シャコのリハビリ日記(その19)

 五月一四日の集会は、本当にいい集会だった。集会に来た誰もが気持の良い余韻の中にしばらく浸っていたのではないだろうか。私もその一人だ。その集会だが、なぜか、私はそこで家族会の報告をすることになってしまった。私は、喋るのが下手なのである。そんな私にそんな役が任されたのだから大変である。とにかく、文章化してそれを読み上げる式でいくことにした。いつものことである。結局、これまたいつものことであるが、洗練されたスピーチとはならず、お恥ずかしいスピーチとなってしまったのであった。同志の名前もトッチちゃうし、どうも失礼しました。
 しかし、五月一四日の集会はたくさんの出逢いがあり、得られたものがあった。「気持の良い余韻」というものは、それゆえのものということだろう。あの集会がこれからの転機になるのではないかと思う。東アジア反日武装戦線の救援運動にとっても、私自身にとっても。
 さて、私の日常生活だが、相変わらずの「只今、失業中」である。職業訓練校での勉強はそれなりに面白い。家の平面図やら立面図を描いたり、インテリアのデザインを描いたりしていると、夢中になってくる。私は、絵を描くのが好きなのである。講義は、あまり勉強に身が入らない人たちもいて、わりと騒がしいこともあるが、私はもくもくと勉強をするのであった。私のいるクラスは、二〇代、三〇代の若い人たちが多いので、私のようなオジサンはチョッと浮いてる感じ。ま、浮くのも仕様がないかな。何せ、頭はツルツルだし、手拭いを頭に被ってたりしているもんね。やっぱり、チョッとおかしなオジサンそのものだもんな。クラスの連中は、初めて私を見たとき、「コワイなぁ。」と思ったそうだ。どうもその思いは、まだぬぐえないようである。だから、私はまだ浮いている。ま、どうせあと一ヶ月だ。
  それに、建築関係について、この二ヶ月でけっこう分かってきたのでよかった。少し分かってきた目で我が家を見てみると、なんかひどい建築の仕方だなぁ、ということが分かってきたね。これから先、もしリフォームする時には今回の職業訓練で勉強したことが生きてくるだろう。また、私の事情を全く知らない他者との付き合いをしていくという今の日常が私の対人リハビリに大いに役立っていると思う。しかし、其の辺がまだぎこちないから他者にとっつきにくい印象を与えてしまっているようだ。まあ、いい。ゆっくり行こうぜ。
 四月二一日、TVドラマで「獄窓記」を見た。ドラマを見ていたら、岐阜刑務所の囚友たちのことが浮かび上がってきた。彼らは、今なにをしているだろうかと。特に、無期懲役の仲間達のことが思い出された。いろいろしてあげなければならないことがあるのだけれど、忙しさと自らの精神的弱さのためにできないでいる。
 今頃、彼らに言われているかもしれない。「やっぱり、宇賀神もだよ。ムショの中では、みんな景気の良いこと言うけれども、出ちゃうと忘れちゃうんだよな。」と。う〜ん、忘れちゃいないんだよな。でも、やれていない。今年の秋あたりには「改正」監獄法が施行されて、単なる友人でも受刑者と交通権が確保できるかもしれないそうだから、それをチョッと試してみようかなと思っている。もしかすると、「よッ! お久しぶり!」ってなカンジで囚友達に会えるかもしれないもんね。
 四月二三日、さいたまスーパーアリーナへ初めて行って見た。ケヤキ広場で友人がフリーマーケットの店を出すというので見に行ったのだ。いやぁ、人が多かったこと。若い人が多かったね。お店はアマチュアだけでなく、プロもけっこういた。私は、Tシャツを三枚ほど買った。
 四月二四日、代々木公園でやっていたアース・デーの催しを見に行った。昔のヒッピー的雰囲気が少々感じられた。私は、こういう雰囲気が好きである。しかし、昔のヒッピー達のそれとはちょいと違うようだった。
 カンパして、コンサート会場に入って、地べたに座って聴いていた。そのうち、主催者が人が多くなってきたので皆さんスタンディングして下さいとか言い出したので、私は代々木公園から退散した。
 そのあと、そのまま泉水さんのお兄さんの回忌会に行った。
 今年のゴールデンウィークもまた私にとっては、何もせずに通り過ぎるだけのものであった。寂しいなぁ。
 五月八日、母の日に花束を母に捧ぐ。女性の心を射止めるためには花束が最高、だそうである。「こんな高いものを買ってきて!」と言われたが、母はまんざらでも無さそうであった。居候は、涙ぐましい努力をするのであった。
 五月一五日、マサのライブに行った。三〇人ほどが来たそうである。もっと少なかったように思えただが、多くてよかった。一番前の席で聴いていた。マサが途中で息切れしたりして、大丈夫かなと思いながらもなかなか良かった。マサに請われて、将司の俳句をマサのサックスをバックに読み上げた。しかし、読み違った漢字があり、恥をかいてしまった。マサの演奏を聴いているうちに、私の中で詩心がむくむくと湧き上がってきた。それで、マサに頼んで、サックスをバックに即興詩を吟じさせてもらった。相変わらずの私のヘボ詩であったが、マサの演奏が良かったので、それなりにまとめてもらえた。ライブ終了後、二次会へ行き、みんなで歓談した。その時にマサから彼女のCDをプレゼントとしていただいた。あとで聴いてみたら、なかなかいい。いいから、今もずっと聴いている。毎日の職業訓練校への行き帰り、クルマを運転しながら聴いているけれど、ノリがいい曲のときなどアクセルをスイングしながら踏み込んでしまうので、要注意である。
 五月一九日、我々の敗戦記念日である。当時の必死な状況を思い浮かべる。

SHACO
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