シャコのリハビリ日記(その32)

   「ベイルート!ベイルート!ベイルート!」
 現在、レバノンとパレスチナでは、イスラエルの軍事侵攻が激化している。イスラエル兵が数名死傷し、捕虜とされたというだけで、その報復として、なんでこどもを含んだ市民を数百人も殺傷するのだろうか?どう考えても、おかしい。ナチスがユダヤ人にやったことと同じことを繰り返すのは、あまりにも愚かというよりは、悲惨でしかない。いや、シオニスト自体、ナチスとの共犯関係にあったという話しさえあるから、ナチスのやり方が引き継がれているとも言えるだろう。レバノンの空爆状況を見ると、そこには私がよく歩いていた場所が映っていた。私が、居た時、ベイルートは建設ラッシュだった。長く続いている戦争状態も落ち着いてきていたからか、これから復興へむけて頑張るぞー!というカンジだったのだ。10数階建てのアパートやホテルがドンドン建設されていっていた。それらの建物が今、イスラエルによって破壊されていっているのだ。なんということだろうか!イスラエルは、もしかするとレバノンの復興を邪魔する意味も含めて侵攻をしているのかもしれない。中東利権を独占しようと!
 しかし、イスラエルの現在行なっている侵略犯罪は、イスラエルの将来の安全を保障することはなく、イスラエルを憎悪する無数の民を増殖させることによって、イスラエルの近い将来の不安と危機を増大させていくだろう。イスラエルって、「憎悪」というものが大好きなのだ。「憎悪」を作り出し、増殖させることによって、彼らは生きる糧とし、活力源としているのだろう。
 岡本公三さんは、大丈夫だろうか?それが心配である。彼は、混乱することなく退避できたのであれば、良いが…。朝昼晩のメシは時間どおりに食べることができているのだろうか?それが彼にとっての生きるヨスガなのだからはずせないだろう。とにかく、イスラエルとUSAは、今の侵攻をやめる気は無さそうである。公三さんの日常生活は、さぞ大変なことになっているだろうな、と推測できる。心配なのは公三さんだけではない。近所の子どもたちは大丈夫だろうか?日本のすれたガキどもと違って、爽やかなあの子どもたちは、どうしているだろうか?瓦礫の山と化したアパート群をテレビの映像で見るとき、あの子ども達の顔が浮かんでくる。公三と買い物に出た時など、子どもたちが、「Kozo!Kozo!」と挨拶しに来ていた。同じアパートに住んでいた隣家の娘の中学生ハナちゃんは、Kozoことをいつも心配してくれていた。彼女は、大丈夫だろうか?彼女の弟は?連日の報道を見ると、子どもたちの犠牲が目立っている。そのことからもイスラエルの軍事行動がどれだけ犯罪的なのかが良くわかるというものだ。
 現在、行なわれているイスラエルによる非人道的な侵略行動に対して、日本では目だった動きがない。極楽トンボのコイズミの後継争いだかで、品性も器量もない奴らがマスコミに出ているくらいである。USAの腰巾着日本政府が何かをしてくれるなどと言うことは、まずないだろうが…。民衆レベルでの動きが出てくるだろう。
  「リハビリ日記から介護日記へ変更?」
   私の母がこのところ、物忘れがひどくなってきたので、先日、MRI検査をしてもらったところ、ナント!大脳皮質が萎縮しているとのことだった。アルツハイマーの傾向が見られるとか。どおりで、なんかムチャクチャやなぁ、ひどいこと言うなぁ、と思っていたんだが、これでガッテンした。MRI検査の結果を受けて、私は、町の地域包括支援センターへと出向いて、相談した。それで、まず介護保険の認定申請をすることにした。調査の空いている日があまりなく、2週間ほど経ってからということになった。調査の日、私は立ち会うことになっていたので、朝10時のその時には母と調査員を待っていた。2人で来たのだが、先日の支援センターの人であった。2人は、交互に、母へ質問をした。とにかく、「アタシャ、大丈夫ですよ。」とばかりに元気に答える母であった。調査員が「片足で立ってみてください。」と言えば、無理して立って、どうだい!ってなカンジ。足が攣るとか言っては、夜によく眠れず、湿布なんかをなんまいもハッタリしているのに、だ。に荒井姉妹も言っていたが、こういう場合にお年寄りは元気さを演じるそうである。だから、本人の居ないところで、調査員と話をした。母は、坐骨神経痛だとかでヒョッコラヒョッコラと歩いている。元気そうに歩き回っているので、介護認定では、たいした認定はされないだろう。しかし、認定申請だけでも受けておいた方がいいだろうというアドバイスもされたこともあり、申請してみた。この頃、母もあまり身体が動かなくなってきたようで、整理整頓掃除も以前のようにはできなくなったようである。しかし、手を出したりすると怒られたりする。なんせ気が強い。口下手な私では、とてもではないが歯が立たない。しかし、物忘れには、要注意だ。薬を飲んだことを忘れてしまうので、また飲んでしまったりする。だから、2週間分もらってくる薬の数が合わなくなったりするのだ。そうそう薬を重複して飲まれちゃうのも困るので、この頃は、私ができる限り毎回薬を渡すようにしている。とすると、実家に張り付いていなければならないわけだけれど、今のところ、在宅でやれる仕事を9月までしているので、それでやれている。しかし、あと1年も経たずに、実家に軸足を置いて、仕事と生活をしていくことになるだろう。私一人で、介護をやっていたら、下手すると共倒れとなってしまうので、そのへんは介護保険などを利用しつつやっていきたいと思っている。そのうち、「リハビリ日記」は「介護日記」へとタイトルを替えることになるかもしれない。
  「今、やっている仕事は、事務局員」
 私が今やっている仕事は、「こころとからだの自然治癒力増進国際会議」というところの事務局員である。事務能力のない私がこの仕事をやる羽目になったのは、なんツーか、成り行きってところかなぁ。前に少し書いていたけれど、今秋、韓国で飲尿療法の国際大会が行なわれるのだが、その準備会に出たのがいけなかった?事務局の仕事をする人があまりいないということで、専属的な人を、ということで、これまたベイルート行きと同じで、丁度と言うべきか、運悪くと言うべきか、失業中の私に白羽の矢が立った。しかし、事務局の仕事はケッコウ面白いので、引き受けて良かったと思っている。これまで経験したことのないことをしているので、飽きない。アレコレ考えるのは好きだから、楽しんでやれている。時給は千円で、パソコンがあれば、在宅でも出来るし、母のこともあるので、今の私にとっては都合のよい仕事である。この国際会議のホームページもあるので、良かったら覗いてみてください。
  http://www.vivahealthconference.com
   「友野(ライハ)農場の助っ人に行く」
 友野さんが2階建ての自宅の屋根から落ちてしまった。背中の圧迫骨折ということになり、しばらくは以前のように動けなくなってしまった。とは言え、頑張り屋の友野さんのことであるからして、寝ていればいいのに、翌日から動き始めてしまっている。困ったもんだ。しばらくは静養しておったらいいのだが、そう言ったところで、聞きゃあしないしね。俺が寝込んじまったら、どうなる!という気概のもと、ソロリソロリと動いて仕事をしている。先日、旧ニワトリ小屋の取り壊しと整地作業の手伝いをしてきた。暑い日ざしの中でやる仕事は大変疲れるね。友野さんもまゆみちゃんもこの作業を毎日やるのだから大変だろうなぁ、と思うね。私など、久しぶりの肉体労働だったので、少々へたばってしまった。しかし、トラクターに乗って、畑を耕していると、逃亡中、沖縄のパイン農家でトラクターで頑張っていた時のことを思い出していた。逃亡中だったな。私が農業に触れて、その面白さを幾ばくか感じとって、あぁ、農業してぇ〜なぁ、と思ったのは。「有機農業」というものを知ったのも、逃亡中で、今から30年近く前だった。その頃はまだ、「有機農業」なんて言う奴は、よほど酔狂な奴だと見られてしまっていた頃だった。今では、農水省あたりが積極的に推奨しているカンジもあるようだ。農水省の役人が有機農業大国キューバへ研修に行っちゃうんだから。ホント!世の中って、どう変わっていくのか分らないよね。そうだね。友野さんからも言われたが、畑を耕すといううことは楽しいことだね。私もトラクターに乗って、畑をグルグル回って耕していると爽快感みたいなものが湧いてくる。しかし、私も53歳である。今から農の稼業に入るのは、肉体的にも資金的にも大変だと思うので、あえて踏み込もおうとは思っていない。せいぜい、家庭菜園程度ならできるだろうが。地域で何かをやりたいとは思っている。東京でゴチャゴチャやることも必要かもしれないが、地域を開いていくことも必要なのだと思う。まあ、好き嫌いから言っても、私はあの新宿や池袋などの雑踏が嫌いなんだな。できるだけ人の少ない方が良い。しかし、ここいらの田舎もだんだん人が多くなってきた。実家の周囲も田んぼがドンドン潰されていって、なにやら大店がいろいろできるらしい。全く愚かな所業である。田んぼを潰してしまって、どうすんだべぇ。食料自給率をどんどん下げていって、大丈夫なの?遺伝仕組み替えか狂牛病などの食料しか手に入らなくなってからでは遅いんだぜぇ。などと言っても、大勢は動かないようである。こんなときには、フォコ=根拠地戦略でいくべしかな?タコツボにならないように、ネットワーキングしながら、ウェーブがドンブラコと来るまで待つべしか。
 今年の晩秋あたりには、地域で何か催し物を開きたいと思っている。それを地域でのネットワーク作りの契機にできたらと思っている。
   「黒川牧子の思いで会を開く」
 8月6日に、越谷にある(私が今は管理している)弟の家で、4月に不慮の事故で亡くなった黒川牧子の思いで会を開くことにした。黒川牧子の息子のN君が、自分の母親のことを知りたいというので、マキちゃんと親しかった家族会の人間を集めてやることになった。ほんの数人だ。あまり人が多くても分散するだけだからつまらない。さて、N君にとってどんな母親が出てくることやら、あの黒川牧子のことである。さぞ、騒がしい母親が出てくることであろう。
 KQ、そして、支援連は、様々な逸材を輩出してきた。実に、ユニークな人が多いのだ。だからこそ、支援連に関わってきたともいえる。私も支援連経由で来た人には世話になった。そうした人たちの支えがあったからこそ、獄中獄外のわれわれが健在なのだと思う。昔、関わってくれた人たち、面会や文通でやり取りした人たちに再会したいね。去年の30周年集会に再会した人もいるけれど。
  「岐阜刑務所へ手紙を送る」
 先日、岐阜刑に在監している無期懲役の人宛に手紙を出した。その人には、在監中、世話になっていたので、今度監獄法が変わったというので手紙を出すことにした。返事が来たなら、面会に行って来ようかと思っている。今の私では、身元引受人にはなれないだろう。生活基盤がシッカリしていないものね。しかし、面会文通だけでもいいと思うよ。文通は、獄外の人にとっては、時間と労力がケッコウ必要なんだ。書くためには、じっくり考える時間が必要だしね。それは、外に出てみないと分らない。今は、パソコンでメールをよく発信するが、キーボードをたたく方が、ボールペンで字を書くよりも簡単だからね。
               2006年7月22日

SHACO
inserted by FC2 system