シャコのリハビリ日記(その40)

  「リハビリ日記」、改め「介護日記」(?)と、なりしや?
 私は今、ウツである。それほどひどい状態ではないが、対人関係では障害になっている。とにかく、人と話すことがおっくうである。それも、あんまり知らない人と話すことがよくできない。この頃は、口がよく回らなくなることもある。軽い言語障害だ。相当ストレスが溜まってきてしまっているみたいだ。
 おかげで、5月14日の集会には、ほとんど関わらなかった。積極性、創造力、柔軟性などが萎えてしまっていた。集会準備の実行委の会議に出ても、暗く、ムッツリであった。どうにも止まらない、ウツウツ……ウツウツ。それでもとにかく、会議には参加しただけでも良かったのか。だから、私に5月14日の集会について、感想を述べる資格はないのだが、あえて述べれば、一言、「よかった!」なのだ。反日救援関係の集会は、いつも和気あいあいムードでよい。ま、開会の辞や、講演等では、それなりに迫りくる状況に対しての引き締まる思いも強められ、確認させられたのだが。果たして、我々は生き延びれるのか。
 ストレスの原因ひとつは母との関係だ。
 母を定期診察の為に医者へ連れて行くのにも、ケンカになる。なんで行かなくっちゃならないんだ!と言う。とにかく、素直に聞いてもらえない。よほど、私からあれこれ言われるのが嫌なのだろうか。これまで、しっかり者で生きてきた人だから、これまで世話をしてきた子どもからアレコレ言われるのが嫌なのであろう。こうした母との言い争いが、私には苦痛になっている。ホント、あまりにもつまらないことで言い争う。そうなってしまうのには、私自身に余裕がなく、些細なことにこだわりすぎて生きているからだ。そんな自分が嫌にもなっている。短い人生だ。いつどうなるかも分からない。それなのにつまらないことに拘泥して、ウジウジして大切な生時間を浪費してしまっている。ウツ状態のときには、どうしても引きこもり状態になってしまう。今、実家で母の傍に私がいることが、母にとって必要なのかもしれない。私が仕事などで外出していると、母から電話がある。私は、母が頻繁に電話を掛けてくるので、いつもドライブモードにしている。以前は、いちいち電話に出ていたのだが、「どこにいるんだ?」、「今、何をしている?」、「いつ帰る?」、「◯◯を買ってきて」等といった内容なので、仕事中に応えてられないので、ドライブモードにしたのだ。
 母は、白内障なので、眼科へ連れて行ったのだ。昨年までは、虎ノ門にある眼科医院まで通っていたのだが、最近は足腰も弱り、認知症の影響か、外出もおっくうにもなってしまったようだ。ま、外出したら、帰って来られない可能性も否定できない。実際、東京の友人宅へ行ったが、帰り道が分からず、駅まで送ってもらったこともあるようだ。
 眼科へ行こうよ、と言ったら、先日行ってきたばっかりだろう、などと言う。とんでもない、嘘を言うなよ、と言いたくなるが、本人は行ったと思い込んでいて、頑固に行かない、と言い張るのだから困ってしまう。
 そこで、私は考えた。「ラーメンを食べに行こう」というエサで釣って、病院へ連れて行った。母は、食べることに関心が強く。このエサならば、よく釣れるようなので、これからもこのエサを使っていこうかな、と思っている。病院では、2時間半も長椅子に座って待っていた。いやはや大変だ。これから、こうした病院通いにも、私もこれからは慣れていかなければならないだろう。
 母は、今年の夏の暑さに耐えられるだろうか、というのが私のちょっと心配していることだ。母は、この一年でホントに老いがかなり進行してしまったみたいだ。既に、母も78歳である。母は、とにかく、よく働くのである。料理、掃除、洗濯、家庭菜園の世話等と、本当によく動き回る。私は、ナマケモノでズボラだから、とても母のようには働けない。しかし、そんな母もこのところ衰えてきていることが明らかに分かるようになった。冷蔵庫に入っているものを腐らせてしまうことが多くなった。料理も、あまり自分で作ることをしなくなったようだ。「オカズを買ってきて。」などと、母からよく頼まれる。以前は、私が作ったものは食べなかったが、この頃は食べるようになった。そろそろ、私が主要に料理を作るようにした方がいいのかもしれない。いくら家事労働が好きな母だからといって、すべてをやりきることは出来ないのだから…。
 古川に居る荒井智子さんから泊りがけで遊びに来ないか、と母にお誘いの電話があった。6月頃なら、私も時間がたくさんありそうだ。ちょうど、弟も帰省してきている。弟に留守を任せて、母と一緒に古川に遊びに行ってもいいかな。智子さんは、電話口で、私も歳だからどうなるか分からない、今年ならまだ大丈夫だから、来なさいよ、などと私がちょっと不安になるようなことをボソっと言う。
 会おうよ、と言われたときに会わないと、会えなくなりそうである。やはり、行かねばならないだろう。
 さて、話を戻すと、私のウツのもうひとつの原因は、仕事のこと。今の仕事が私にとって本当にやりたい仕事なのか、と言うと、そうではないことがだんだん分かってきたことだ。
 今のグループホームの世話人の仕事は、管理するという面が大きい。私自身は、昔風のコンミューンのようなあり方をイメージしていたのかな。しかし、グループホームは、経営とか管理とかの面が大きいようだ。私のようなズボラな人間が他の人の生活動作をアレコレ指導するなんてことはできないし、似合ない。エゴイストなのだ、私は。自分のことで精一杯なのだ。自分のことさえ満足にできていない人間なのだ。私は、優しさなどはない、そのように見せかけているだけの人間なのだ。それが、今回の世話人の仕事をしてよく分かった。
 先日、グループホームでまたトラブった。前回と同じパターン。私がケンカを止めようとしたら、矛先がこちらに向かってきので、またやってしまった。相手は、前回と同じオジサン。カッとすると、止まらない。私もこの間、ストレスが溜まっていたのか、マズイ対応をしてしまった。このままではダメだな、と思った。私自身に余裕がなくなっているのだ。今の私では、このグループホームの世話人はキツイ。7月からは別の仕事を始めることになるし、二足の草蛙をはいて頑張るには、私自身が不器用すぎる。結局、両方ダメになりそうだ。それに早朝の2時間だけといっても、それに制約されてしまって、行動が縛られてくる。それで、この際、世話人をやめようと思っている。
 今の状態から、どう抜け出すか?
 出獄してから、目立たないように生きていこうとしてきたことがよくない。そのことが自分を抑圧してきてしまったのかもしれない。それが、いつの間にか卑屈さを増長させていったのかもしれない。もう及び腰ではしようがないな、と思う。それが、自分自身の生を目一杯楽しめなくさせているのだ。
 とにかく、やっていかなければならない…、なんてこと言っていいのか?ウツ人に?プレッシャーになる?さらにストレスが溜まるだろうに…。
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