シャコのリハビリ日記(その18)

 さて,Sさんとの共同生活について,報告しよう。
 Sさんは,ホームレス支援の活動をしている友人が作った会社で働いているのだが,その会社,なかなか仕事がない。週に1,2回仕事があればよい状態である。これでは,安定的な生活は作れないということで,ハローワークで求職活動をすることになった。少し前に生活保護を取ろうということで請求したのだが却下されてしまった。仕事する能力があり,仕事があるのにする気がない・・・というのが主な却下理由のようである。要するに,予算削減政策を忠実に実践しているということなのだろう。私は,彼と一緒に登録手続きのためにハローワークへ行ってきた。ハローワークでは,求人検索もしてきたがあまりなかった。トマトもぎりという仕事がけっこうあったが,その仕事は主には女性が従事しているようだ。後は,免許がないとダメなのが多い。これでは,仕事をしようとしてもできない。それでもなんとか食肉加工の仕事の求人を見つけた。面接の日も決まった。
 面接の日の朝,彼は気合が入ったカンジで出かけた。しかし,彼は夜になっても帰って来なかった。
 帰って来たのは,次の日の朝であった。どうやらパチンコ屋へ行って,珍しくここ数日間続いた仕事で得たお金のほとんど(1万数千円=ほぼ3日分の給料)を使い果たしてしまったようである。彼もパチンコ依存症と言ってもいい人のようだ。パチンコで身を持ち崩す人がこの地でも多いようだ。朝帰りした彼は,金を擦ってしまったので,恥ずかしくて帰るに帰れなくなったといったところのようだ。彼の帰って来た日は,仕事を少ししてから温泉へ行った。温泉は,水俣の手前にあった御立岬温泉である。天草を眼下に湯舟につかった。この温泉は,塩味がした。温泉に入った後,私たちは更に南へ向かった。そこには,Oさんと言うホームレスの人の家族が住んでいる。その家族にOさんの所在を聞きにいったのだ。Oさんは,生活保護を取れてしばらく生活をしていたのだが,アパートに何もかも置いて突然蒸発してしまったのだ。その後,彼と熊本市で会った人がいるそうで,どうやら熊本に居るようである。やはり,野宿をしているらしい。噂では,パチンコに生活保護費を入れ揚げて,どうにもならなくなって蒸発ということらしいのだが・・・。真偽は,分からない。OさんもSさんも八代の私の友人Nさんが生活保護受給申請のために骨折ってきたのだ。しかし,突然の「蒸発」は,積んできた石の山を崩されてしまう思いなんだろうなぁ。
 さて,温泉から帰って来てから夕飯を食べていると,アパートの隣人Kさんが酒持参でやってきた。この人は,生活保護を受けている。話をしながら酒を飲む。「そろそろ遅いので,もうお開きにしましょうか。」と言って,お開きにした。隣人が帰って,Sさんと二人となった。それから,Sさんがブツブツ言い始めた。どうやら私への不満のようだ。トイレの扉を几帳面に閉めすぎるとかと言い始め,扉をバンバンと開けては閉めをやり始めた。かなり飲み過ぎているようだ。すると,隣人Kさんがえらい剣幕でやって来た。熊本弁で「うるさいぞ!この野郎!何時だと思っているんだ!」といった意味のことを言ったようだ。私は,「まあまあ,Sさんも酔っていることだし,明日になってから話しましょ。」となだめたが,修まらず,「ちょっと来い。」とSさんを隣室へ連れて行った。どうなることやらと心配したが,なんとか穏やかに話している様だった。それでも心配だったので,夜遅かったが友人のNさんを呼んで来てもらった。隣室に居るSさんを呼び出して来て,NさんとSさん,私の三人で少し話し合った。しかし,Sさん本人が酔っており,あまり要領を得ないので翌朝話を聞くことにして,寝ることにした。Sさんは,寝る時にもブツブツと言い始めた。ブツブツのおおよその内容は,私に対する不満だった。彼の日常生活に対して,私が彼にあれこれ言うことが気に障っていたようである。私にすれば,アドバイスだったのだが,この8年間ホームレスとして気ままに生活して来た彼にとっては,なんともうるさいことだったようだ。自分より後から入って来やがったのに,デカイ面しやがってといったところだろう。男二人の共同生活っていうのもうっとおしいもんだから,トラブルになり易いのかな。熊本に旅立つ前に旧友から,「男二人ってのは,トラブルになり易いぞ。三人ならいいが。まあ,気をつけてな。」と心配されていたが,やはり‘亀の甲より年の功’だね。
 そういうこともあり,しばらくSさんには羽を伸ばしてもらうことにした。狭い部屋で顔を突き合わせているのもなんだから,数日ほど私は温泉巡りに行くことにした。
 温泉巡りから帰ってからの私とSさんは,お互いがちょっと遠慮気味かげん。Sさんも深酒はしなくなり,からむこともなくなった。しかし,会社へ面接に行った日には遅く帰ってくるか,朝帰りをすることがある。どうしてなんだろうねぇ。面接に行けども,結果はいつもだめだった。そんなSさんを見るに見かねてなのか,アパートのお隣りさんや大家さんが彼にご飯のおかずを持って来てくれる。私もご相伴に預かった。そのお返しに私からも手料理をお隣りさんに持っていったりした。大家さんは更に,Sさんに仕事を世話してくれるようになった。半日仕事で1500円位貰っているようだ。それで,彼も一息入った。一息入ると困ったことになる…。まとまった金が懐に入ると,パチンコ玉の音がジャラ,ジャラとしてくる…みたい。稼いだ金をパチンコで擦ってしまわれたのでは,いつになっても自立してもらうことはできない。それで,友人のNさんは,後日彼から「これからはパチンコをしません。」旨の念書を取った。それでうまくいくかどうかはわからない。
しかし,念書を裏切った場合,彼は今の酒とタバコとコーヒーが自由に楽しめる生活ができなくなる。Sさん,さて,どうする?最近の彼は原付免許を獲得するために,夜試験勉強をするようになってきた。時々,私も手伝ったりした。少しづつ自身とやる気を持っていってもらおう。この間に,私は水俣の友人のところへも行って来た。相変わらず,子沢山で元気な子供たちが遊んでいた。水俣では,また新たな出逢いがあった。
 さて,私と彼の共同生活も3月16日で終わりとなった。私は,帰郷することにした。別れる時,Sさんが「宇賀神さんは,また来るんだろう?」と聞く。私は,「Sさんは,俺がまた来た時ここに居るんかねぇ?」と言うと,”へ,へ,へ。”と笑っていた。
                   2005年12月
 

SHACO
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