シャコのリハビリ日記(その20)

   職業訓練校通いも、もう終わりである。3ヶ月間、けっこう面白く続けられた。この 3ヶ月間の成果は、1)建築設計について、なんとか分ってきたこと。これで悪徳リフ ォーム業者にだまされないことだろう。 2)クラスメイトとの話が何とかできるよ うになった。これでナントか会話術が少しは上達したカモ。
 職業訓練校で、「VPI職業興味検査」というものをやった。その結果、私には「 社会的職業領域」の「人事部長、栄養士、公務観察員、税関検査員、家政学者、ヒー ブ、家庭科教員、外国語教員」があっているということになちゃった。キチョウメン さが出てきたね。第一次志望(?)は、「詩人」と記入しておいたのになぁ。おかし いぜよ。やっぱり、ヘボ詩人ということなのかしらん。
 職業訓練校の卒業製作品を今作っているところだ。住宅リフォームのためのプレゼ ンボードと見積書を作成中だ。これは、面白い。お客さんにリフォーム内容をアピー ルするためにどうするか?といろいろ考えた。コンセプトは、「太陽と月があり、銀 河があり、大宇宙があって、二人がいる。生きている今 今が大切だから 二人だけ の世界 快適に過ごせる二人だけのプライベートタイム それを支える機能と癒しの ホーム 今、生活が変わる 明日が変わる」というものである。お客さんは、熟年夫 婦で、夫が車椅子を使用、というのが条件であった。リフォームは、玄関外の段差解 消機であり、洗面所・トイレ・浴室・寝室を移動できる天井リフトであり、寝室の天 井に作った星空を見ることのできる天窓が売りである。更に、ガルシーア・ロルカの 「こだまの枝の下には空気の淀み。星くずの葉の下には水の淀み。接吻の茂みの下に はお前の口の淀み。」という詩を添え書きしておいた。ミスマッチだったかな?
 2月から3月にわたった九州での旅が、私自身のウツ的状態からの跳躍のキッカケに なったことは確かだ。今は、何ごとに対しても、積極的に立ち向かって行けるように なった…かな?私も、もう52歳である。人生の残り時間もそうあるわけではない。ん でもないか?今どきは、若い野郎でも早死にすっからなぁ。どこで何があるかわっか らんもの。
 私は今、地域の手話サークルに参加している。私自身の素性については、伏せてい る。また隣町でやっている手話講習会にも行っている。一度だけだが、精神障害者の 料理教室にも参加した。その時に、ボランティアの人から「宇賀神という有名人も居 たわねぇ。」などと言われたので、オッ、ヤバッ!と思い、その料理教室に続けて行 くのはヤメタ。そのうち暴露されてしまうだろうが、今はまだ対応するだけの基盤が 作れていないので、避ける。今生きている地域で、どうするかというところで考えた いと思っている。
 カラダのことは相変わらずやっている。やっぱり、こういうのが好きだ。ちゃんと 勉強していきたいと思うようになって来た。快医学の2ヶ月に1回の復習会だけでは アカンナァと欲も出てきた。獄中に居た時から外に出たら、カラダのことは必ずやろ うと思っていたから、今それはかなっているてとこかな。
 職業訓練が終わったら、さて、どうしようかな。今のところ、はっきり見えない。 52歳にもなって、これじゃいけないんだろうなぁ。
 この間、山谷ー釜ヶ崎での戦いに関わる話し合いの場に出るようになった。私自身 が、山谷ー釜ヶ崎の戦いから武装闘争に入っていったことから、そういう方面からの 招請がかかって来るのも当然と言えば言えるかも。6月25日もそんな集会だった。「船 本洲治の死から30年を経て戦いと思想を現在に引き寄せて考える討論集会」というも の。船本を実際に知っている人間は、そんなにいなかった。ほんの数人だろうか。も う三十年も経ってしまっているのだから当然だろう。3時間ほどの集会で、船本洲治 を語り尽すにはチョッと無理があったかもしれない。今後も船本について語り合って いく場を設けていってもらえるといいなぁ、と思う。今、少しずつであれ、停滞した 情況を変えていこうという動きが出てきているのだろうか。これまで燻っていた仲間 たちの情炎が再び燃え始めていくのだろうか。
情況が、それを迫っているのだろうか?

SHACO
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