〈定期第162信〉
 冬らしく冷えこんできたな。今冬は暖冬とのことだから、私は嬉しい。1月、2月とそう寒くなさそうだからラクだろうなぁ。今年の1月、2月はインフルエンザを患うこともなく、やり過ごせたけれど、来年は、さてどうだろうか。風邪はすでに11月下旬にひいて、ほぼ2週間かかったな、治るまでに。風邪ひくと、ほんと、元気なくなるので困ります。今回ひいたので、しばらくはもうひくことはなかろう。せっかくの年末年始の長期休が台無しになるものね、気をつけたい。私にとって最後の獄中での正月休みじゃ、目一杯たのしまんば…といっても楽しむようなことがないけれど…トホホ。
 丸ちゃんの証人出廷はどーなったろうね。元気な姿をみんなに見せてくれただろうか。東拘の方が宮刑よりは暖かく過ごせるだろうから、春までのんびりやってもらいたい。
 10月25日(金) 晴れ。屋外運動(4)。人新聞10月号回覧。居室用官給丸首半袖シャツ新品2枚貸与。官給品を貸与されているのは私を含め4名ほどだろうか。とにかく少ないな。人からとやかく言われるのをいやがったり、ミエがあったりと貸与を願い出る人は少ない。賞与金は使わずに出所してからのアパート代でも貯めたら、と言ってやっているのだが…。しかし賞与金の額が少なすぎて、貯めても大した額にならんものなぁ。出所しても所持金が少なくては先ゆき暗いよなー。
 18:30〜 工場就業者ビデオ『WASABI』。たいしておもしろくないものであった。駄作だな。
 パンフ仮下げ→新生639号、同643号、同646号〈立志社〉 人民新聞10/5号〈日角八十治〉
 10月26日(土) 曇り時々雨。免業日。9:00〜11:00 2級集会、ビデオ『ローラーボール』。菓子はエクレア、蒸しパン、缶コーラ。旧ソ連圏某共和国でのローラーボール、元締めは元KGB、民衆は起つ!社会主義は腐っていただけか? 光は全くなかったのか?! いやはやったく! エライことになっちゃったぜ!
 11:30〜12:00 所内売店。売店に買物に行くのもあと数回でおしまい。
 10月27日(日)曇り。免業日。モスクワでの占拠は粗暴な鎮圧へ。ひどいものである。やっぱり腐っているみたい。
 10月28日(月)曇り。屋外運動(3)。居室用衿なし長袖シャツ・ステテコ貸与。
 10月30日(水)晴れ。屋外運動(4)。来信→岐阜市役所保健所保健課予防課よりガン検診のお知らせ申込書。この日はちょうど工場での胃検診の実施日であった。40歳以上の希望者のみ、ということで数名が行ったみたい。
 10月31日(木)晴れ時々曇り。入浴(6)。工場用衿なし長袖シャツ、袴下貸与。
 11月1日(金)雨のち夕方曇り。屋内運動(4)。居室用・工場用官給靴下貸与。各用のちょっと厚めの靴下(黒色)、居室用は新品1足、中古品1足。工場用は新品1足、中古品2足。隔週のパン食時(大体金曜日の夕食)にはぜんざいが出るのであるが、私はぜんざいが苦手で往生しとる。甘ったるいのは、どーもダメ。あまり食べすぎると気持わるくなるのであった。丸ちゃんとは反対である。正月に出るぜんざいなど残してしまうものね。
 11月3日(日)晴れ。免業日。午後1時すぎにブルボン製のパームロール1袋が特配となった。
 11月5日(火)朝のうち一時雨のち晴れ。入浴(2)。理髪日。夏期処遇(残っていた丸首半袖シャツ姿等)終了。天突き体操開始(始業前にやる)。パンフ仮下げ→人民新聞10/15号〈日角八十治〉、ザ・パスポート107号〈帰考会〉、ごましお通信68号〈益永美幸〉。第14回死刑廃止合宿参加者アピール、再審研究会の記録9月〈永井迅〉。
 11月7日(木)晴れ。入浴(5)。居室用、工場用メリヤス貸与。告知→自所職業訓練生募集木工漆装科(春慶塗り)。
11月8日(金)曇り時々雨。屋内運動(7)。 9:30〜11:30 2種4類危険物取扱国家資格試験。3枚目の毛布貸与。パンフの仮下げ→支援連ニュースNo.242〈東武央〉。
 危険物取扱者の試験はヤマかけたところが外れてしまつたが、なんとか合格点くらいはとれた。私の記憶力は、まだまだ大丈夫のようで安心した。獄中ボケがひどくて、あかんかしらんと思っていたが、ホッとひと安心。あとは合格発表を待つばかりである。
 11月9日(土)曇り。免業日。回覧新聞の朝刊夕刊紙に、名古屋刑務所の職員が逮捕の記事が大きく載っていた。その後、どんどん事件報道が大きくなってきて、法務省の当初の目論見は裏目に出てしまったようである。人権擁護法案をなんとか通そうとしたのに、ヤブヘビだったか。
 11月10日(日)曇り時々雨。免業日。9:00〜10:40 5年以上無事故者褒賞ビデオ『エアスコーピオン』。
 11月11日(月)晴れ時々曇り。工場対決ソフトボール試合。パンフの仮下→新生647号〈立志社〉。
 11月12日(火)曇り。入浴特(1)。敷布団交換(6年以上無事故者のみ)。あとは順次交換していくみたい。告知→名古屋刑務所建設科小型車輌運転職業訓練生募集。
 11月13日(水)曇り。入浴(8)。パンフの仮下げ→月刊オルタ02-11号〈PARC〉 人民新聞10/25号、同11/5号〈日角八十治〉。ウォークマンとカセットテープ貸与。期間11/13〜11/26。さて、これでエスペラントの勉強である。
 11月15日(金)曇り。屋外運動(2)。居室用チョッキ貸与。風邪予防のための仮眠時間開始。平日は、配食夫が夕食後還房してから、免業日は朝食後配食夫が還房してから11:40まで、昼食後配食夫が還房してから16:00まで、夕食後昼食後配食夫が還房してから、ということ。そうそう平日、入浴後還房してから16:30まで。入浴後は起きていると湯冷めして風邪してしまうので、これはありがたいことである。先日風邪ひいたのは湯冷めしたためであったものな。
 作業賞与金 10月分1等工(時間34円70銭)基本給6,096円20銭。12,192円(使用限度額4,064円)。
 11月16日(土)曇り時々晴れ。免業日。13:00〜15:30慰問演芸会 あべ静江他。
 11月17日(日)曇り時々晴れ。免業日。9:00〜9:40 報道教養ビデオ『その時歴史が動いた――上杉謙信と武田信玄』。
 11月18日(月)晴れ時々曇り。入浴(7)。来信→沼津エスペラント会より添削解答。次の課のテキストも送られてきている筈だが、まだ検閲中のようである。この解答にしてもけっこう時間がかかっているものな。語学の苦手な私でもなんとか続けているってところがエスペラントのいいところかな。英語ばやりの最近だが、私はども英語はあきまへん。しかし、英語が必要なことが多すぎるのだなぁ。困ったことである。エスペラントが少しできるようになったら、ザメンホフの国あたりにでも旅行してやろうと思っているのだが、はたしてできるようになるかしらん。
 11月21日(木)曇り。入浴(2)。フトン乾燥。危険物取扱者試験合格が告知された。もし、不合格だったら笑い者だな、と思っていたのでホッとした。今回は10名前後の受験者だったが、合格者は多かったようだ。昨年は30名近く受験者がいたそうだが、今年は少なかった。
 さて、次はボイラーの免許をとるとよさそうであるが、刑務所ではその試験は受けられないみたい。危険物取扱者の免許だけ取っていてもあまり使えないしなぁ。シャバに出てから頑張ってみますか、出てからいろいろ取得したい免許があるので、大変そうである。失われた20年をとりもどさねばなりません。
 11月21日(金)晴れ。屋外運動(6)。18:30〜工場就業者ビデオ『アタックナンバーハーフ』タイ国製、ゲイのバレーボールチームが差別と闘いながら国体で優勝するまでの話。実際にあったことを映画化したようだ。
 危険物取扱者の試験に合格したので免状を交付してもらうために岐阜県収入印紙(2800円)と配達記録郵便の切手(270円)を特別購入するため出願した。これで免状が手元にくるってわけか。免状に貼付してあるだろう私の顔写真は、無愛想な顔をしているので、ちょっと困るな。囚人服だしな。
 11月23日(土)晴れ。免業日。9:30〜 2,3級集会、ビデオ『メガトロン』。菓子は、おだ巻(5ヶ)、キャラメルコーン1袋、缶コーヒー。ビデオは、環境問題を少しふりかけた巨大古代サメとの格闘。
 このところ、見るビデオがあんまりおもしろくないものばかりなのは、ビデオの担当が替わったからなのだろうか? どうも怪獣ものが多くなってきたな。子どもなら喜ぶだろうが、私らのような中高年のオッサンには、ちょっとあきまへんな。もう少し、オトナの映画を見せてほしいものである。
 11:30〜12:00 所内売店へ買い物である。午後10時すぎに特大大福の特配(1ヶ)。今回は1日2回も甘い物をたべてしまったので、昼、夕食の麦飯はほとんど残してしまった。私は一定量以上のメシは食べられないのであった。若い時はムリしてでも腹さけよとばかりに喰えたが、今はもうダメ。あまり喰いすぎると、カラダの調子がすぐわるくなるのであった。少し飢えているくらいが私にはいいみたい。
 11月25日(月)曇り時々雨。入浴(5)。理髪日。一般官本2冊借りた。『Xファイル失われた時間』ソニーマガジンズ、『ハリーポッターと賢者の石』静山社。パンフ仮下げ→風37号〈水田ふ・向井孝〉、模索舎月報11月号〈模索舎〉、救援403号〈QCR〉、CPR News Letter No.32〈CPR〉、オリーブの樹17号、草の根通信359号〈平山まゆみ〉。
 11月28日(木)曇り。入浴(1)。差入れ→『インパクション133』〈インパクト出版会〉。
 今日は特1番入浴(14:30〜14:45)なので還房したのは14:50頃。起きていると湯冷めして、また風邪をひいてしまいそうなので、すぐにフトンを敷いて、その中にもぐり込み読書をした。やはり仮眠時間というものがあると大部違うなぁ。
 11月29日(金)晴れ。屋外運動(3)。「人」新聞11月号回覧。バンフの仮下げ→再審研究会記録10月〈永井迅〉。このところ運動時間は風邪ひき中だったので囲碁の時間としてヘボ対戦していたが、昼休みの個人教授の成果か、けっこう勝ってきた。この調子なら出所までには打倒チンペイも夢ではないぞ。たのしみに待っておれよ。
 被収容者美術・文芸コンクールに出した水彩画、川柳、俳句、短歌、詩が全て落選! ガックリ!!
 さて、もう12月である。いよいよ私も50歳である。Nさんに連れられて行った町屋の飲み屋で「いくつ?」と聞かれ「二十歳」と答えると、ポールニザンの『アデンアラビア』の「ぼくは二十歳だった。」で始まる話を聞かされて、30年が経ち、今私は、「わたしは五十歳。」という書き出しで始まるC・ブコウスキーの『詩人と女たち』を読んでいる。
 なんともおもしろい人生である。五十歳?! ウソだろう?! と思わず言ってしまうね。
 五十歳に見合うだけの積み重なったものがないからだろうか、やっぱり。
 差入れについてほんとうにありがとうございます。いつも感謝して受けとっております。
 これが最終(今年)の便りかも。来年もまた元気に出会いませう。
                           2002.12.1 Shaco


SHACO
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