シャコのリハビリ日記(その14)
夜、車を走らせることがよくある。
そんなある夜……、ヘッドライトが道路を照らす。道路の真ん中に座ってい た……、チョコンと、子猫が。
僕は、〈危ない!〉と思って、ブレーキを踏んだ。子猫は、その音に驚いて 、茂みの中へと逃げていった。
ああ、危なかった。僕は、気を取り直して、また走り始めた。ヘッドライト が道路を照らす。
照らし出されて……、そこにあったもの。
道路の端っこに猫の骸。
累々と横たわる猫の骸。
死というものは、近しいものなのに、なぜか、遥か遠くのもののように感じ られる。
ムショに居たからこそ、人の死が認められないと思った。しかし、そうでは なかった。
人の死を、訣別を認められないのは、自分が思いを残し、その人が思いを残 しているからだ。別れがたさが残っているからだ。
荒井幹夫さんの「偲ぶ会」、大道寺幸子さんの「追悼する会」には、集い来 た人々の思いが溢れかえっていた。
思いが引き継がれていく空間が、そこにあった。これから何をしていくのか が問われ、見えてくる空間があった。
生命の群れが流れ続ける、流れ続ける……。