〈定期第142信〉
 2月に入ってからも、こちらでは雪が降ったりして、けっこう冷えこんでいる。長期の天気予報では、暖かくなるのが早そうにも言っておったが、さてどうなることでしょう。
 寒いのは嫌なので、早々に暖かくなってほしいものである。
 それは、それとして、やはり岐阜はいい。但し、東拘よりはいい、という比較においてだが。
 1月18日の午前中にやっと岐阜刑に到着した。やっと戻ってこられたぜ! といったところ。
 まさか、東拘で年越すとは思わなんだ。いいかげん袋張り作業にもあきてきていたからなあ。東拘では、とにかく時間が早く経っていったなぁ。なにせ、メシの時間が早いもの。
 朝7時半に朝メシ、11時に昼メシ、3時40分に夕メシというカンジで、どんどん進む。メシ時間が集中していることで、1日の時間の過ぎるのが早く感じるといったところだろうか。
 ま、ええわ。長く逗留しておっただけ、良いこともあったから。
 将司と同じ階の独房で、それも同じ並びの5室ほどしかはなれていなかったところでの生活で、しっかり将司の生活態度を確認できたからな。まさかあれほど近くに居るとは、思わなんだ。こういうのを灯台もとくらし、とでも言うのであろう。
 私の方で初めて将司と確認できたのは、12月半ばすぎてからかな。その前から、なんか将司に似たカンジの人間がおるわなぁ、とは思っておったのだが。将司にしては、やせすぎてヒョロヒョロしすぎているカンジで、どうも、ニヤニヤとニヤケすぎていて、私の知っている(10年前)将司は、もう少し肉が付いていて、顔だって、ムスッとしていた筈だ、と、きっとあれは別の人であろう他人のそら似であろうと思っていた。それに『キタコブシ』では白髪が少ないとか自慢気に書いてあったので、その他人のそら似の人間が白髪でいっぱいだったので多分ちがうんだとも思っていたのであった。
 しかし、屋上運動場の覗き窓にへばりついて外を見ていたら、ギロッとにらまれて、やっと将司であること確認できた。将司はギロッとにらむと、ああ将司だ、と判り易いのだな。
 それにしても仮設棟の窓ガラスは、内側から外を見ると薄暗くてよく見ることができないので困るなぁ。外側から内を見る分にはよく見えるのにねぇ。あれは自動車のサイドウィンドーによく使われている特殊ガラスなのかなあ。新東拘になったら全てあのガラスになるのだろう。
 将司が元気そうな姿をこの目でしっかりと確認できてよかったよ。将司の方も、私のことをよく見ることができたろう。私の方は、あいかわらず、といったところだ。東拘の職員たちからは、全く変わっておらんなぁ、と言われ続けていた。
 しかし、将司は、もう少し肉を付けるようにしたらいいのではないかな。時々、弁当を差入れしてもらうとか購入するとかして、シャバのメシを食べてみる「遊び」を持ってみるのも心身には良いのじゃないか、と思うけれどね。私から見て将司はやせ過ぎだっちゃ。
 『キタコブシ』でのドラブルの話題など、今後は、ああそうか、とよくわかるようになったな。なにせ同じ階の生活をしていたのだから、およそのことは推測できるからね。そうそう、以前水音がうるさいと書いていたこともなーるほどとわかったよ。私の左隣りの人間が、その人だった。四六時中、水出していたものな。夜9時からは必ずトイレの水を30分〜1時間はずっと流しぱなしでうるさかった。どうも心病んでいるカンジだったな。若い人だから、将司悩ました人と同一人物だったろう。職員も注意するということはしていなかったようだった。しようがないので、私は谷川でキャンプしているんだと自己暗示かけながら床についていた。右隣には壁に頭突きか蹴りしているのかゴツンゴツンと音だしていた人がいたが隣人に「うるさい!」と怒鳴られた何日後かにどっかへ転房させられていったみたい。
 そうそう騒音と言えば、時たまパンパンと手を叩いている音が響いていたと思うが、あれは私です。手が霜焼けで赤くはれてふくれてきたので、手を叩いてショック療法で治していたのであった。
 仮設舎房には日本赤軍の人たちも居たのではないかな。戸平さんも私らと同じ階だったかもしれない。運動帰りの階段のところでは、和光さんらしき人とすれちがったりもした。和光さんらしき人は、シルバーグレーとグリーのジャンパー風のものを着て背が高かった。頭を見てもしや和光さんでは? とおもったんだけど、ちょっと失礼だったか。もし彼なら、上の階に居るということになろうか。
 昔だと、面会連行中に友人たちと出会うことがけっこうあったのだが最近はなくなったんだろうな。すれちがったり、出会ったりしないように東拘もけっこう考えているようだから。面会所までの通路が全てひとつにまとまっているからこそ警戒しているってところかな。本当に誰とも会わんかったぜ。
 それでも将司と私が極めて近い独房に入れられるということもある。しかし、これはミスというよりは意識的(?)と言ってもいい処置だったのではなかろうか、と思う。このところストレスが溜ってきている将司への気くばりか? 私だったらそばにいても心配なかろう、と危険物視されていなかった?
 ともあれ、4ヵ月近く、一緒に生活(?)できてラッキーであった。東拘を出発する直前にも会えたし、よかったな。しかし、ああいうところで生活していると、ウツウツとなっていってしまうなぁ。将司トシたちなんかもう25年間なのだから大変だろうと思う。トシの方とは結局、会えずじまいだった。やっぱり同じ建物内に居ないと会う機会は全くないのかな。残念だった。
 東拘に居る間に思ったのだが、将司はここらで、ひとつまとまった総括的なのを書き上げたらどうだろうか、と。『腹腹時計』の理論面の続編的なものをね。「KF部隊」以降、考え方で変わったこと、発展させたことなど、けっこういろいろあると思うんだが。「キタコブシ」などで、コメント風に短く出しているけれど、あれらをもう少しまとまった形で出すのがいいのじゃないだろうか。獄中にいて実際に何もできぬ自分がそんなもの申すことはできない、ということもあるのだろうが、やっぱり、将司は出すべきだろうし、それを出すことが、今のウツウツとした自他の状況を切り拓いていく契機となっていくのではないかと思う。ずっと前から、そう思っていたのだが、今回、将司に会って、さらに強くそのことを感じた。まぁ、自分自身のこともしっかりやれていない私が言えることではない、かもしれんが。
 さて、これまでのことを日記風に回想していくとするか。
 1月17日(水) 東拘、屋上運動に出た。将司と会う。ギロッとひとにらみされ、オタッ。この頃はニヤケないぞ、将司は。私は、いつも一番最後に出還房させられているので還房時、将司を見送ることとなるのだ。運動場では、手の霜焼け療法(?)のため手を叩き、パンパンさせる。少しは効果あり。
 還房時、将司の居室を覗くと、ちょうどウガイ中であった。あいかわらず地味なファッションである。上はエンジ、下は紺か黒か。居室に戻ると、差入れ票のみあって、物品が付いていなかった。それで今日あたり領置調べだな、と判断できた。午後2時半頃領置調べの呼出し。たいして時間かからず、1時間ほどで還房。その際、将司の居室を覗くと、将司の方でもこちらに顔を向け見合わせる。明朝5時半出房とのことだったが1時間早く起こしてもらう。
 1月18日(木) 朝4時半起床。5時半出房。将司のところを覗くと、すでに机に向かっていて本を読んでいるふうである。しかし、読んでいるふうであって実のところは見送りならぬ聴(聞)き送りをしてくれたのであろう。なにせ勘の良い将司のことである。昨日、今朝と廊下での騒しき声音でわかったろう。
 そんな将司に無言の別れをして、岐阜刑への旅立へ。
 なんと今回は東拘職員5名がついてきた。岐刑から迎えに来てくれるかな、と思っていたのだが。それになんと! 観光バスみたいなバスに乗せられた。個室トイレ装備の! しかしスペースが広いので足もカラダもゆったりと伸ばせてラクであった。白く雪化粧された富士山を見ながら缶コヒーを飲んでよかったなぁ。
 岐刑には午前11時頃到着。領置調べなどやってから居室へ。他に居室がなかった為か開放単独室(1級者用)だったところへ入った。居室が狭くるしく感じてしょうがない。東拘の仮設棟は広かったものなぁ。
 着いて、早々昼メシを喰って、ああやっぱり岐阜のメシはうまい! と思ったね。領置調べは、全てコンピューター管理ということになっとる。ノートパソコンで入力しておったな。
 1月19日(金) 開放単独室にて手さげ袋の底紙と紐つけ作業。
 1月20日(土) 13:30〜15:00ころまでのど自慢大会あるも私は独居で放送聞くのみ。アメ玉2ヶ、ショウガ湯が給与された。
 1月22日(月) 元の工場へ出役。どうも金属工場から離れられんようである。元の工場へ戻ってみたら、けっこう人の入れ替わりがあった。全体的に人が多くなったようだ。独居棟にも空室がなくなっているみたいだし、雑居棟の方では、集会室(各階に1室ある)が居室に改装されていた。長びく不況のため刑務所に入ってくる人も増えてきたからなのか。それなら仮釈でどんどん出したらいいのにな。あまり長く刑務所に入れておいても益がないからね。増員したのは短期刑の人が多いようである。戻ってみたら、メシはけっこう良くなっていた。4ヵ月前より良くなっていたな。けっこうなことである。丸ちゃん風に言えば、人生得するなぁ〜といったところか。改善と言えば、居室の廊下ストーブがつけられるようになった。もちろん、火をつけて置かれている。広いところに2台だから、そう暖かいわけではないがね。官本2冊借りる。フランチェスコ・アルベローニ『他人をほめる人、けなす人』草思社、藤沢周平『静かな木』新潮社。
 1月24日(水) 書道、簿記、エスペラントの通信教育教材の仮下げ出願。今、向学心が燃えている。昨夏、被収容者文芸作品コンクールに出品した、「詩」が金賞を獲得。図書券1,500円分をもらった。どんな詩を書いたのか、詩人は忘れてしまっているのでわからない。ヘボ詩人から「ヘボ」がやっととれる?! しかし美術作品として水彩画も出品したのだが、こちらはダメだったみたい。こちらの方かなり自信作だったのに!
 1月25日(木) 官本2冊借りた。佐々木良江『ユーラシアの秋』集英社、藤沢周平『暗殺の年輪』文芸春秋。
 1月26日(金) 夢を見た。色々なヘビがいる部屋で、ヘビ同士が共食いして最後に残ったのが、キングコブラとニシキヘビ、どちらも大蛇である。その2匹を部屋から出そうとして一匹のヘビに咬まれ、私はキングコブラに咬まれたかとあせったが、よく見たらニシキヘビでホッとして目がさめた。今年は巳年であるから、幸運の夢かしらん?
 2ヵ月ぶりに理髪してサッパリする。18:00〜工場就業者VTR『コードゼロ』悪魔ものでおもしろくなし。
 1月27日(土) 昼食後アメ玉2ヶ、夕食後ショウガ湯給与。以前はアメ玉は隔週だったな。最近毎週になったようだ。
 1月28日(日) 2級者3級者集会(9:00〜11:00)ビデオ『エアポート2001』菓子はロールケーキ1本、カラムーチョ、コーンスープ。
 2月1日(木) 入浴場で洗体位置にシールでマーキング。カラダがぶつかったりして争いのもととなるための予防。
 書道、簿記、エスペラント通信教育教材が仮下げされてきた。さて、いよいよお勉強である。
 今回は、このへんでおしまい。では、元気で!  2001年2月4日  Shaco記


SHACO
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