〈定期第141信〉※
 ヒェ〜、冷えこんできたなぁ。やっぱり寒いや。岐阜の方だと、雪が降っているのだろうなぁ。東拘より、むこうの方が寒いかもしれんから、こっちに居て、まぁよかった…と得した気分になっておこう。ともあれ あけましておめでとうございます!
 あいかわらず、東拘暮らしの私である。私の予定としては、正月は岐阜で過ごすということだったのだが、予定はあくまでも自己の希望を開陳しただけであったようである。しょうもない正月であった。丸ちゃん風に言えば「人生損した」気分。
 年末年始は、いろいろ施設当局も忙しいためか、なかなかお迎えにきてくれそうにもない。困ったものである。※(定期便の号数まちがえた、前回139号にしてしまった。)
 インパクトを大いに受けて、向学心がボウッボウッと燃え立ってきている、というのに通信教育に手もつけられない、なんて困ったものである。
 しかし、そろそろお迎えがあるのではなかろうか。きっとある筈である。
 この冷えこみで、手指の先っぽが真っ赤に霜焼けてきてしまったが、10年前の東拘時よりはずっと軽症である。昔は、指全体が紫色になってしまったものなぁ。
 10年経って、いくらか霜焼けに強くなってきたのかもしれない。
 今のところ風邪ひいて苦しむこともなくいる。工場出役とちがって、他の人間と接触することもあまりないので風をうつされることもないからだろうか。その点は良かったというべきであろう。岐刑では11月頃から風邪をひき始めていたものなぁ。寝込んで病舎入りということは毎年1回は必ずあったし。
 それにしても、昼夜独居で袋貼り作業をしていると、ホント日が経つのが早い。アッという間に1週間過ぎ、1ヵ月過ぎ、とうとう3ヵ月目に入ってしまった。
 ひょっとすると東拘で満期出獄か?! それもまあええか。…と思ったりもした。
 しかし、戸外運動場が狭いわ、メシは悪いわ、リクレーションがないわ、ないわ、ないわばかりで、ちょっと困るかな。テレビが見たいのになぁ。(一応社会をのぞく窓だから)。
 政財官界及び宗教界の有名人と会えるのは、それなりに楽しいが、大正生命の「詐欺師」と言われる人や天声の足裏相談教祖を毎日見てても呆きてくるよな。テレビ見ているくらいがちょうど良い。
 さて、ここ10日ほども、あまり大したこともなく日が過ぎてしまった。
 1月4日(木) 午前の屋上運動。日用品購入出願する。電池(183円)、ナイロン歯刷子(105円)、便箋(146円)、封筒下(57円)、耳かき(61円)。岐刑では作業賞与金で日用品は充分に購入できたのだが袋貼り作業は、時給6円50銭なので、とても購入できない。雀の涙にもいかないのであった。電池はヒゲ剃り機のもの。しかし、電気ヒゲ剃りより、手剃りの方がきれいに剃れるな。歯刷子は岐刑だと140円、ブラシの部分が小さくて使い易い。東拘のは安いがブラシ部分が大きくて、奥の方は磨きにくいカンジ。便箋は藤壺製だが、昔より紙質が薄くなった。昔のものは2枚分の厚みがあったものなぁ。しかし、コクヨ製よりまだ厚すぎる。岐刑では、所内購入でコクヨ便箋も買えるが東拘はダメのようだ。差入れのみ可か。耳かきは、岐刑より安くものがいいみたい。(あたりハズレがあるかな。不良品だったので交換してもらったから)。東拘にいたら、領置金が日用品購入でなくなっていってしまうな。
 1月5日(金) 午前の入浴。2000年12月分の作業賞与金が出た。千円いくらだったかなぁ。基本給819円で時間当6円50銭だった。官本でJ・S・ハーシュ『ハリケーン』講談社文庫を借り出す。先日読めずに返納したからな。けっこうおもしろく読めた。冤罪事件への取組みについてなど、なかなか勉強になった。袴田巌さんの件でもこういうカンジでやってゆけるといいのにね。
 1月6日(土) 免業日。週1回のパンの日である。本日は煮豆、ベーコン入りシチュー、チーズ、チョコレートペーストである。なんでコヒーか牛乳をつけてくれんかなぁ。お茶じゃぁ、ちょっとネエ。
 1月7日(日) 免業日。夕食には、いつものウドンが出た。「いつものウドン」とは、クターとして汁の中でのびたヤツ。このへんは、もう少し作り方を考えた方がいいでしょう。そうそう、昔の赤茶色に変色したお茶が出されなくなったのは良かった。今は、岐刑なみのお茶らしいお茶が出てくる。但し、色だけで、味も香りもほとんどないものだけど、まぁ、ええか、と。
 1月8日(月) 免業日。未明からなのか初雪が降っていた。少し積もったがすぐとけていった。どういうわけか、昼食にぜんざいが出てきた。なんのお祝いごとか……ああ成人式ね、と。
 官本2冊借りた。大平光代『だからあなたも生きぬいて』講談社、ジュフリー・ディーヴァー『THE BONE COLLECTOR』文芸春秋。『だから〜』は、ベストセラーのようだったので、期待していたのだが、若干ハズレたようだ。それなりによかったのだが。しかし、オレも弁護士目指してみっか、なんて気持にさせられた、ダメかな。口下手だし、論理的にモノ考えられないから。
 『THE BONE〜』は、わりと読ませた、おもしろかった。
 1月9日(火) 午前の運動、だったが参加せず。敷布団乾燥。あいにくの曇り空であまりホカホカにならず。差入れ→わたし味方です通信No5〈益永美幸〉、支援連ニュースNo220〈東武央〉、死刑と人権No114〈かたつむりの会〉、エスペラント通信講座受験生通信74号、チラシ「第88回日本大会」、チラシ「シンポ多文化共生の21世紀へ」〈沼津エスペラント会〉以上。パンフ受け取っています。いつもどうもありがとうございます。
 1月10日(水) 午前の入浴。川村弁護士よりの年賀状交付された。岐刑より転送のもの。
 夕食にラーメンが出されたが麺が固まっていてよく煮えておらんし、クタクタしとってあきまへ〜ん。
 1月11日(木) 午後の屋上運動。舎下げ忘れたパンフを舎下げ→ゆうき凛々41号、人民新聞1062号、模索舎月報12月号、救援380号。
 1月12日(金) 午前の入浴。差入れ→人民新聞1063号、ハガキ〈日角八十治〉、新生593号、同594号、同595号、同596号〈立志社〉、夢と希望つうしん2号〈平山まゆみ〉、シャコ通信No35〈東武央〉以上受取りました。いつもどうもありがとうございます。
 官本2冊借りた。佐高信『「民」食う人びと』光文社文庫、宮部みゆき『返事はいらない』新潮文庫。
 よく見てみたら『返事はいらない』はすでに読んでいたもの。失敗した。
 1月13日(土) 免業日。昼食のパンにぜんざい、ピーナツペースト、チーズ、チキンシチューときた。
 1月14日(日) 免業日。ここのところひどく冷え込む、手指の先っぽも真っ赤となる。赤は赤でも赤ちがい?! 昼食にカンパン出てきた。一応、これも副食のつもりかいな。こういう固いものがアタシの喰いたかった。少し満足!
★「ゆうき凛々41号」の冒頭意陳を見たら、大学の校舎が港区白金にあったって?! フェ〜! 私のいた大学の近くやんけ。明学大も港区白金、今で言うシロガネーゼにあったもんな。叛旗派の友だちがいたってのも。ヘェー! だぜ。明学大は叛旗派の拠点校だったんだよな。なんかけっこう近いところでウロウロしておったんだなぁ。いやは驚き。私は仕掛けに行ってヨロケて指紋残すようなことせんかったが。ガァーッというのは一直線とも言われたりして、要するにチョットモーションということかしらん?
 「支援連ニュースNo220」の12/7公判報告はしっかり書いとるな。「リストラおやじ」はヒジョーに嬉しい。オレッチが「女に手が早い」って知らんかった? そのため皆さんからヒンシュクをかってきたのであった。
 検事に対しては、どうも闘争心がかきたてられちゃって……。無期懲役求刑されたのをネにもってるのかナ?
 「熱い状況云々」というあたりは、各方面から批判がきそうなカンジもするが、ま、いいか。武闘が今の日本では必要ない、と言い切ったことで、私なりに、なんか、スッキリできたところもあるのだが、熱い云々はかなり説明不足かつ、適切な表現ではなかったかな、という気もする。公判傍聴記では、お久しぶりの二人です。べつに陽子さんを振ったわけではなく、あまり大勢の人たちを前にすると恥ずかしがり屋の私としてはそっけない態度になってしまうのであります。しかし、耳だけは、しっかりしてますのでハイッ!
 そのへんは池田さんがよくわかっているみたい。湯浅さんの1年の総括もよくまとまってます。
 「シャコ通信No35」のゴミ文を見たら、ガサが入ったとか。けっこう続くもんだな。何波も続けてやっていくつものなのかなぁ。どこまで拡がるのだろうか。やりたい放題だね。困ったもんだ。ガサへの反撃は、当然行われてるんだろうが、いかんせん即効性がなさそうだもんね。
 「わたし味方です通信No5」そうだったね、婚姻届の保証人に私がなったのであった。あれには、いささかめんくらった。そういう保証人になったのは初めてだから。あの時には、塀の外では、そういう大変なことがあったのか、わかった。12/7公判での証言で「ボランティアやります」なんて言った私は美幸から怒られちゃうかしらん。出所したらホームヘルパー2級でもとろうかな、と思っているんだが。
 私が手紙でオルグした? マチガイとちがうの? 私はそれだけの力量ないから他人でしょ、きっと。
 「夢と希望つうしん2号」の長征日誌で宮刑の処遇がわかって良いね。岐刑の病舎には私も度々、お世話になってる。岐刑の病舎でも大体宮刑と同じかな、しかし、減灯は21時で、それまでラジオ、読書、筆記はできるが筆記具は朝起床時から夕点検終了まで引上げられて持てない。衣類は全て個人貸与。病舎にいても慰問演芸会に出席できていた人もいたな。個人的に要求して実現したのかしらん。暖房は岐刑も入らんかった。インフルエンザが流行している時は病舎にいるとかえって感染しやすかったりしてね、なにせ高熱出して入病する人が増えるから…ということもあるかな。ともあれ、インフルエンザにはくれぐれも気をつけてほしい。「重信逮捕」についての対策などしっかり考えてハッパかけてるようで、よう頑張っとるなぁと感心。これからも「つうしん」の来るのをたのしみにしているよ。M2さんも頑張って(?)
 「死刑と人権No.114」の座談会で池田さんが11頁下段で言っている戦争責任の問題について、『世界』誌2001.1月号でラッサ・M・スズキというオーストラリアの人が同じような意味のことを言っていて、そこでは、「連累」(implicaition)ということで表現していたっけね。丁度同じようなこと問題にしていたのでなんかよくわかったけれど。でも3頁下段の「正義でアジア民衆の代わりにやった」というところは、ちょっと違うかな、と思う。「代わり」ではなく、それが自由で平等な社会を目指し共に頑張るための前提だった、ということではなかったかと思っているのだけれど。「ごまめの戯言」おもしろいなぁ。
 「人民新聞1063号」に「ある性同一性障害者の死」という記事を読んで、そうだったのかと故人が苦しみながらも闘ってたんだな、と思うとともに、私も頑張らんとなぁと気合を入れられた思いです。山口健二さんの聞き書き『戦後革命無宿』の私家版って本が支援連にあったら、私の方に差入れて下せい! 読みたい! それと、オルタ通信が支援連にツンドクされてるなら差入れてほしいけど、あるかしらん? 支援連よろしく!
                             2001.1.14 Shaco記


SHACO
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