シャコのリハビリ日記(その12)

 夜、車を走らせることがよくある。
 そんなある夜……、ヘッドライトが道路を照らす。道路の真ん中に座っていた……、チョコンと、子猫が。
 僕は、〈危ない!〉と思って、ブレーキを踏んだ。子猫は、その音に驚いて、茂みの中へと逃げていった。
 ああ、危なかった。僕は、気を取り直して、また走り始めた。ヘッドライトが道路を照らす。
 照らし出されて……、そこにあったもの。
 道路の端っこに猫の骸。
 累々と横たわる猫の骸。
 死というものは、近しいものなのに、なぜか、遥か遠くのもののように感じられる。
 ムショに居たからこそ、人の死が認められないと思った。しかし、そうではなかった。
 人の死を、訣別を認められないのは、自分が思いを残し、その人が思いを残しているからだ。別れがたさが残っているからだ。
 荒井幹夫さんの「偲ぶ会」、大道寺幸子さんの「追悼する会」には、集い来た人々の思いが溢れかえっていた。
 思いが引き継がれていく空間が、そこにあった。これから何をしていくのかが問われ、見えてくる空間があった。
 生命の群れが流れ続ける、流れ続ける……。

SHACO
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