入れや屋根裏のようなところに入って、息を殺していたおぞましき時期があった。一ヶ月以上、風呂にも入れずにジッと閉じこもっていた状況があった。一ヶ月も風呂に入らないと、手足をこすると垢がボロボロと落ちていくのであった。口下手で、人見知りの激しい私にとって、その状況は私をさらに卑屈にしていった。それは、さらに状況を悪化させていく。このままでは、どうしようもなくなる。そんな時に、私は仕事を始めることになった。作業療法のようなものになったようだ。仕事をしていくと、少しずつ変化が出てきた。心が開いていくようであった。自信も取り戻してきた感じだった。部屋にこもっていたらダメだと思った。それで、とにかくできるだけ働くようにした逃亡生活だった。
 最後にやったのが、新聞配達だった。場所は、板橋区志村坂上。板橋区体育館のそばの新聞販売店だった。新聞の募集広告を見ていった。ワリと働きやすいところだった。アパート完備で住よし! 朝四時から七時までの朝刊、夕方四時から六時までの夕刊の配達時間以外は、フリー。時間的には少々縛られるけれども、けっこう楽であった。朝刊を配達し終わったら、コンビニへ行って、ビールとつまみを買って帰るのが日課となっていたっけ。ちょっと酔って、布団に入って昼寝ならぬ、朝寝を少ししてから、外出をしたりしていた。映画を見たり、本を買ったり。夏には、そばにあった区民プールに泳ぎに行ったりもしていた。
 新聞を配達するだけではなくて、集金と拡張もした。集金日には、夜遅くまで集金をした。拡張も大変であった。洗剤等の拡材(拡張材料)をもって、ピンポーンとチャイムを鳴らして、ドアが開いたら、「奥さん! 〇〇新聞を取ってくださいよ。これ差し上げますから、よろしくお願いしますよ。三ヶ月でいいですから…。」などと言いながら、何とか契約を取っていた。契約を取ったら、金がもらえた。三ヶ月か六ヶ月の契約を取ったら、五〇〇円で、一年契約だと一〇〇〇円がもらえた。なかなかいい仕事だったと思う。体にとってもよかった。とにかく、よく走り回ったので足腰が鍛えられた。そんないい仕事も終わりが来た。忘れもしない八二年七月一二日。志村銀座へ買い物に行った時、後ろから「宇賀神だな?」と言われて、振り向いたら、ワッとばかりに一〇人ほどの私服に手足と首をつかまれて、近くの交番へ連れ込まれてしまったのが運の尽き。

SHACO
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