〈定期第138_1信〉
 どんどん冷えこんできたな。東拘の方が水は冷たいみたいだなぁ。食器洗いなんかしていると、手に火がついたように感じるよ。これほどだから、手はみるみる真っ赤になっていってしまう。おかげで両手は霜焼けだらけである。あいかわらずだな。
 どうも東拘と霜焼けはくっついているようである。
 今のところ、風邪はひいておらず元気でいるのが……あいかわらず、東拘にいるのである。
 なんちゅうか、いつまで東拘に居ることになるのやら……ったく! こう長くなるのならば書道の道具など舎下げをして勉強するべきだったな。今からでは、中途半端だろうから、しょうがないが、いやはや困ったものである。果たして、私はいつ戻れるのだろうか? 来年?!!
 東拘にいると勉強おちついてやれんので困る。せっかく、浴田公判に出廷して、向学心を燃え立たせることができたというのに、フ〜む。
 12月8日(金) 午後の入浴。公判の翌日である、サッパリ気分になれた…かな?
 チョッキ貸与。こちらでは、チョッキ貸与は少し遅いようである。これであたたまれる。
 12月9日(土) 免業日。まだ7日の出廷のことでクソッ!クソッ!とつぶやく私であった。
 12月10日(日) 免業日。昼食時に冷凍タイ焼きがでてきたのでシャッシャツと喰った。
 12月11日(月) 午前の屋上運動。証人出廷の日当4,020円いただく。早く終わった分だけ、値切られてしまったようである。もうちょっと、ねばればよかったのだろうか?
 差入れ告知→ねっとわあく死刑廃止No.54〈ねっとわあく〉。
 12月12日(火) 午後の入浴。差入れ告知→キタコブシVOL88〈キタコブシ〉。
 2級集会菓子購入願を出す。…ということは20日前後までいることになるのだろうか? と。
 12月13日(水) 午後の屋上運動。掛布団乾燥。
 12月14日(木) 午前の屋上運動。舎下げ出願してあった『笑うな歯が目焼ける』が受刑者不許可領置処分となってしまった。まゆみちゃんは、いかなる本を送ってきてくれたのか?!
 12月15日(金) 午後の入浴。一般官本1冊借りる。『屈せざる者たち』辺見庸、角川文庫。
 12月16日(土) 免業日。昼食はパン、ハヤシ風シチュー、煮豆、チーズチョコペースト。待ちどおしいパン食…ちゅうのがチョーエキなのでアル。
 12月17日(日) 免業日。
 12月18日(月) 午前の屋上運動。差入れ告知→夢と希望つうしん1号、わたげ通信No.38〈平山まゆみ〉。一般官本2冊借りる。『夜と女と毛沢東』辺見庸、吉本隆明、文春文庫、『新屈せざる者たち』辺見庸、角川文庫。『毛沢東の私生活』はなかなかおもしろそうである、そのうち読むか。どうして「新」や「続」付くとおもしろくなくなるのだろう。初めのはおもしろかったのになぁ。
 12月19日(火) 午後の入浴。休庁(年末年始)期間中のお知らせ回覧。おいおい、こんなのが回覧されてきてしまったら困るよ。私は東拘で年越しかい! こ、こまるなぁ〜。
 12月20日(水) 午後の屋上運動。2級集会菓子が出てきた。今回も前回と同じ内容。Meijiチョコレート、揚げせんべい、丸ドーナツ3ヶ、ドラ焼き1ヶ、牛乳。岐阜刑のように毎回違ったものにしてほしいものである。あいかわらずビデオなしで、居室で、ボソボソとひとり食べておしまい。
 12月21日(木) 午前の屋上運動。昼食時に誕生会の菓子カリント1袋給与された。ビデオなし。うーむ岐阜の方が豪華(?)であるかな。差入れ→人民新聞1062号〈日角八十治〉、救援380号〈QCR〉、模索舎月報12月号〈模索舎〉、ゆうき凛々41号〈永井迅〉、5,000円〈平山まゆみ〉。いつもどうもありがとうございます。東京までの交通費で足がでなかった?
★12/7公判からすでに2週間が経とうとしている。もうかなり昔の話というカンジである。証人としては、どうも最後までカッコよく証言してやろうかとアレコレ考えて練習していたのだが、本番では、そのかいもなくつまらんことしか言えなかったな。
 そういうことだったので、遠くから来た人には悪いことをした。巨人―ホークス戦を博多から東京まで観戦しに来たホークスファンが「ナンダ! こんな試合みせあがって、金返せ〜!」と怒鳴っているようなカンジであったな。『遠くから来ているんだよ!』は。
 さて証言の内容だが、「懲役の内容は?」という質問には、あまりうまく答えられなかったな。あんなので聞いている人たちは、わかっただろうか?
 「その後(出所後)の生活はどうするのか?」という質問に、貿易関係の仕事をしてヘルパーのボランティアもやりたい、と言ったら、「えーっ!」なんて声があがったけれど、ちょっとおかしかったかなぁ。貿易関係の仕事というのは、夢として持っているということなんだけどね。民衆次元の国際連帯をどう具体化するか、ということを考えていくとね、貿易ってのもけっこういいかなぁ、とか考えたりするのだよ。世界の国々を歩き回るというのもおもしろそうだし…と。実際にやれるのかどうか全くわからんが、そんな夢がある。
 ヘルパーというのも、この間「介護保険」問題のものとか読んだり、見たりして興味を持ってきたものだけれどね。「介護保険」ができてから、かなり悲惨な状況も出てきているでしょ。今の世の中、老人と子どもが犠牲となってきているものなぁ。
 ヘルパーについてはけっこう先輩が沢山いるようだから、アドバイスもしてもらおうか。
 しかし、「その後の生活」って言われても、今のような不況下、私も困ってしまうな。しばらくは失業者かもしれんぞ。ま、その間に興味持ったことでもやっていくか。どこかの公立技術専門校に通うとかいろいろあらあな…ホントかな? 技術専門校だって今は競争率が高くなったなんて話もあるし、考えると、大変そうなので考えるの止めるか?
 「その為に準備として何をやっているか?」と質問されても、刑務所でやれることはたいしたことないものな。職業訓練と誇れるようなことは、ないしな。せいぜい通信教育で頑張るくらいなものである。今は、エスペラントと書道を通信教育でやっている。手話は独習だな、本読んで。2年前まではテレビの『みんなの手話』を見ていた。やっぱり人のやっているのを見て練習するのがいいみたい。本だけでは、どうしてもね。それでも、少しはできるけど……少しだけだね。エスペラントも、まだそれほどでもない。ま、これは実践の中で鍛えるしかないな。エスペラントだけで貿易大丈夫か? と、う〜む。
 とにかく刑務所を出てからだな、全て。刑務所に13年居たのだから、メシを喰えるだけの技術が身につけられても良い筈なのであるが……日本の行刑の貧困である。
 情報処理科の職業訓練全国で7名、山口刑務所にて、という募集も毎年あるのだが、全国選抜で7名だけだから、これはもうアカン。私のような公安はなおさらである。
 しかし、職業訓練を受けて技術を身につけても、元爆弾犯を雇ってくれるところがあるか? という問題もあるだろうしな。そうなると自分自身で起業するしかない、なんてことになることも考えられる。年齢も年齢である。満期出所の時点でちょうど50歳である。ジャバでは、40代でも仕事をみつけるのが大変なのに、う〜む。
 ゆきちゃんではないが、私も炭焼きでもしようかと考えたことがある。テレビ東京系でよく『自給自足田舎暮らし』なんていう番組があるので、そういうのを見るといるんだなぁ〜。炭焼きになろうと弟子入りしているのが何人も。どうも同じようなこと考える人は多いみたい。
 ちょっと無理かな、と考えるのをやめた。最近は自給自足の田舎暮らしをしようとしている人たちが増えてきているみたい。おもしろい現象であるけれどね。
 そういう状況のときには、かえって都会へ、というほうが生きていけるかしらん?
 「再犯が多いが懲役の内容に問題があるのか?」という質問に対しては、なんとか問題点を幾つかあげることができたが、もう少し(もっと!!)わかりやすくせつめいできればよかったなと思うが、まぁあれでいいか。
 岐刑もけっこう再犯で戻ってくる人が多いな。出て半年で戻ってきてしまう人がいるので、あ〜あと思う。問題点を幾つかあげたが、それで充分というわけでもないけれどね。むずかしいよ。
 作業賞与金に関して云えば近い将来賃金という形で金額ももっと高額になるみたいである。今春新入で私の工場に来た人が、新入教育のときに職員からそんな話を聞いたそうだからね。それで私も期待しているところ。その人の話によると名前の呼びすてもやめて○○君、、というふうになるとも聞いたそうだ。栃木刑務所では○○さんというようだが、ああいうことかな。さて、どうなるでしょう。
 「浴田さんの今後について望むこと」という質問に対しては、どうもうまく喋れなかったな。どうもすんません。なんか話になっとらんでおわってしまった。それぞれの場で頑張ろう、とか信頼している、とか何言っとるんじゃ、というカンジ。恥かしいネ。ま、ゆきちゃんは、私が何も言わんでも気持は察してくれるだろうから、私がうまく喋れなくても大丈夫でしょう。こういう場合に信頼しています、と使う
 検事の尋問のときには、ちょっとクチすべっちゃたかな、と。武装闘争について言われたときなんかね。時代があつかったから、云々的には、ちょっとなぁ、と反省。
 あの検事、ちょっとくどかったのでムカッときたな。でもあの検事、こちらの調書なんか、よく読んで勉強はしているようだな。
 あ、そうそう、ゆきちゃんのこと指して言うときに「コノ人は〜」「この人に〜」と私は、「この人」を連発してしまったな。フツーの人的に言い方になってしまった。しかし、「同志」という呼び方は、ちょっとテレるのだ。
 ゆきちゃんはどっちかと言うと筆ツッパリなのかしらん? なんかちょっとお元気がなかったようであったが。メソメソしとったらあかんでぇ〜。
 何度もかくようだが、今回は岐阜からやってきてよかったよ。気合を入れられたカンジだ。懲役が長いとダレてきてね。おかげでリフレッシュして、あと2年半きっちりやってゆけるよ。ありがとう!だね。それはそれとして東拘での生活は不便ではあることはたしかですが。ま、将司を楽しくさせてやったのだから、ま、ええか。さて、まりっぺの証言はどうなったろうか?! たのしみみである。私より、ずっとマシだろう。来年までサヨウナラ! 元気で! 2000.12.21夜 Shaco記


SHACO
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