シャコのリハビリ日記(その28)

出獄してから、早3年が経った。そろそろなのか、今だになのか、よう言わんが。落ち着かんとな。 とは言え、相変わらずのリハビリ日記である。
今回は、料理の話をしてみよう。昨今、団塊の世代を中心に「男の手料理」ブームらしい。団塊の 世代っていうところが、なんつぅーかクサイカンジだが。手料理だけでなく、社会変革にも頑張れ や!と言いたくなるね。おじさんパワーを見せたれや。私は、料理がしたかった。そこで家にいる時 にやろうとしたら、うちのオフクロに怒られてしまうんだぜ。お前がやると後片付けが大変だ、って ね。一度ギョウザを作ったんだけれど、私の作ったもんは食おうとしないんだよねぇ。スーパーで買 ってきたもんを食うんだよネェ。困ったもんだ。息子の力作なんか見向きもしやがらない。可哀想に、 私の力作は冷凍庫に永久保管されそうになったので、無理して私が全部食べてやったんだぜぇ。
んで、料理の話。今、障害者介助の仕事をしているんだけれど。掃除、洗濯、料理とやっている。 そこでの掃除、洗濯なんていうのは、大したことをやっているわけではないので、どうってことない のだが…。料理作りが大変だよね。三度、三度のメニューを考えなけりゃならんのだから。とは言っ ても、朝食は毎日目玉焼きだから、それほど大変ってわけでもないかな。問題は、昼食と夜食だ。昨 日の夕食は、ペンネリガーテのボロネ―ズ風煮込みと納豆ごはんにした。なかなか凝っているだろう? 昼食は、買ってきたピザにチキンラーメンだったけれど。しかし、料理をするのは、楽しい事だという のが分かってきたね。いろいろな食材を使って、料理を作るってのは、ひとつの芸術だよね。自分の工 夫で、新しいものを作ることができるしね。ま、不味ければ、どうしようもないわけだけれどもね。今 のところ、食べている人からは、合格点を貰っているから大丈夫。80点とか90点だぜ。ヘ、ヘ、へ。
どんなもんだい!料理作りをしていると、ボケ防止になるそうだ。そりゃあ、私には好都合だ。どうも このところ、ボケてきてしまってあきまへん。ボケをはね飛ばして若返ろうっと。
21年間、料理らしい料理を作れなかったものネェ。ボケて当たり前さ。刑務所ボケっていうのは、料 理作りができないってことからもきてたのかもね。しかし、獄中に居ても料理作りはしようと思えば、 できるんだけれどもね。刑務所では、チョイと無理かもしれないが、拘置所ならできるだろう。東拘だ と、混ぜる、発酵、つける等々の方法をとることで料理が可能である。しかし、牛乳を発酵させて作る ヨーグルトは、発酵しない牛乳煮返られてできなくなったと言う話だ。将司のお勧めは「干しダラのお 刺身」だ。差入れ屋にあるおつまみの干しダラを水につけて塩を抜いてでき上がり。それに醤油をつけ て食べる。私も将司に教えられて試してみたが、あまり美味いとは思わなかった。そうそう、差入れの レーズンを使って、ワインを造ろうとした奴がいた。密造現場を捜検時に摘発されてしまい、おかげで それ以後レーズンが差入れできなくなったというおまけが付いた。獄中者は、それぞれ自分のご自慢の 「手料理」を持っているはずだ。なんせ、獄中者にとって食べることが最大の関心ごとなのだから。そん な獄中者達の「手料理」集を一冊の本にまとめるのも面白いかもしれない.
逃亡中にも、さまざまな料理に遭遇した。あるところでは、パパイヤのみを炒めただけのオカズが毎 日出されたこともある。オイ、オイ、いい加減してくれよ、と言いたくなったね。給料貰ってないのだ から、オカズくらいまともなのを出してくれぇ、といったところだった。あるところでは、初めてのパ ン作りもした。かなり、シンプルなパン作りだった。万能鍋で焼く方法だ。コッペパンみたいのを作っ ていたっけ。アンパンを作ろうと試してみたが失敗した。中にアンを仕込んで作るのはなかなか難しい もんだね。魚を三枚におろして調理できるようになったのも逃亡中だ。食材があまりなくても、なんと か食べられるものを作れるようになったものな。しかし、シンプルなのが一番だよ。刺身なんてのは最 高にシンプルなんで大好きだ。シンプルなお弁当を自分で作って仕事に通った事があった。なんと、昔 自分の家の仕事だった氷屋さんだった。町歩いていて、アルバイト募集の張り紙がしてあったので、店 に入っていって雇ってもらったのだ。けっこういい金になった。氷屋のおやじに「初めてとは思えない くらい氷の切り方と挟み方がうまいな。」と言われた事があった。そりゃあ、そうさ。オレっチ、氷屋 の倅だったんだぜ。冬は炭屋で、夏は氷屋っていうたいそう合理的(?)商売の仕方をしていたんだが、 エネルギー革命の余波を受け、乗り遅れて、あえなく斜陽。氷屋の若旦那になり損なっちまった。その 氷屋には、二人の常用労働者がいた。近くにホッピーを売っている酒屋があった。ホッピーを買ってき て、焼酎で割り、酒のつまみは私がマボー豆腐やホルモンの煮込みを作ってあげて、仕事が終わったあ との仕事場で毎日のごとく飲み食いしていたっけ。そこでは、自転車の修理の仕方も教わった。自転車 を貰ったは良いが、それが拾ってきたものを修理してリサイクルしたものだったから困った。職質され て、盗難車だなんて事になったら、ヤバイ!とお断りした。それならと、同僚が自分で買った自転車を くれるというので、それなら良いか、と貰った。でも、同じことだったかなぁ。職質されること自体、 OUT!だもんね。そんな氷屋の仕事と生活も、「ひと夏の経験」だった。秋風が吹いてきた頃、「じゃあ、 来年も頼むよ。」とおやじに言われて、そこの職場を去った。来年は、来られねぇだろうなぁ、密かに 思いつつ…。逃亡者に、今年から来年への繰り返しなんてありはしない。明日さえ不確かなのだから。 そんな明日や来年への確かさなどは、今でも感じることができないでいるのかもしれない。
これも、トラウマとなって残ってしまったものなのだろうか?しかし、だ。刑務所だけは、今日は昨 日の、明日 は今日の繰り返しだった。
そう言うわけで…、「え?どういう訳だ?」って?ま、まあ、ええじゃないの。
とにかく、これから私は料理作りに少し力を傾けるのでよろしく!
    

SHACO
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