シャコのリハビリ日記(その37)

 東京まで出て行くのが、おっくうである。あの雑踏の中を歩くことを考える と、行く気も失せてしまうのだ。私が今居るのは、茨城の片田舎にある実家であ る。実家と言っても、私の生まれた土地でも家でもない。私が生まれ育ったの は、東京は目黒だった。碑文谷にある円融寺隣りの小学校に通い、近くにあった サレジオ学園の庭や都立農業試験場、駒沢公園で遊んでいた。毎月28日に開か れていた目黒不動尊の縁日にも毎月行ったものだ。また、渋谷にもよく行った。 新宿よりも渋谷の方が好きだったな。しかし、今じゃ、どちらも好きじゃない。 ゴチャゴチャと人の多い、そんなところが大嫌いだ。歩いていても、怖くて怖く てならない。だって、みんなぶつかってくるような歩き方をしているんだもんな。
21年間、独房で寝起きしていた為だろうか?一人で居ることの苦痛を感じな い。それはまた、他者との関係の中で、自己の動きを定め、動いていくことがで きない独りよがり的傾向を強めてしまったかもしれない。要するに、礼儀作法の 身についていないモノグサオヤジが誕生してしまったっていうわけだ。
田中義三さんが亡くなられた。田中さんの冥福を祈ります。
田中義三さんが治療の為に刑務所から釈放されてから、そう日が経たずの亡く なられたと言うニュースだった。癌だったという。やはりそうか、と思った。す でに手のほどこしようがなくなってからしか獄外治療もしない、釈放しないとい う監獄当局の姿勢はまったく変わっていないようだ。永田洋子さんについても同 じような処遇が為されている。それは、政治囚だけに限るものではない。一般刑 事囚の人たちにも行われている処遇だ。私が東京拘置所と岐阜刑務所に居たとき にも見聞してきた事だ。予算と管理運営上とやらの理由によって、非人道的処遇 が行われている。最近では、シャバでもそうした「処遇」が拡がってきていると も言える。健康保険料が支払えないというので、健康保険証も交付してもらえ ず、治療もできずに亡くなられる人が目立つようになってきたようだ。そうした 国家による殺人的行為を糾弾し、やるべき事をやらせることは当然必要なのだ。 そうしていく為には、どうしたら良いのか考えていかねばならない。
それと共に、できる範囲で自分のカラダは、自分で守る、という構えも必要に なってきたと思う。私は、獄中者になる前の逃亡者時代から医療にかかれない状 況にあったので、とにかく自分のカラダは自分で守る方向で考えて生きてきた。 獄中に入って、そうした考えが更に強まった。私のようなモノグサな人でもでき るセルフ「医療」として、私が続けられたのがオシッコ飲みと真向法体操だっ た。他にもいろいろ療法があるので、それぞれの人が自分に合った療法を見つけ ていけばいい。
以前にも書いたが、獄中者のためのセルフ医療の小冊子もいつか作りたいと 思っている。
今の医療が金術医療になっていることは、当然だ。なぜかと言えば、医療に関 係し、従事することで稼ぎ、生活している人たちが居る以上、「医療」が無く なってしまっては困るのだ。人々が自分で自分を守ろうとして、いろいろな健康 法をすると(そうした健康法の方が医療業界の医療よりも効果があるみた い。)、国家と共に潰しにかかるのが医療業界なのだ。
快医学、バイオヘルスといった健康運動に触れたおかげで、私もそちら方面へ 進められたらいいなと思っている。
なんか、今回はまとまらなかった。次回を乞う御期待!
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