9月16日、まゆみちゃんと友野さんの共同生活立ち上げ祝い(?)の会が中野のレラ・チセであっ た。埼玉の職場から東京まで出張るのは大変である。遅番の仕事が終わってから行ったので、既に 宴会は盛り上がっていた。所狭しと人がいっぱい居た。何人かを見ながら、この人は誰だろうか?と 思いつつ、私は酒を飲んでいた。なかには、「お久しぶり!」などと言ってくる人が居たりして、あ れっ、この人は誰だったろう?と改めて暫し考える私であった。フォーラム90関係の人が多かったの は、やはり、二人が死刑廃止運動の中で出会ったからであろうか。  その夜、私は徹夜した。帰宅しようと思えばできたのだが、そうすると30分もいられない。落ち着 いて飲もうと思えば、泊まり覚悟でなければダメだった。レラ・チセで散会したのは何時だったのだろ うか。その後は、10人前後の人が二次会に行った。ナント還暦をとっくに過ぎている某昌国さんが参 加していたのには、驚き!夜毎ゴールデン街を飲み歩いていると言う噂は本当かもしれない。鍛えら れている。いや、二次会がカラオケ店でやられるということが、大のカラオケ好きの某昌国さんが吾 が身に鞭打ってまで参加した理由だったかもしれない。カラオケ店では、ノリにのっていたっけ。何を 歌っていたっけ?それだけしか歌えないのかという「網走番外地」かと思っていたら、違っていたな。 それも何曲も歌っていたのには感動した。カラオケが根っから好きなんだよねぇ。島谷某さんとの デュエットはよかった。某昌国さんの手からマイクを引き剥がすのにどれだけ苦労したことか・・・嘘で す。他の人たちも歌った。確か、永井某迅さんが歌をうたっていたように思う。あのアニメ歌好きの深 田某卓さんがいつもの如く「明日のジョー」を歌っていたことをわざわざここで記すこともなかろう。「あ あ、またか。」と思う人が多いだろうから。オンチのまゆみちゃんはとうとう歌わずじまいだった。  カラオケ店を出たのは、何時だったろうか。アルコールがかなり入っている人間たちに、すでに時間 のノーマルな概念など木っ端微塵となっていた。酒を飲める次なる場所をブラリ、ブラリしながら探し 始めていた。とにかく中野駅まで行ってみた。大勢の人たちが同じように何かを捜し求めて、ブラリ、 ブラリ。小泉に票を入れた鬱屈した魂の群れがそこにたむろしていた。  レラ・チセを出た一行は、渇いていた。まだ飲み足りないのだ。飲み足りる筈がなかろう。私以外 は、みんなヤマタノオロチなのである。放っておけば、何日でも飲み続けるであろう呑み助である。  中野駅近くに公園を見つけた一行は、公園のベンチ辺りに腰を下ろした。何人かが抜けていた。  そりゃ、そうだ。ノーマルな人たちには、明日がある。私たちには、ないの?そんな馬鹿な!でも、そ うかも。俺達に明日はない!のだど、だど。日本国憲法の危機を効きへ!  何人かが戻ってきた。酒を捜し求めて、そこらをうろついていたらしい。しかし、結局見つけられずに 戻ってきたようである。どうやら捜し物が苦手な人ばかりのようであった。  しようがない。そう思った私は、「捜してくるか。」と言い残して、深夜の街を歩いていった。呑み助た ちが嗅ぎつけられなかったアルコールの香りを下戸の私が嗅ぎつけられるだろうか、という不安は あった。しかし、私には使命があった。8人のヤマタノオロチンドの渇きを癒すという使命だ。はぁふ。  ナント、私は、レラ・チセ近くのampm(コンビニ)まで行った。そこで、私は宝焼酎25度1・8リットル パックと牛乳、レモン果汁と、つまみを買っていった。焼酎の牛乳割っていうのも美味しいんだよね。  それらを買って帰ったら、島谷某さんが「シャコさん、帰ったんじゃなかったの?」と言われて、使命 感に燃えて困難な任務を無事遂行した私は、ガックリきたのであった。飲ませねぇーぞ、オラ、オラ。  呑み助一行は、あの良き時代を懐かしんでなのか、友野さんがギターを取り出して引きはじめると 歌い始めた・・・と思う。私もアルコールがかなり入っていたので、定かではないのだ。あの時代を懐 かしみ公園にギターを持って座り込みときたら、そりゃあ、フォークゲリラでしょう?そうそう、そういえ ば、レラ・チセで最後に「ワルシャワ労働歌」を歌っていた人たちがいた。あんな悲壮感たっぷりの歌 が好きっていうのも困っちゃうよなぁ。ますます先の見通しが暗くなっちまうぜ。ああいう歌をうたい続 ける限り、左翼は負け続けるだろう。  まゆみちゃんと友野さんに、今日は(昨日は)君達二人のためにホテルを取ったのだから、公園で フォークゲリラをいつまでやっていてはダメだ、とタクシーに乗せた。そのタクシーには、オジャマ虫の 永井某迅さんも乗って帰った。残る呑み助一行は、まだ飲み足りなかった。すでに時間は、午前3時 過ぎ。某昌国さんはと見れば、相変わらず元気である。私はといえば、ヨレヨレ。日頃の鍛え方が違う ようである。一行は、また飲み屋街をさまよい始めた。そして、とある韓国料理店に入った。4時まで です、と言われながら、そこで今度はマッコリを注文するのであった。その店を4時にた出て一行は、 また中野駅へと向かった。いやはや、ったく。  着いてみると、まだ中野駅は開いていなかった。どうしようか、と呑み助一行が話していると、ガラガ ラと駅のシャッターが上がり始めた。ホッ、とする一行。  それぞれの家路に着いた。  問題は、それからであった。島谷某さんと私は途中まで一緒だったので上野駅まで行き、上野駅か ら常磐線に乗り換えて北千住で降りるところを眠りこんで柏まで行ってしまい、泣く泣く北千住まで戻 ることになってしまった。そして、北千住で夜明けのコーヒーならぬ夜明けの立ち食いそばを食べて、 別れたのであった。私は徹夜には、頗る弱い。家に戻ったのは、朝8時。  さて、仕事の方である。  先日、施設長と話しをした。どうやら私の働きぶりは彼にとって期待はずれだったようである。経験 があるというので、もう少し使えるかと思ったらそうでもなかった、という感じだったな。私も前に働い ていたところより、症状の重い障害者が多いので、勝手がよう分らないことがあり、要領よく動けない ことは確かだ。職員も20代30代がほとんどだ。どうも私にはこの職場は合わないのかもしれない、 と思うようになった。風邪で休んだこともあり、試用期間(アルバイト)が延びた。もう少し、私が使える かどうか見てみるということでの試用期間延長ということのようだ。気持としては、もう少ししたら辞め ようかな、といったところだ。  さて、次は何の仕事をしようかな。少しの間、福祉関係の仕事はやめておこうかしら。チョッと休養 期間を設けてみたいと思っている。去年暮れに取っておいたフォークリフト運転技能講習修了証を有 効に使わなければ、運転できなくなるしなぁ。しかし、キツイいだろうなぁ。結局、私はナマケモノなん だろうなぁ。働かずに生活できるといいのだが。何度も言っているけれど、シャバでの生活は大変で ある。とにかく前向きに生きていくしかない。  さあ、次回はどんなことを書けるだろうか。 inserted by FC2 system