〈定期第136信〉
 9/28に東京に戻ってきてから、1ヵ月半ほどになった。ここでの生活もけっこうなれてきたが、なれるにしたがってここの閉鎖的環境に影響されてきたのか気分がウツウツとしてきたようだ。長期拘禁されている人たちが気分の落ちこんでゆくのも当然であろうか。もう少し気分が晴れるような環境にしてほしいものである。外の景色も見えない構造なのだから、その分、欧米並みに、テレビやラジカセなど房内所持させるとかするといいのになぁ。
 さて、いよいよ11月である。木枯らしが吹いてからというもどんどん寒くなってきた。私は寒いのは弱いのである。暑いのも弱いのであるが……。
 10年前、この東拘にいた時は、毎冬、シモヤケに悩まされたものである。岐刑でもシモヤケはそれなりにできるのであるが、東拘でのそれはシモヤケというよりは凍傷といった方が正確だというほどのものであった。
 さて、そんなシモヤケがそろそろできるかしらん。それとも、新しい舎房で、すきま風もそう入らなくなったから、そうひどくならんかしらん。なんせ昔いたところは、旧舎も旧舎、あの北舎だったからなぁ。
 10/23(月) ちょっと雨降りだたったが屋上の運動場へ出て、走り回った。午前中の走りは、気持いいとも思わなかったが。雨が降ると自動的に屋根が出てくるというのであるとよいのだが。岐刑だと、雨天は講堂で運動となっている。それは工場出役者の場合で、昼夜独居者は、雨天運動中止となっているようだ。
 私は、今、官給丸首シャツ、パンツ、上衣、ズボン、靴下などと、衣類は全て官給品を使っている。
 岐刑では支給された衣類は個人使用とされ、各々の呼称番号が記入されるのだが、東拘の今の私の場合、定期的な洗濯日に交換される。共同使用されている衣類というところ。
 下着については、とてもきれい新品とは言えないものばかりである。潔癖症の人にはとてもはけないであろう。今日は丸首シャツ、パンツ、靴下の洗濯。
 この日は一般官本の貸出し日。借りた本→『老人と犬』J・ケッチャム 扶桑社ミステリー文庫、『凍りつく骨』NWウォカー 講談社文庫。
 10/24(火) 午後に入浴。午前より午後の入浴の方が良い。午後になるとお湯の調整がほどよい加減となっているからね。
 模索舎月報10月号〈模索舎〉の差入れ票を示され指印する。
 舎下げされたもの→再審研〜綴、ザ・パスポート94、救援378号、新生589号、同590号、人民新聞1056号、ハガキ、ひとそれぞれに34号。ひとそれぞれにのおジイちゃんの写真バッチリですね。孫なのかな二人とも。ザ・パスは読みでがありました。戸平さんもカメラ付毒房のようだな、書いてあるのを見ると。模索舎月報いつも送ってもらってありがたい。どんなものが発行されているのか見るのが楽しみでもある。買いに行ければ良いが。
 10/25(水) またちょっと雨が降っているなか午前中の屋上運動。今日は、敷布、枕カバー、掛布団のえり布の洗濯だった。自殺房というのは、敷布も特製のものらしい。袋のようなものである。敷布団をその中に入れるもので、袋の片側がシーツとなっている。なんともおもしろいものである。寝相のわるい人にはいいかもしれん。
 朝食には納豆が出されたが、東拘は週2,3回は納豆が出されるようだ。岐刑は週1回である。納豆大好き人間の私としてはすごく嬉しいのだがネギが付いていないのが不満である。岐刑では食中毒予防のために重曹につけたネギであるが、一応ネギは出されている。
 昼食にウナギの蒲焼きが出された。岐刑では毎年7月に1回しか出ないのだが、東拘では年に何回出るのだろうか。ともあれ、今年はウナギの蒲焼きを2回食べることができてラッキー!かな?
 80円切手8枚、50円切手2枚の切手シート〈平山まゆみ〉の差入れ票を示され指印する。切手だけが送られてきたってわけでもなかろう、ほかになにか印刷物でも送ってくれたのではなかろうか、とするとそれは審査中ということになるのかしらん? ともあれ、いつもどうもありがとう!である。受刑者なのでそう手紙も送れんので困るね。
 10/26(木) あまりすっきりとした空模様ではないが午後屋上運動に出た。
 岐阜市役所より岐阜市民意識調査と返信用封筒がおくられてきた。アンケートである。締切りまでに間かなかったので、書くことはなかった。
 10/27(金) スッキリしない空である。ま、関係ないな。午後に入浴。一般官本で『哀しみの密告者』T・ブラッドビー 扶桑社ミステリー文庫を借りる。IRA関係の内容。う〜む、と。
 人民新聞1057号〈日角八十治〉の差入れ票を示され指印。いつもどうもありがとう。川村弁護士より封筒入り「次回尋問案コピー綴」が交付された。パンフ扱い。
 川村弁護士との面会。11/7証人尋問について少し話す。声小さかったですかネェ? と聞いてみる。
 回覧の読売新聞を見たらトシの牧師宛手紙の訴訟が勝訴との記事があり、さすが!!と感心するのであった。あいかわらず頑張っているなぁ。
 10/28(土) 免業日。昼食のパンは固いなぁ。食べるのに苦労する。夕食にモツ煮込みが出る。どこかで職員がブタじゃないよ、ウシだよ、と獄中者に言っていた。イスラム教徒でもいるのかな、それともユダヤ教徒か。そう言えば、ここのカレーはチキンカレーが多いように思う。やはり宗教的なことを配慮してなのかしらん?
 10/29(日) おもしろいこともなく1日は終わる。
 10/30(月) あいかわらずすっかとした空もなく午前中に屋上運動へ出る。一般官本『包丁さむらい』白石一郎 講談社文庫を借りた。川村弁護士より速達便にて尋問案6枚、普通便(岐阜経由)にて尋問案4枚来信。差入れ表を示され指印したもの→『刑務所の中』(マンガ)、『17才のバタフライナイフ』〈永井迅〉、支援連ニュースNo218〈東武央〉。ありがとう!
 10/31(火) 晴れても、関係ない午後の入浴。掛布団乾燥。寝具乾燥は岐刑ほど行われていない。岐刑だと10日に1度くらいはあるな。ま晴天が続けばだが。2枚。
 11/1(水) 午前、屋上運動へ出たが足下の「人工芝」が水浸し状態だったので走らず歩き回るのに止めた。これから寒くなってくると、霜焼けなりやすくなるので気をつけなければ。
 川村弁護士より浴田コピー14枚がパンフ扱いで届く。ギョッ!! えらい書きよるで…と。そう言えば、法廷では、かなりメモしまくっていたっけ。ゆきちゃんは『よこなが』は読んだのかな? 私が東拘で拘留中に東ア〜の4人といろいろ話し合った内容が書いてあるもの。獄中5人のミーティング記録(?)といったものか。6,7年分のブ厚い束を支援連の方へ、私が確定した時にたしか送ってあるので、それを見せてもらったらいいと思うのだが。
 10月分の作業賞与金804円。さすが袋貼り作業のことはあるな。因みに、私の蓄積作業賞与金の額はというと、今回の移送時に告知されたのは573,000円だった。10年間でこれだけだものね。出所後の生活は不安一杯だぜ。運転免許の取得でほとんどなくなってしまうかな。
 11/2(木) 午後の入浴。午前中に川村弁護士と面会。11/7不安である。もともと話下手なのに、証人席に坐ると増々、言葉がでなくなる情けなさ。書いてる分にはわりとなめらか(?)なのになぁ。
 11/3(金)〜11/5(日) 3連休なのだが、エスペラントの勉強もしながら、11/7の準備も。ふぅ〜。
 11/6(月) 午後に屋上運動。差入れ票に指印→新生591号〈立志社〉、黒No3〈向井孝〉いつもどうもありがとうございます。舎下げ→支援連ニュースNo218、人民新聞1057号。
 栗餅ねぇ。栗餅と言うよりはアワ喰ったモチ(当然)といったものでしょ。一瞬老人に見えてしまった、というのは、やっぱりムショ生活がきいているんだろうな、と自分でも思ったりしてね。どうも私は視野が狭くて、あまり人の顔がわからなかった。11/7は、とにかく声には気をつけようと考えた。太ったのではなく筋肉がついたと言ってほしい。ま、頭だけが修行僧なみにリッパになってきていますが。お久しぶりのイッちゃんの絵! あいかわらず飲んでるなきっと!
 そしてこの日は中学生の試験前夜のように、川村弁護士から送られてきた尋問案を見ながら、頭の中でああ言おうかこう言おうかと練習していた。……そして、いよいよ、その日。
 11/7(火) 2回目ともなると、ちょっとなれてきたようで、落ちついた気持で護送車に乗る。そう言えば、今日は西川さんの公判でもあったのだ。ま、顔合わせてもまったく判らんだろう。今回は、首都高速は通らず、浅草、上野など繁華街を通って行ったので、街中をじっくり観光しながらだったからよかった。やはり、見るもの全てが物珍しく、おもしろい。地裁に着いて、仮監に入ってからも、また少しお勉強。
 前回のような醜態をまた見せないように…と。昼メシも食べて、しばらくしてから試合開始のゴングが鳴った。なんちゃって! そんなカッコいいものでもなかったが。
 川村弁護士の尋問案にそった進行であった。前回よりは、マシな応え方ではなかったか、と思うのだが。ま、けっこう脱線というか、話が広がったというか、あまり簡潔とは言えないものではあったけれどね。思想性がないのは、くっきりだなぁ。ま、しかたない、それがホントなのだから。しかし、もう少しわかりやすく整理されたものとして言えれば名ぁ。あれじゃぁ、話になっとらんがね。と、とにかくほぼ終了(?)といったところで、私も少々ホッとしているところだ。あとは12/7にほんの少しやって終わり。
 さて、今回は傍聴席を見て、坐っている人の顔を見たが、知らない人が多かったな。一番前の席にジンジンが坐っていたな。ジンジンというよりはオジンオジンと言った方がいいカンジになってきたようだが、元気そうでなによりである。酒ぶとりかな? ふうさんはあいかわらずですねぇ。かえって若くなってきたのでは? 私もみんなに会えて、声かけられて、けっこう元気づけられたようだ。ひとつ心配なのは今回の証言でゆきちゃんの足をさらにひっぱらなきゃいいが、ということかな、と。
 なんてことを書いてたら、ラジオで重信房子、大阪にて逮捕なんてこと言ったが、それホント? なんかこのころ日本赤軍の人がよく捕まるなぁ。どうなってんだろうか。そのうち新聞などでの報道でくわしい話はわかるだろうからそれを待つかな。いやはやこまったものだ。
 今日は、こんなところで失礼! 元気で!また!
2000.11.9 Shaco


SHACO
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