〈定期第134信〉
 東拘で生活しはじめてからすでに10日ほど経ってしまった。いやはや、時間の経つのは早いものである。この大都会の騒音の中にいると、岐阜の山に囲まれた環境の良さが改めて思い出される……なーんて言っても2ヵ月すれば、また戻るのだから、今この大都会での生活を楽しんでおくか、といったところ。それにしても電車や車の排気音、クラクション等々、騒音がひどいねぇ。まあ、なつかしいサオ竹売りの声はいいけれど。あいかわらず売っていますね、と。
 岐阜刑を出発したのは9/28AM6:30頃だったか、10年前、東拘出発はAM5:30頃だったかな、と思うので、ちょっと出発時間は遅くなったみたいだった。これで、午前中に東拘に着けるだろうか、と疑問に思ったら、案の上、到着はPM1:30頃となってしまったな。首都高速は混んでいたなぁ。10年ぶりに眺める大都会はなんかビルばっかりで、うっとおしいカンジだったな。私はすっかり田舎もんとなってしまっているので見るもの全てが珍しいものばかりであった。
 しかし、こんな大とかいにはあまり住みたくないもんだという思いは強くなった。のんびり生活してられんなぁ これじゃ!というカンジ。
 東拘に着いてひととおりの身上調査や身体検査、健康などについて問われたり持ってきた荷物を調べられたり、2時間位かかったかな。顔の知っている職員も何人かいたりして、『あまり変わってないなー』とか言われた。そう変わっておらんかもしれないな、体重に関してだって、ここ20年近く同じだし、体形は同じだから、ただ頭だよな。しかし、東拘にいた時よりは、ひきしまったカラダにはなっとろう。やはり、昼夜独居と夜独居工場出役の生活とでは運動量がちがうからな。
 さて、舎棟はというと、アッチへまがり、コッチにまがり、さらに階段の上がり下がりもありまったくワケのわからんような道順で、たどりついたのであった。
 居室はというと、将司のいるところと同じだな。カメラ付きという豪華な居室で。岐阜の私のいた居室よりも少し拾いみたいだ。蛍光灯は長いのが2本ついていてけっこう明るくて良い。水道だって床から出ているボタンを踏めば水か出てくるという式で、両手を使って顔が洗えたりするから便利と言えなくもないな。とにかく、この舎棟は新しく清潔なカンジで、これが仮設とはとても思えない。昔の旧舎などにいたゴキブリやネズミなど、全く見かけない。すごいものである。
 外国人がけっこういるようだ。昔とはかなり違ってきたところかな。カタコトの日本語やどこかしらの外国語が聞こえてきたりしている。岐阜刑には、まだ1人も外国人がいなかったのじゃなかろうか。そんな話は聞かなかったものな。ま、岐阜のようなBL刑には来ないかな。府中刑あたりに多そうだが。
 9/28(木)は私本も入らず、また遅く来たこともあり官本も借りられなかったので、翌29日(金)の午後までよむものはなかったので困った。疲れていたのでよく眠れたわい。
 9/29(金) 朝、気持ちよく目ざめた。獄舎の居室はどこも似たようなものだから、あまり、違和感なく居られる。水道の蛇口がビニールパイプだとか窓にパチンメタル居たがあるとか、カメラ付とか、窓の外にフェンスがあって空が見えないとかこまかく気にすればいろいろ違ったところもあるのはたしかだが。空がしっかり窓一杯見ることができないってのは大変困ったことではあるな。カラすが飛んでるのさえ見えず、鳴き声だけ聴けるのは。
 この日は入浴日で午前中に入った。なんと清潔な風呂場であろうか、シャワー付きだし。
 午前11時頃川村弁護士の面会があり、面会所へ。いやはや遠い。10〜15分くらいかかるのではなかろうか、というカンジ。検事から連絡があったとか。
 舎下げ出願→〈ノート1冊、便箋1冊、黒ボールペン、赤ボールペン、封筒1束、80円切手×20〉、〈供述調書(1),(2),(3),(4)、被告人調書 大道寺将司調書、益永利明調書〉、〈『はじめてのエスペラント』、『わたしたちの手話(2)』〉
 午後に一般官本2冊借り出す。図書目録の回覧があってそこから選び出すやり方であった。昔は台車にガバッと置いてあって、そこから自分で見て選びとっていたのだが、変わったようだ。
 朝から、紙袋を折ってノリ付けして…という紙工の仕事を始めた。10年前も確定後しばらく、やっていた仕事だったので、少しずつ思い出してやっている。
 9/30(土) 免業日である。免業日だけは懲役も午睡ができるそうだ。この日は、懲役受刑者たちの運動会の日だそうだ。それで懲役の私には未決の人たちとは違って昼食に幕の内弁当(ウナギ蒲焼飯、いなりずし2ヶ、コロッケ、トリのカラ揚、天プラ等)、特大の紅白まんじゅう、コーラが出された。岐刑では10/20が運動会の予定日だった。運動会はちょっと楽しみにしていたのだが、私は参加するわけじゃないから、まあええか。岐刑の方が運動会に出るものは、菓子に比重が大きかったように思う。
 さて東拘のメシだが10年前と比べてどうかというと、幾らか良くなっていると思う。牛乳、コーヒー牛乳、プリンなどのようなものが時々出るようだな。時々というより、けっこう、と言うべきか。収容人員が多いので食材が大量購入されるので、それだけ安く買えるという利点があるからな。しかし、油っぽいオカズが多いのであいかわらずというカンジ。食器洗いも大変だろう。岐刑では、食器も炊所で洗うようになっているのでラクなんだがね。東拘では、あいかわらず、自分で食器洗いをしているんだな。
 10/1(日) 免業日。この日に医務診察の受付があり、下血と魚の目で出願。
 10/2(月) 午前中に屋外運動・狭い運動場であることに驚く。私が今いる居室と同じ位の広さしかないようだ。走り回っているだけで目が回ってクラクラしてきて気分わるくなったりして。これじゃあ、ちゃんとしたランニングはできませんな。岐刑の広いグランドがなつかしい。おまけに、四方がコンクリート壁に囲まれて、これでは風も入らず真夏はムシ風呂並みの暑さになったろう。真夏に東拘に来ることがなくて、本当によかった!と思った次第。
 AM11:0頃、医務診察に行く。下血については内視鏡を挿入して見てもらったところ『ある!ある!』と宝物を見つけたように医者が言って、痔を見つけたようだ。ポスラリザン座薬というのを出してもらった。さて、どうなることやら……。これで、ゆきちゃんやまゆみちゃんのお仲間。
 10/3(火) 午前中に入浴。
 10/4(水) 午後に屋外運動。診察受付があり、座薬・投薬と魚の目治療出願。
 舎下げされてきたもの―→〈『はじめてのエスペラント』『わたしたちの手話(2)』〉〈黒赤ボールペン各1本、ノート1冊、便箋1冊、封筒1束、80円切手×20〉。
 舎下げ出願したもの―→救援377号、人民新聞9/15号、新生、支援連ニュース、模索舎月報9月、ザ・パスポート、チラシ刑務所の中の計8点。これらは岐阜刑から携有してきた物。
 10/5(木) 午前中に屋外運動。親族申告書2枚記入後提出。AM11すぎに医務診察へ。魚の目を自分で切りとる。医務診察室はいつでも満員である。
 AM11:30頃、藤田弁護士との面会。10年前より、顔が丸くなったし、話し方ものんびりしてきたようである。と言っても、一度面会したことがあっただけだが。
 差入れ票を示され指印する。郵送差入れされたもの→エスペラント通信講座第11課テキスト、第10課添削〈沼津エスペラント会〉、シャコ通信No30〈東ア支援連シャコ係〉。藤田弁護士の話では、支援連の人の差入れは不許可だったようだが、どうなってんのかしらん? 川村弁護士が雑誌を差し入れようとしたら、それも不許可だったようだが、弁護士もダメなのかな。窓口はダメだということかな。確定後2ヵ月ほど待機中の期間は、たしかよかったのだがな。さて。
 10/6(金) 午前中に入浴。差入れ票を示され指印する。郵送差入れされたもの→人民新聞1035号〈日角八十治〉、死刑と人権、ご入会のお願い〈かたつむりの会〉。
舎下げ出願→〈黒ボールペン替芯1本、便箋1冊〉〈シャコ通信No30〉
 10/5に冊数外の願箋をつけて出した『はじめてのエスペラント』と『わたしたちの手話(2)』が戻ってきた。受刑者の私本閲読許可証はウグイス色であるが、そこに冊数外というと昔は、無期限ということだったと思うが、今は1ヵ月ごとの更新ということなのだろうか。
 10/7(土) 免業日である。クラブ活動もテレビもない土曜日は時間がいっぱいというカンジもない。メシの時間が早く来るためか、あっという間に1日が過ぎるカンジである。
 岐阜刑では平日は朝食7:00頃、昼食12:00頃、夕食5:00頃だな工場出役者は、免業日は朝食8:00、昼食12:00、夕食16:30頃。東拘では、朝食7:25(休日8:00)昼食11:00頃(休日も同じ)、夕食15:30頃(休日も同じ)といったところで、けっこう早いようだ。未決は差入れや購入の食べ物があるから、こんなもんで大丈夫ってところかしらん。そうそうあいかわらず土曜の昼食はパン食が定番のようだが、牛乳もコーヒーも付かんのだなぁ。コーヒーはごはんのときに付けるようになったか。
 10/8(日) 免業日の2日目である。ここのところ利明と将司の浴田公判調書を読んでいる。来週火曜日には、私の尋問もあるわけで、私の公判調書もまた読んで、記憶をよみがえらせねばならんわけで、免業日もけっこうやらねばならんこと一杯ってところか。まぁ、そこは、もともといいかげんな人間だから、テキトーに…。
 10/9(月) 3日目の免業日。ロールケーキ1切れが特配となる。岐刑だと1本丸ごとなのだが…。すでに12日間東拘にいることになるが、やはり献立の内容は、岐刑の方が良さそうだ。こんなところのメシだけを食べている将司や利明たちは可哀想だなぁ。当分変わりそうもないから困ったものだ。どうも食べもんの不平不満しか出てこんなぁ。これまた困ったもんだ。
 さて10/17公判まであと1週間しかない。25年以上前のことを全て思い出すのは無理だが、印象的なところは、けっこう鮮明に憶えているようだ。どこまで、なめらかに話せるか、それが問題だ。なにせこの10年、むずかしい話をこの口からしゃべったことないものなぁ。そのへんは藤田弁護士の腕にまかせるとしようか。
 では、10/17公判に元気な姿で会おうか。            2000.10.9 Shaco.


SHACO
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