シャコのリハビリ日記(その46 )

  10月もなんか忙しい月だったな。
 1日は、池袋に映画『シッコ』を観に行って、それから文京区民センターで行なわれたパレスチナ 連帯集会に参加した。
『シッコ』を観て、日本もどんどん見習ってこういう方向へ行くのだろうな、と思うと怖くなるね。 金がなければ医者にもかかれない、健康保険証も取り上げられる現実はすでに出てきている。ま、し かし、だ。医者なんて、そう頼りになるものでもないと、見切りをつけてしまうのもいい。自分で自 分のカラダを癒す術を手にすれば良い。11月25日、健康法講座を救援連絡センター主催でやるよ。来 てね!
 2日、木立宣宥さんの通夜に行った。彼とは、パレスチナ、YOUの会などの集まりでよく会ったもの である。
 3日には、友人と東拘へ面会に行ったら、面会所で岐阜で同じ工場で働いていた人に声をかけられ た。私の方は、良く覚えておらず、はて誰だったろうか、と。後日、『救援』を送った。やっぱり、 会うんだよねぇ。その後、三ノ輪の「あうん」と言うNPOへ行った。リサイクルショップは、うまくい っているようだ。山谷の労働者たちの生活と仕事の協同組合みたいなものかな。
 5日は、吉祥寺へパレスチナキャラバン『アザリアのピノッキオ7つの断章による狂騒曲』を観に行 った。激しく雨降る闇夜の道をトボトボと、パレスチナの旗翻るテントを目指した私はパレスチナの 闘いを劇中に、見た。
 8日、「ゲバラ没40周年記念フォーラム」が池袋であったので行って来た。チェ・ゲバラの人気は、 死んで、だいぶ経つのに落ち込むことがない。今もって、人気ベストテンNo.1である。そう、あの時代、 みんながゲバラを目指していた。最近上映されたゲバラの青春放浪を描いた映画『モーターサイクル・ ダイアリー』などを観た若い人たちも来たようだ。あの時代をゲバラとともに闘っていたジイさま、バ アさまたちが企画したようだ。当然、太田昌国さんが講演していた。……勿論、本を行商しながらであ る。頭が下がります。
 12日、『救援』の発送作業日。今回は、獄中医療の実態調査アンケート用紙を同封したので、若干手 間がかかった。獄中医療実態調査は、20年前に獄中者が中心になってやったものだ。このところ、獄 中から医療の劣悪さについて訴える手紙が沢山来るようになってきたので、現状について調査する必要 を感じたのであった。アンケートは27日現在37通届いている。締め切りは11月30日だから、これから まだまだ届くだろう。それらを集約して、整理するのが大変だろうと思う。さて、どのような実態なの だろうか。
 13日には、『響かせあおう! 死刑廃止の声2007』の集会に行って来た。満席立ち見が出るほどだっ た。この間のナガセやハトヤマの動きへの危機感が反映したのだろう。そういう意味では、やる気満々 といったカンジかな?当日は、救援連絡センター主催でやる健康法講座の講師のアトムさん夫婦が友人 と来てくれて、集会でけっこうインパクトを受けたようで、バイオヘルス・健康法講座の内容も獄中者 に役立つように考えてくれるそうだ。どんな講座になるのか、楽しみだなぁ。
     20日、新宿駅にジイさま、バアさまたちが結集して街頭情宣をするというので、見に行った。このジ イさま、バアさまたちは、1968年10・21反戦デーには、火炎瓶を投げたり、石を投げたりして、この辺 りを走り回っていたんだろうなぁ。とにかく、みんな元気であった。ひとりも脳梗塞や心不全で倒れる ことなく、デモまで貫徹したそうだ。私は、最後のシュプレヒコールまで参加して帰途。ジイさま、バ アさまたちの情熱と体力には負けるわ。なにせ、あとがないから凄まじい噴火である。「キレる老人」 というより「雄叫びあげる老人」だろうよ。
 24日に、初めて国会議事堂を間近でノンビリと見ることができた。昔、デモしている時には、隊列に 必死にくっ付いていたので、見る余裕がなかったものね。ここでも、ジイさま、バアさまたちが反テロ 法反対で座り込みをしている。
 25日には、菊村優さんの判決公判に行った。懲役2年の執行猶予4年だった。ひょっとすると、実刑 かもね、と思っていた本人とみんなは喜んでいた。
 翌26日は、代々木八幡の区民会館でYOUの会による歓迎会が行われた。肉親、友人たちが集まって、優 さんの帰還を喜び合った。優さんは、断髪式とやらをされてしまって、それまで伸びに伸ばしていた髪の 毛をバッサリ切られていた。三つ編みに結っていたおさげもなくなっていた。髪を切ったら、只の気の好 いオジサンに成ってしまった。
 優さんは、とにかくよく喋る。誰彼かまわずハグしまくる。ホント、嬉しいのだろうな。私の場合は、 そんなには喜びを表すことがなかった。もともとがシャイなもので、気恥ずかしくて、喜びを素直に表現 することできないのだ。やぁ!ってな調子が精一杯の表現だったんだな。優さんは、栃木刑務所に居る由 紀ちゃんとも文通しているそうだ。由紀ちゃんは、けっこうモテるようだ。確か、中野某英幸さんからも 熱いラブコールを受けていたように思うが、適当にあしらっていた方が無難である、と由紀ちゃんにはア ドバイスしておこう。
 歓迎会には、西巻さんも来ていたので、獄中20年以上という者が3人も勢揃いだと、山中幸男さんが冗 談らしからぬ冗談を言って、ひとり悦に入っていた。YOUの会に参加して、優さんを奪還できる日を待ち 焦がれながら、鬼籍に入った人たちが三人いる。その三人」とも一緒に喜びの祝杯を上げたかったという のはみんなの気持ちだったろう。ともあれ、けっこう楽しく歓談できた会であった。最後に、みんなで記 念写真を撮った。
 救援連絡センターのある新橋へ行くのに、地下鉄を使っている。地下鉄に乗るようになって、東京の地 図を頭に入れて考えるようになった。それで、救援連絡センターが日比谷公園と近いことが分ったし、ど の線を使えば、速く安く移動できるかも分って来た。東京メトロだの、都営がある。都営地下鉄は、シケ た石原都政を象徴しているのか、とにかく狭すぎて、イヤである。長い間狭い独房に拘禁されていたトラ ウマなのかな。私は、部屋の中にいるより、青空の見える外で歩き回るのが好きである。だから、出来る だけ集会などには行くようにしている。外で動き回っている方が、いろいろな人に会えるしね。しかし、 困ったことにシャイな私では、話がはずまない。なんとか出来ないものかと思い悩むところである。
inserted by FC2 system