〈定期第96信〉

 どうやら冷えこみも峠を越えたようだな。短い冬、といったところかな。ところとろころにできていた霜焼けも少しずつ治ってゆくことで冬も終わりつつあるのがわかるようだ。と言っても、またいつ冷えこみがぶり返してくるか、わかったものでないけれど。
 ま、とりあえずしばらくは大丈夫かな。
 岐阜県内でも集団風邪による学級閉鎖があちこちの学校で多くなったとの新聞記事があったけど、ここ岐阜刑務所でもやはり風邪がけっこう流行っているようだ。医務診察を受ける人が多くなっている。私については今のところ風邪ひいて苦しむということはなく過している。
 風邪が流行っている為だろうか。2/2から、仮就寝時間が繰り上げられて、夕食終了後、配食夫が還房してから、ということになった。大体17:00ころといったところか。それがさらに、2/7からは当分の間、土曜、日曜など免業日の午前は朝食終了後の配食夫還房から仮眠時間とされるようになった。それまでの免業日は午後のみ13:30〜15:30が任意時間(起きていても横臥していてもよい)となっていた。もちろん、今回変更された仮眠時間も任意のものである。
 風邪ひいている人にとっては、横臥していられるってのは、大変助かるだろうな。風邪ひいてシンドイ時は坐ってるのもつらいからね。これで、風邪の治りも少しは早くなるかもしれない。
 横臥する場合には、布団を敷いてパジャマをちゃんと着ていないとならない。ま、冬はその方がありがたいがね。夏の暑いときには畳の上に直に寝た方が涼しくていいけれど。
 ともあれ風邪をひかないように気をつけよう。
 2/3に枕カバーの交換(年1回)。夕食は、刺身が出てきた。今回は全切れ赤み、やはりカジキか? また、節分の豆が一パック給与された。袋に入っていた豆の数は、私の歳には、ちょっと不足だったな。大豆、アーモンド、ピーナツのミックスであった。
 2/3に葛飾区区役所区民部国民年金課保険料係宛に、免除申請書送付の依頼状を発信。ここ5,6年は、こちらから催促しなくても、区役所から送ってきてくれていたのだが、係の職員でも替ってしまってなのか、送られてこなくなったのだ。しかたがないので催促することにした。しかし、国民年金がはたして、どれほど意味あるものかなぁ、と考えたら、めんどくせえなぁーという気持ちにもなってきたりして…。国にしてもらうより、自分たちでやりくりした方がいいや、なんてね。相互扶助講みたいなものがどんどんつくられていくなんてのもおもしろい。
 最近つくられてきているコミュニティハウスなんてのも発想としてはけっこうおもしろい。欧州では、わりとやられているようだが。TBS「報道特集」でやっていたが神戸の被災者たちのコミュニティハウスと東京の企業がつくって入居者募集したコミュニティハウスの違いは明確だつたな。固い言葉で言えば結集軸の問題ってところか。コミュニティハウスという場にあえて何故住むのかと考えるならば相互扶助の必要性ってところだろうしな。
 2/4に処遇部からの呼び出しがあったので行ってみると、1/8に出願しておいた東武央宛特別宅下許可願と、領置物の被見願が許可になったとの回答を得た。
 早速、領置物を被見することになったので、倉庫から出されてきた私の全ての領置物と御対面! とあいなった。私としては、かなり沢山あるのではないのか、と思っていたのだが実際見てみると予想していたよりは少なかった。
 今回、私が東宛に宅下げすることにしたのは、ゆきちゃんが芳正の準備書面を読みたいということであり、彼女の裁判にとっても参考になるかもしれないので必要だろう、と思ったこと。芳正の検面調書はあったが、私の公判調書は、やはりひとつもなかったな。移監時に、東宛に郵宅したと思う。だから、東武央のところを捜してもらうといいだろう。もし、そこになければ、実家に眠っていることだろう。芳正の準備書面はニーチェ訴訟が主であるが、書かれているのは哲学徒芳正の汗の結晶であるから、けっこう為になるものだと思う。その他の民訴関係のものも少し入っているので役に立ててもらえば嬉しいな。あと本が全部で83冊。まゆみちゃんから差入れされた松下センセの本にはセンセの署名・印が付いているものもあるので、それらについては最終的にまゆみちゃんのところに戻してもらえるといいだろう。古本屋の店頭に一山幾らで積まれる中に、サイン入りの本があった、なんてことになったら大変なので。
 宅急便のダンボール箱に2箱分。今回は量が量であるし、東武央宛のものばかりなので、今の季節、お年寄りに無理させてもいけないし、金と手間ばかり掛かりそうなので直接東武央宛に送ることにした。岐刑にはこちらの事情を話してなんとか特別宅下げの許可を出してもらってようやっと送ってもらえることとなった。いや助かった。
 私の領置物は全てで5箱(22cm×41cm×57cmの箱)くらいだった。半分以上は本だったな。見てみると必要のないものでけっこうかさばるものが沢山あったのでそれらについては廃棄していった。ほとんど大封筒、それと永井君からの訴訟連絡の手紙、改めて見るとほんとうに訴訟連絡は頻繁にやっていたんだなぁ。今一度、永井君にご苦労さまと言ってあげよう。よう頑張ったよ。だからこそ勝てたのだ! 一部がけだが…。永井君の手紙は沢山あったので、一部だけ残してあとは廃棄にした、ドウモ。S子とM、Jちゃんのはそうなかったので全て残しておくことにした。ま、記念になるだろう?!
 S子と云えば以前『思想の科学』誌の広告を見たら同姓同名の人が何か書いていたようだがありゃ本人だったのかしらん? どんなことを書いていたのかみていないのでわからんが。元気で頑張っていることだろう。
 親族の手紙ってのはやはり親からのが多かったな。これも残しておくことにした。
 来信もけっこう溜まるものだな。ずっと溜めておくと、一箱ぐらいいくかもしれんな。
 運用通達では来信は総量外ということではなかったかな、と思うが。来信を全部宅下げしてしまおうかと思ったのだが宅下げはできないとのことであった。
 芳正の手紙には使用済ノート、来信も宅下げするつもりとか書いてあったので来信もできるのかと思っていたのだけど。
 使用済ノートについては、宅下げはダメだってことだったな。特別宅下げ願の件ではなしたときも、そんなことだった。
 在監している施設で書いた物は出させないってことだが、手紙が出せるのだから、なんか矛盾しているね。東拘では絵を描いてそれを獄外に郵送するってことはできていたのだが、ここではダメだ。
 そうそう、使用済テレホンカード5枚も残した。これらは、山本利恵さんがテレホンカードがどんなものか私に教えてくれる為に送ってくれたもの。これらも大事にとっておくことにした。
 東拘から岐刑に移ってくる時に着用していた作務衣とパンツ2枚、丸首半袖シャツ、靴下2足ハンカチ2枚、運動靴、毛のベストが私の衣類。これもわずかな量である。5月末の陽気に合う。たしか出所の季節もその頃だから、丁度よい服装である。その頃には頭もすっかりツルリンコであろうから、作務衣がよう似合うことであろう。
 本については宅下げする分と同じくらいの量が残った。それらはお勉強のためのものが多い。じつくりと読むやつってわけである。
 2/4は領置物を整理したりして、結局3時間くらいかかったな。それで約5箱から2箱へと整理してしまった。東宛に発送する宅急便は近々届くだろう。
 今回は、べつに当局から催促されたのでなく、私の方で催促したってところだな。
 ゆきちゃんの方へ本や訴訟書類送ってやらなきゃならんかったし、私としても領置物にどんなものがどれくらいあるのか把握しておきたかったこともあったからね。
 しかし、ちょっと早くやりすぎたかなって思ったりしてね。
 官給の衣類を使っているのがよかったようだ。房内所持しているものも総量内とされるからな。
 それと毎年1回、読んだ本をまとめて宅下げしているので、領置物があまり増えないようだ。それは、毎年、当局から催促されてのことだからな。ちょっと本が溜まりすぎてるから廃棄なり宅下げなりしてくれ、と。そういうことでは岐刑に限って云えば、総量規制って、あまり必要ないのじゃないかなと思うけれどな。これまでわりと支障なくこれたのだから大丈夫だろうに。
 今回の規制ってのは、やっぱり、既決より未決にとって死活問題ってことではないかな。今の司法制度は中立公正真理追究とはとても云えないものな。今回の規制で、それがさらに悪化していくってことじゃないのか。
 ま、既決の私も読みたい本も読めなくなるってのは困るけれどな。
[差入れ][1/29]シャコ通信No.3〈東武央〉 言いたい放題No.69〈高安イツ子〉 ごましお通信45号〈益永美幸〉 草の根通信302号、26の瞳No.40、わたげNo.29、ゆきゆきて、ロストワールド,もののけ姫〈平山まゆみ〉 [2/4]『インパクション106』〈インパクト出版会〉以上。
 いつも差入れしてくれてどうもありがとう!
 昨夜のTVニュースで新宿西口のダンボール村で5人が死傷したと聞いた。悲しいことだな。火傷負った人が早くよくなるといいね。都が今回のことに乗じてひどいことをしなけりゃいいけどね。
 長野オリンピックとやらが始まったがなんかパットせんものだ。是非見たいとも思わないのでTVでやってても見ない。
  今回はこれで失礼! では元気でまた!          1998.2.8 寿一記


SHACO
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