暑い夏が続く。私もこの暑さにバテテしまったのか、26日にとうとう風邪をひいて寝込んでしまった。 刑務所に居たときには年に2,3回は風邪で寝込んでいたのだけれど、シャバに出てからはしばらく そんなことはなかったのに。ここんとごろ人並みに頑張りすぎたのかな?やっぱり、頑張っちゃいか んよなぁ。もともとがナマケモノなんだからさぁ。この3日間、仕事を休んでいる。せっかく働き始めた のに、もうバテテいるのだから困ったものである。そうそう、言うのを忘れていた。  8月8日から私は、働き始めた。新聞の折り込み求人広告紙で見つけたものだ。最近は、仕事を 見つけるのも上手くなってきたようである。だんだんシャバの生活に馴れてきたということなんだろ うか。仕事は、知的障害者厚生施設のフルタイムのパート職員、時給800円。前の小規模作業 所と違って、規模が大きいので、どうも勝手が違うのでうまく動けていない。まあ、どんな仕事でも そうだろうな。馴れるまでには少し時間がかかるのは当たり前。今度のところは社会保険もシッカ リしているようだし、賞与も年2回、有給休暇もあるそうだから待遇の面ではいい。前のところには 、そんなものはなかった。仲間たち(前のところではメンバーと言っていた)は、前と違って、重度の ものが多い。その点の大変さがある。勤務は変則的である。早番、遅番がある。しかし、ひと月ご とに勤務計画表を作るので、休みもある程度希望通りに取れそうである。その施設には、少しの 畑があるので、そのうちその畑の担当をやらせてもらおうかと考えている。今のところ、私は仕事 を覚えることに一生懸命である。仲間たちの顔と名前もシッカリと覚えなくてはならない。他の職 員はほとんど若い。20代から30代が多い。私が若いのは、頭の中だけであるが、記憶力は衰 えているようで覚えるのも大変である。あぁ、52歳の青春を私は、今一生懸命に生きている! ワォッ!…… な〜んちゃって!  8月19日〜21日まで福島県で快医学の夏期講習会があったので、マイカーに乗って行ってき た。二泊三日の講習費用が4万円チョットは、失業者の私にとってきつかったが、行って良かった と思う。アイロンを使った温熱療法、橋本操体法、O-リングテスト、飲尿療法等を学んだ。と言って も、私の獄中ボケのアタマでは、そのすべてを学び取ることは、二泊三日の短い講習では無理な のだが、ナントカ大まかなところは分ってきたように思う。この講習会で私は考えた。快医学という ものは、昔風な表現を使えば、「第三世界」的状況下でこそ、その存在意義が輝きを増してくるも のなのであり、必要とされるものなんだってことである。が最終日前夜に交流会が設けられた。そ こで、私は自分が東アジア反日武装戦線のメンバーであったこと、塀の中に21年間居たこと、 無医村的状況下の獄中に居たときに快医学を知ったこと、そして、一番手ごろな飲尿療法を18 年続けている等々を相変わらずの舌足らずなもの言いで語った。顰蹙をかうことはなかった。ナ ントカ受け止めてもらえた…かな。私の他にも、それぞれが何かしら背負ってきている人たちが 自らのことを語っていった。上っ面の交流ではなかったから良かったと思う。だからこそ、いろい ろな人に出逢えたということが良かった。人と人とが出逢う場では、大きなエネルギーが発生 するものである。福島での出逢いは、これからの私自身を力づけていってくれるだろうし、私を 更なる出逢いへと導いていってくれるだろう。新しい出逢い、未知なる出逢い!そして、新しい 世界へ、未知なる世界へ!いざ、飛び立たん!  8月20日は、水族館劇場が宮下公園で公演したんだけれど、私は行けなかった。残念であ る。ちょうど、快医学の講習会があって見に行けなかったのだ。千代次、ゴメン!また誘って くれ!次に誘われた時には、万難を排して行けるように努力するからね。な〜んて事をのたま う男は信用できません…と言われてしまうかもね。          そうそう、快医学の世界大 会が10月に南米コロンビアであるということなので、私はそこに参加しようかと思っていた。 そこで、ちょうど餃子のチェーン店で生ビールを飲んでいた太田某昌国さんに訊いてみた。 「私は、コロンビアへ行けるでしょうか?」と。すると、某昌国さんは、「危ないよ。今のUSAは、何 するか分らない。」とあの独特の語り口で言った。気弱な男の不安感を煽るようなそのひと言で、 納得しちゃった私。そうだよなぁ、なんせ元テロリストだもんなぁ。せっかちなブッシュUSAだ、何 するか分ったもんじゃないよ。難癖付けられて拘束されたんじゃ、たまんないぜ。…ということで、 コロンビア行きはボツ。しかし、去年せっかく取得した10年パスポートを使わずにカビ生えさせて しまうのもなんか勿体無いな。そこで、某昌国さんに更に訊いみた。「じゃあ、どこらあたりが無難 でしょうねぇ?」と。彼は、私の顔をほろ酔い加減の目で見ながら、つまらない事ばかり聞く奴だ なぁ、という顔をしながら言った。「韓国と共和国なら大丈夫じゃないの。」と。あぁ、私が行ける のは、そこくらいしかないのかね。ふぅ〜、だね。エスペラントの作られた国、ポーランドのも行き たかったのになぁ。他にも、もちろん行きたいいろいろな国があるのだが、あのブッシュがいるか ぎり、ダメか知らん。しかし、韓国はいいかもね。韓国なら、旅行費用もそれほど多額ではない。 低所得者の私でもナントカ行けるだろう。もし韓国へ行けたならば、現地での反日運動を間近に シッカリ見て来たいと思う。まかり間違っても、ヨン様やチェ・ジウを見て来ましたなどとは報告す ることはないでしょ。韓国へ先日行って来たという友人が、元気な韓国の運動について教えてく れた。それもあって、今の私は、是非とも韓国にはいつか行きたいと思うようになっているのだ。 風邪ひいている為か、ひどく疲れる。今日は、チョッと遠くまで出かけた。まだ治りきっていない のに、出歩いたのがいけなかったかな。今日は、早く寝てしまおうと思うのだが、まだまだやる べきことが残っているのでそれもあかん。家族会通信のことで、正博君のところへ電話したら、 心臓の調子が悪くて明日入院するんだなーんて言われた。大丈夫だろうか?早く回復すると いいのだが。私たちの世代は、そろそろガタの来る年齢である。私の長引く風邪もそれかもし れない。 今日も暑かった。同じように扱っただろう31年前の今日、三菱重工爆破で亡くなら れた被害者のひとりの方のお墓参りに荒井まり子、友野重雄、そして、私の三人で行ってきた。 7月にも行ったので、今回で二回目となる。ある縁で被害者の方の友人と出会え、お墓参りがで きることとなった。獄中の将司とトシたちもさぞしたかったろう、その彼らの気持も携えていってき たつもりだが…。お墓には投書箱のようなものがあったので、そこに謝罪の言葉を書き込んだ メッセージも入れてきた。もちろん、それで終わったわけではない。これが始まりなのだと思う。 (この件については、また別途荒井まり子が書いていくだろう。)              2005.8.30 shaco       inserted by FC2 system