シャコのリハビリ日記(その15)

 今、知的障害者の小規模作業所で、僕は働いている。毎日、大変だが……楽しく働いている。
 今年の二月にハローワークで見つけた仕事だ。当初は、ホームヘルパーをやろうと探していたのだけれど、ムサイ男のヘルパーはあまりお呼びではないようだった。仕様がないので、ハローワークで検索を重ねていて、やっと見つけ出したのが今の仕事だった。
 面接に行ってみると、「アレ、レ、こんなものでいいのか?」と思うぐらいに簡単に採用となった。労働条件は、九:三〇〜一七:〇〇(一二:〇〇〜一三:〇〇昼休み)の就業、時給八一〇円のパートタイマー。四月一日から三月三一日までの労働契約を結んだ。月にすると一〇万円前後の収入しかないが、リハビリしている身なのだから、「まあ、いいんじゃない。」といったところだ。福祉の仕事は未経験なので、これから学んでいこうと思っている。
 マイカーで通い続けて、すでに一〇ヶ月近く働いているから、これまでに着いた仕事の中ではムショの仕事に次いで長く続いた仕事ということになる。スタッフ四名、メンバー一一名(筋ジス、自閉症、CP、知的障害等の二〇歳から四四歳までの男女)の小さな作業所だ。アタフタ、オタオタしながらもなんとかやってこれた。
 四月下旬には、日比谷公園で行われた数万人規模の小規模作業所の補助金カット反対集会に参加して、出所後初めての「政治活動」をしてしまった。このパレード参加は、少々照れくさかった。この時は、メンバーの車椅子を押しながら歩いた。日比谷公園からデモ行進したのは、三〇年ぶりくらいだろうか。因みに、僕の古くからの知り合いも参加してくれた。この知り合いとは、三〇年以上前だが東京高裁の周りを「狭山差別裁判糾弾!」と叫びながら、ぐるぐる廻っていたっけ。その頃(七一年)は三〇〇人程度の集会参加者数だったろうか。
 数は少なかったが、緊張感で沸騰したパトスが存在していた。
 五月下旬、滋賀県で行われた小規模作業所についての研修集会に参加した。この集会のテーマは、「働く場の意識改革で障害者の地域生活を切り拓こう!」ということだった。僕は、この分科会では「事業所型作業所」分科会に参加した。事業所型作業所について簡単に言えば、「全利用者の一/二以上と雇用契約を締結し最低賃金を支払うことを通じ、雇用に準じる就労の場を提供し、経済的自立を図る。」(集会パンフより)ためのものといったところか。今作業所で働いている僕としては興味の持てたものだったから参加した。研修集会は、わりと刺激的だった。関西方面は、明るく元気だなぁと思った。僕も関西に行ったら、明るく元気にやれるかも。
 さて、作業所の方だが、僕がメンバーと一緒にやっている仕事は、ビニール袋を一〇枚一組にして袋に入れたり、小箱に機械部品を詰めたり、メール便の箱を折ったりするムショでもやっていたような内職仕事だ。また月一回、廃品回収というものがあり、保護者が中心になって古新聞・雑誌、古着、アルミ缶、ダンボールを集めて業者に売って、メンバーの給料の足しにしているものだ。町工場からの内職仕事が少ない時には、メンバーの給料(一律三〇〇〇円)の大きな支えとなっている。僕も保護者や協力者の家をクルマで廻って廃品回収をする。
 作業所での一日の流れは、次のようなものだ。僕は、大体九時半前に出勤。すでに正職員は出勤している。 メンバーたちもそろそろ出てくる。九時五〇分になったら、朝の健康体操の時間だ。ナント、僕がこの担当にされてしまったのだ。ムショにいた時も朝の体操の担当だったんだよなぁ。大体二〇分間くらいやっている。前任者のやっていたのは、NHKのラジオ体操みたいなものだったのが、僕のはちょっと変えてみた。ムショでやっていたストレッチ体操、坂口弘直伝の目玉の体操、足裏モミモミマッサージ、呼吸法、それとダンスだ。短い時間にこれだけのことをするのは大変だ。本当は、もう少し時間をとりたいところだがそうもいかない。ダンスは、初めアフリカ音楽でやってみた。パーカッションのリズムが良さそうかな、と思ったのだ。けっこうのってくれた。しかし、なかにはパニックに陥りそうな人も出てきた。ちょっと激しすぎたかなぁ、と反省。今は、メンバーの中からの希望者に音楽テープを持ってきてもらって、振り付けもやってもらっている。朝の楽しいイベントになっているのかもしれない。
 健康体操が終わったら、作業が始まる。内職仕事だけではなく、畑仕事もやっている。三畝位の小さな畑がある。そこで取れた農作物も売ったりしている。今は、大根、小松菜、カブ、シュンギク、ほうれん草が取れるので、それを売っている。あまり農業を知らない僕が担当をしているのだが、まあなんとかできている。メンバーも家の中での仕事より、外での仕事の方が気持ち良さそうでもある。
 一二時になったら、昼飯だ。みんな、お弁当を持ってきているので食べる。僕も適当に作ってきた弁当を開いて食べる。味噌汁は作業所で出している。たまに僕が味噌汁を作らなければならないこともある。
 一時まで休憩時間となる。パートだから、この時間の給料は出ないから、クルマでちょっと遠出していっぷくしに行くことがある。このところは、メンバーにオセロさせて、そばにいるようにしている。それまでは、メンバーは、それぞれがボーッしていたり、本をみていたり、紙になにかを書いていたりしていて、暇をもてあましていた感じだった。僕は、それを見て昼休みの使い方がつまらないなぁと思っていた。だから、バレーボールに誘ってみたり、畑を見に行こうと誘ってみたりしていた。
 一時から作業が始まる。
 そして、三時に終業。みんなにお茶を出す。お茶を入れるのもスタッフが入れるので、僕も時々、お茶の準備を任されたりする。お茶を飲み終わったメンバーから帰り始める。メンバーが帰るのを見届けてから、スタッフの清掃が始まる。三人のスタッフでジャンケンをして、清掃するところを決める。台所、便所、室内。三時半頃には、清掃も終わる。それから、ミーティングが五時頃まで行われる……というのが、通常の一日だ。
 さて、更に、これまでに行われた行事について書いてみると……。
 五月下旬に、アサヒビール工場へ社会科見学に行った。これは、作業所のスタッフとメンバーおよびボランティアの総勢一六名。
 六月下旬には、社協ふれあいバス旅行というものに参加した。これは、町の社協が主催したものだったが、僕のいる施設のほぼ全員が参加した。
 七月上旬には、施設の「買い物学習&テーブルマナー」というものがあり、近くの自然食レストランで食事をしてから大店スーパーで、一人に二〇〇〇円づつ渡して、自由に買ってもらった。一〇〇円ショップでガッばと沢山買い物をする人もいた。それぞれ楽しそうであった。
 九月上旬には、保護者も参加してもらっての研修旅行が行われた。箱根の彫刻の森美術館、芦ノ湖などへ一泊二日。宿の入浴場の備え付けのシャンプーを全部、ビニール袋へ入れて持ち帰ろうとしたり、食堂のバイキングで出されている飲み物を何本ものペットボトルに詰め込んで持ち帰ろうとしたりするふとどき者を取り押さえたりして、なかなか忙しい研修旅行であった。
 一一月中旬、施設の「収穫祭」というものがあった。畑で作った物などを出した。
 この一年、いろいろあったが、今回はひとまずこのへんで筆を止めておこう。次号で、メンバーとのつきあいについて書いていこうかと思う。

SHACO
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