「みちのく温泉旅日記」
 家族旅行の話が決まったのは、4月頃だったか。りえちゃんから、智子さんが私の母と友野さんのお母さんと一緒に古川に来ませんか?というお誘いがあることを伝えられたのが発端であった。それを聞いて、私は古川の智子さんに電話をかけた。そうだ!母たちも歳が歳である、会えるときに会っておいた方がよいだろうと思った。いつ、どうなるか、分らない。今元気に歩けるうちに温泉へ連れて行ってやらなければ、次の機会はないかもしれないな,と思った。
それで、母たちを連れて行くことを伝えた。智子さんは、快く応じてくれた。
その様に、古川行きがスムーズに決まったのには、まりっぺ、りえちゃんの荒井姉妹の力が大きい。私一人では、とても実現できなかっただろう。旅行計画も二人で決めてくれたので、私などそれに従うだけで、なんとも気楽なものだった。まりっぺも、りえちゃんも忙しい仕事の合間を縫ってのスケジュール調整をした。私も1ヶ月くらい前から二泊三日の休日を仕事先に申請しておいた。
みちのく温泉旅行の計画は、次のような内容だった。
 参加者は、荒井智子さん、友野さんのお母さん、私の母、荒井姉妹(まりっぺ、りえちゃん)、そして、私の総勢6名の大軍団だ。みちのくのアマゾネス軍団、ここにあり!ダッチャ!クルマ2台で移動。
 6月9日、それぞれの母の家へお迎えに行って、二人の母を乗せて、2台のクルマは、それぞれ出発した。そして、佐野SAで2台のクルマは合流した。二人の母は、1台に一緒に乗ってもらったら、これがまたピーチク、パーチクとかしまし娘となってしまったようだ。ずっと喋り続けていたらしい。
 出発当日の朝に、母は腰が痛いから行くのはやめる、だとか言って愚図りだしていた。それをなだめすかして、行く気にさせたのだった。途中、あと1回SAで休憩をした。
 そして、古川に着いたのは昼過ぎだった。智子さんと久しぶりのご挨拶をしてから、みんなで昼ゴハンを食べた。ああ、おいしかった。昼ゴハンを食べてから、さあ、温泉へ出発だ!温泉は、りえちゃんが探してくれた。鳴子温泉の近くにある鬼首温泉だ。そこの温泉宿に一泊することになっている。午後4時頃に着いたろうか。美人女将のいるこじんまりとした温泉宿だった。野天風呂もあり、なんと男女混浴!なのであった!
 しかし、お天気が悪くてせっかくの山の景色もスッキリとは見ることは出来なかったのが、残念!
 夕食は、山の幸を中心としたもので、おいしかった。地ビールを数種類も注文して飲んだ。母たちも大いに飲んだ。夕食後、部屋に戻ってからも、母たちと荒井姉妹は遅くまで飲んでいたようだ。私は、一人でお先に「おやすみなさい!」であった。クルマの運転をして疲れてしまっていた。母は、夜中に何度もトイレに行くのだ。そのために、まりっぺとりえちゃんは、私の母の世話をしてくれていた。感謝!
 翌朝は、5時前に起きて、野天風呂に入りに行ったら、すでに入っている人がいた。早朝の野天風呂は、気持ちいい。木々の青葉が温泉の湯気に揺れて、サヨサヨ、サヨサヨ。揺れているのは、青葉だけではないような、そんな気がしながらの温泉三昧。
 母たちも朝風呂を楽しんだようである。
 玄関前で記念写真を撮ってから、大地から噴き出す温泉を見に行った。間欠泉とでも言うのだろうか。ブワ?ッと噴き出したね。そこでお土産をめいめいが買って行った。智子さんは、レジで精算せずにお土産品を手に持って、外へ出て行こうとしたので、お店の人が万引きかしら?と心配そうにしていたっけ。多分、智子さんは、レジが外の方にあると勘違いしていたのだろう。そこから出ての戻り道で山菜の専門店みたいな所で、めいめいが山菜などの山の恵みを買い込んでいた。その店では、マムシなども生きたまま売っていた。なかなか面白い店である。
 さらに,戻り道で和菓子屋に入ったご一行は、まんじゅうなどをシコタマ買い込んだのであった。さらなる戻り道にあった有備館出見学となった。
 そろそろ腹も空いて、ということできたことで、近くの脱サラの手打ちそば屋でおソバを食べたのであった。腹も満腹したしということで、古川へと帰途についた6人であった。
 古川の荒井邸に着いて、すぐに晩餐会の支度が始まった。私以外の人たちは料理作りをした。晩餐会には、二人の客人が来ることになっていた。その二人を満足させるような物を作るのは、本当に大変なことらしい。
 私の母は、人の家に泊まるのは気兼ねするらしく、しきりに家に帰ろう、帰ろう、と言ってくる。大丈夫だよ、となだめすかして落ち着かせた。
 その晩は、二人の客人も来て、宴会となり、楽しい時間が過ぎたのであった。
 翌朝、みんなで朝ゴハンを食べて、しばらく庭木などを眺め、のんびりしてから荒井家を発った。帰りは、2台のクルマで追いつ追われつ、抜きつ抜かれつのカーチェイス。クルマの中では二人の母たちが、ピーチク、パーチクと遠足帰りの子どもたちの如く、次なるおもしろ、おかしごとを話し合っていたようだ。母たちにとって、楽しい温泉旅となったようで良かった。もちろん、娘、息子たちにとっても、楽しい旅であったことは確かなことだ。
 今回の旅行計画を立ててくれた荒井さん母子には大変お世話になってしまった。感謝致しております。どうもありがとうございます。
 しかし、智子さんは、沢山の人が遊びに来るのが、楽しいらしい。智子さんからは、またやりましょう、などという提案がされている。こんどは、秋にいらっしゃい、とか。それでは,また秋には行きましょうかね。ちょうど、紅葉のときになる。きっと、きれいだろうなぁ。こんどはお天気に恵まれるといいのだが。
 また同じメンバーでの団体旅行となるだろう。いや、さらに人数が増えるかも。そうなると、あまりの忙しさに、世話好きな智子さんは喜悦の表情を浮かべながら、楽しそうに動き回るかもしれない。

「6・15九条「改憲」を粉砕する為の集会(?)に行って来た。」
 30数年ぶりの集会とデモ行進をした。いやはや,懐かしい限りである。60年代、70年代には、よく見かけた風景なのだが、最近はとんと見かけなくなった。それにしてもだ。60歳、70歳、80歳の人たちの元気さは,どうだ。すごいもんだと思う。80歳の人など,ほろ酔い加減で気持ちよいアピールをしていた。熟年世代をホンキにさせて闘わせてしまうんだから、アベのおボッチャン首相はエライ!

 「救援連絡センターの事務局員になりました。」
 6月23日、救援連絡センターの運営委員会で、私が事務局員となることが正式に承認された。これから、事務局員として頑張って行きたいと思っている。
といっても母の「介護」もあるので、毎日あっち、こっちへと飛び回るということはできない。本当のところ、そういうことがしたいのだが、現状では、ちょっとなぁ、というところ。
 前回、ふうさんとの話を書いたが、ふうさんがあんな言い方をしたんではなかったんだけど、枚数が足りなくて、あんな書き方をしてしまった。あの時、ふうさんが話したのは、立場を超えて、というのは、実際なかなか大変なことで難しい、ということを言ったのだった。ふうさん、ごめん。
inserted by FC2 system