シャコのリハビリ日記(その25)

 私は今、越谷に住んでいる。そう、茨城の実家を出て「独立」したのだ。やはり、母と四六時中一緒にいると、どうもいかんようだ。少し距離を置いて、時々会う方が無駄な衝突を避けるのには良いのかもしれない。母一人にしておくのも少々心配でもある。しかし、頼りない私がアレコレ心配するより、これまで一人でやってきた母の方がシッカリしとるのではなかろうか。(まぁ、かなり物忘れがひどくなってきているいようなので、それが心配だが。)かえって「独立」した私の方が危なっかしいかもしれない。しばらくは、このカンジでやっていこうかと思う。多分、そう何年もということにはならないだろう。
 さて、私の稼ぎ口だが、ナントカ見つけた。11月中旬から友人の会社で働き始めた。もちろん肉体労働だ。初めの話では、ホームページ作りだったのだが、人手が足りないということもあってか、現場労働もすることとなってしまった。初めの話のホームページ作りの方はとんと進んでいない。ま、私自身、ホームページなんて作ったことがないのだから、ほんとにいいものを作れるかどうかなんて分らないのだが。「ま、ナントカ作れるだろう。」とハッタリをかましたようなところも無きにしも非ず……かな? それで、塵拾志に必死になってアドバイスを貰おうと思っているのだが……。いやぁ、よう分らない。この間、会社の出張仕事があって、2回沖縄に行ってきた。仕事のついでに、レンタカーを借りて観光旅行もしてきた。本部の海洋水族館では大きなジンベイザメを見たり、退屈そうに一人(一頭)で逆立ち泳ぎしてひまつぶししているイルかを見たりして、楽しんだ。
 私の今の仕事は、掃除屋さんだ。床掃除とか窓ガラス拭きなどだ。しかし、困ったことに高いところに上る仕事があったりする。ココだけの話だが、私は高所恐怖症なのである。そんな私がそんな仕事をやって大丈夫なのだろうか?そのうち転落するかもしれない。そんな仕事をやっているんだよ、と友野さんに言ったら、「いい仕事やっていますねぇ。気持いいでしょう?」などと、私の気持とはかなり隔たったところからの感想? を拝聴させられた。12月一杯、仕事があるそうだ。さすがに大掃除の年の暮れである。現場労働は、日給9000円で、ホームページ作りは日給6300円だ。現場の仕事の方が稼げることは稼げる。稼げる時に稼いでおくかな。
 さて、韓国へ行ってきた話をしておこう。10月末から11月初めにかけての1週間行って来た。格安の往復航空券で12400円というのを購入した。最近は、なんて航空券が安いのだろうか。私のような貧乏人には大変ありがたいことだ。貧乏人は、とにかく費用を安く上げねばならない。宿は、初めの2泊はサウナに泊まり、次の2泊は中位のホテル、さらに1泊はサウナ、そして、最後は連れ込みホテルに1泊。サウナは、1泊700円で、連れ込みホテルは1泊(1室2名)2500円。中級ホテルは1泊3食付の2泊3日で18000円だった。滞在費については、それほどの出費はなかったので助かった。
 なんで行ったのかというと、熊本・八代の友人Nさんが、「韓国の元気な運動を見に行かないか?」と声をかけてくれたからだ。教科書問題に関係する集まりがあるとのことだった。面白そうだと思った。  現在、近隣諸国と日本の関係は、KOIZUMIの無恥によって最悪の情況へと向かっている中、韓国の人たちに東アジア反日武装戦線の事を伝えようと当初考えたのだが…。
 10月末日、成田空港へと京成線で向かった。30数年前の高校生時代、成田空港工事の第一次強制代執行の時に京成線に乗って成田へ行ったんだ。その時のことを思った。いいのだろうか? こんなところへ来て? あそこの管制塔が、あの時のものかしらん?
 出国手続きは、わりとスムーズに進んだ。身体検査は、やはりされたが、そんなにひどくはなかった。女性係官に一物をムンズッとつかまれることもなく、少々ガッカリした。
 韓国には、新幹線で大坂へ行くほどくらいの時間で着いてしまった。入国拒否されるかもしれないと危惧していたのだが、そんなこともなく入国できた。元テロリストとしては、ホッとしたのであった。韓国のインチョン空港でNさんと待ち合わせをしていた。だが、Nさんはまだ来ていなかった。どうしたんだろうか? こ、困る。まったく事情も分らない韓国で一人ぼっちでは、途方にくれる。私は、あせった。1時間くらいしてから、Nさんが荷物を持って歩いて来た。私が勘違いをしていたようで、メデタシ、メデタシ。
 私にとって、出所後初めての海外旅行である。それも、某昌国さんから行ける国は限られている」と言われている。その限られた国に来たのだ。
 とにかく、日本語があまり使えない。圧倒的に韓国語か英語である。今度行く時には、韓国語をもう少し勉強してから行くぞ、と思ったりした。
 Nさんと合流してから、さあ、今日の宿をどこにしようか? と話し合い、空港の案内所で近くのサウナを紹介してもらった。バスで900ウォンのところにあったサウナに泊まることにした。ビルの6階にあった。7000ウォンを支払って、浴衣(?)をもらって、荷物をロッカーにしまった。そのサウナには、大きなフロがあって(日本の銭湯に近い)、オンドルの大広間があって、そこに男も女も一緒になって寝ていた(ザコ寝状態?)。しかし、床が固かった。
 翌日は、二人でソウルでも観光しようと思っていたのだが、Nさんが集会で報告する準備をしなければならないからと、「悪いけれど、宇賀神さん一人で行って来て…。」などと言われ、私は困った。何でって? 韓国事情に詳しくないもんね。しかし、しようがない。一人で行くか。ということで、バスでソウルへと出ることにした。
 大都会ソウル、喧騒の中にあった。とにかく、クルマの波である。3車線、4車線の首都道路の中央で物を売っている人がいたりした。スゴイ根性である。
 バスは、繁華街で止まった。バスを降りて、私は歩き始めた。銀座と歌舞伎町を足して2で割ったようなところだった。
続く……………………………

SHACO
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